10
次の日。花彌子と神須屋は閑静な住宅街の中にある、一軒家の前に立っていた。クリーム色の壁に焦げ茶色の屋根の、よく見かける建売住宅だ。今日は土曜日なので、花彌子は学校をサボらずに済んでいた。
むっつりと押し黙る神須屋を見上げる。今日の彼も全身黒のファッションで、耳には派手なピアスが複数光っていた。
「よし、インターホンを押しますよ」
「さっさとやれ」
朝からずっとこうだ。花彌子は内心ため息をつく。それも仕方ない。
──ここは、外場唯人の生まれ育った家なのだから。
黒川と揉めてバーを叩き出されたあと、神須屋はスマホでどこかに電話をかけていた。その会話を横で聞いていた花彌子には、相手が唯人の──神須屋の父親であることが分かった。
インターホンを押してしばらく、ゆっくりと玄関の扉が開いた。そこに立っていたのは、ポロシャツにスラックス姿の、髪を綺麗に撫でつけた中年男性だった。年齢の割に身綺麗にしており、少しだけ唯人の面影がある。そして何より、意志の強そうな眉の下に光る瞳は、晴れ渡った青空の色だった。
「……綾人。久しぶりだな」
「よぉ、クソジジイ」
神須屋がポケットに手を突っ込んだまま傲慢に顎を上げる。花彌子はその隣で頭を下げた。
「初めまして。唯人くんのクラスメイトの玖条花彌子と申します。本日は無理を聞き届けてくださりありがとうございます」
「そう畏まらなくてもいい。妻は実家で休養しているから、私しかお相手できないが……」
「いえ、充分です。ありがとうございます」
父親に招かれて、花彌子は玄関に足を踏み入れる。彼女の後ろからついてきた神須屋は、父親と目を見交わすと無言で靴を脱いだ。
「唯人の部屋は二階です。階段をのぼって左の突き当たりに。あの子のスマホもそこに置いておきました。私は……まだ見るのが辛いので、どうかお二人で」
「はい……」
父親は苦しげに目を伏せ、最後に神須屋に何かを囁いて居間の方へ去っていった。
神須屋はその背をじっと見送る。人を殴るときとは異なる、凪いだ顔つきだった。
「……神須屋さん?」
花彌子がそっと声をかける。彼は静かな面持ちのまま、短く呟いた。
「すまなかった、だとよ。──こんなもんなんだな。二十四年ぶりの再会だってのに、あいつにとって、俺たちはとっくに過去のことになってやがる」
彼は無言で首を振り、花彌子の背を押した。
「おら、さっさと行くぞ」
彼女は何も言えないまま、階段をのぼった。
──好きな人の部屋に入るのは、初めての経験だった。
唯人の部屋はシックな色合いで統一されていた。勉強机の上は整理されており、本棚には整然と参考書や書籍が並べられている。折目正しい性格が伺える部屋だった。
けれど、何よりも花彌子の目を引いたのは、勉強机の上に置かれた写真立てだった。ゆっくりと近寄って、手に取る。それに納められていたのは、どこかの遊園地を背景にした、唯人と、見知らぬ少女の写真だった。
花彌子の顔から血の気が引いていく。写真立てを持った指先が震えた。
「……これ」
写真の中で、唯人と少女は寄り添って笑っている。睦まじさを感じさせる距離で、表情で。
神須屋が痛ましいものを見る目を花彌子に向ける。彼女は無表情のまま、机に置かれたスマホを手に取った。
ホームボタンを押すと、すぐに待ち受け画面が表示される。既定の画像だ。すいすいと指を動かして、通話アプリを開いた。連絡先一覧をスクロールし、すぐに見つける。
「村井、ひまりというのね」
アイコンが唯人とのツーショットだったからすぐに分かった。愛らしい顔立ちの、セミロングの少女だ。うっすらと化粧をして、大きな瞳が潤んでいる。
花彌子は迷わなかった。トーク画面に遷移し、たぷたぷと文字を打つ。
『外場くんのクラスメイトです。彼のことでお話があります。ご都合の良いときにお話しできませんか?』
