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 次の日。花彌子と神須屋は閑静な住宅街の中にある、一軒家の前に立っていた。クリーム色の壁に焦げ茶色の屋根の、よく見かける建売住宅だ。今日は土曜日なので、花彌子は学校をサボらずに済んでいた。


 むっつりと押し黙る神須屋を見上げる。今日の彼も全身黒のファッションで、耳には派手なピアスが複数光っていた。


「よし、インターホンを押しますよ」

「さっさとやれ」


 朝からずっとこうだ。花彌子は内心ため息をつく。それも仕方ない。


 ──ここは、外場唯人の生まれ育