次の日。花彌子と神須屋は閑静な住宅街の中にある、一軒家の前に立っていた。クリーム色の壁に焦げ茶色の屋根の、よく見かける建売住宅だ。今日は土曜日なので、花彌子は学校をサボらずに済んでいた。
むっつりと押し黙る神須屋を見上げる。今日の彼も全身黒のファッションで、耳には派手なピアスが複数光っていた。
「よし、インターホンを押しますよ」
「さっさとやれ」
朝からずっとこうだ。花彌子は内心ため息をつく。それも仕方ない。
──ここは、外場唯人の生まれ育った家なのだから。
黒川と揉めてバーを叩き出されたあと、神須屋はスマホでどこかに電話をかけていた。その会話を横で聞いていた花彌子には、相手が唯人の──神須屋の父親であることが分かった。
インターホンを押してしばらく、ゆっくりと玄関の扉が開いた。そこに立っていたのは、ポロシャツにスラックス姿の、髪を綺麗に撫でつけた中年男性だった。年齢の割に身綺麗にしており、少しだけ唯人の面影がある。そして何より、意志の強そうな眉の下に光る瞳は、晴れ渡った青空の色だった。
「……綾人。久しぶりだな」
「よぉ、クソジジイ」
神須屋がポケットに手を突っ込んだまま傲慢に顎を上げる。花彌子はその隣で頭を下げた。
「初めまして。唯人くんのクラスメイトの玖条花彌子と申します。本日は無理を聞き届けてくださりありがとうございます」
「そう畏まらなくてもいい。妻は実家で休養しているから、私しかお相手できないが……」
「いえ、充分です。ありがとうございます」
父親に招かれて、花彌子は玄関に足を踏み入れる。彼女の後ろからついてきた神須屋は、父親と目を見交わすと無言で靴を脱いだ。
「唯人の部屋は二階です。階段をのぼって左の突き当たりに。あの子のスマホもそこに置いておきました。私は……まだ見るのが辛いので、どうかお二人で」
「はい……」
父親は苦しげに目を伏せ、最後に神須屋に何かを囁いて居間の方へ去っていった。
神須屋はその背をじっと見送る。人を殴るときとは異なる、凪いだ顔つきだった。
「……神須屋さん?」
花彌子がそっと声をかける。彼は静かな面持ちのまま、短く呟いた。
「すまなかった、だとよ。──こんなもんなんだな。二十四年ぶりの再会だってのに、あいつにとって、俺たちはとっくに過去のことになってやがる」
彼は無言で首を振り、花彌子の背を押した。
「おら、さっさと行くぞ」
彼女は何も言えないまま、階段をのぼった。
──好きな人の部屋に入るのは、初めての経験だった。
唯人の部屋はシックな色合いで統一されていた。勉強机の上は整理されており、本棚には整然と参考書や書籍が並べられている。折目正しい性格が伺える部屋だった。
けれど、何よりも花彌子の目を引いたのは、勉強机の上に置かれた写真立てだった。ゆっくりと近寄って、手に取る。それに納められていたのは、どこかの遊園地を背景にした、唯人と、見知らぬ少女の写真だった。
花彌子の顔から血の気が引いていく。写真立てを持った指先が震えた。
「……これ」
写真の中で、唯人と少女は寄り添って笑っている。睦まじさを感じさせる距離で、表情で。
神須屋が痛ましいものを見る目を花彌子に向ける。彼女は無表情のまま、机に置かれたスマホを手に取った。
ホームボタンを押すと、すぐに待ち受け画面が表示される。既定の画像だ。すいすいと指を動かして、通話アプリを開いた。連絡先一覧をスクロールし、すぐに見つける。
「村井、ひまりというのね」
アイコンが唯人とのツーショットだったからすぐに分かった。愛らしい顔立ちの、セミロングの少女だ。うっすらと化粧をして、大きな瞳が潤んでいる。
花彌子は迷わなかった。トーク画面に遷移し、たぷたぷと文字を打つ。
『外場くんのクラスメイトです。彼のことでお話があります。ご都合の良いときにお話しできませんか?』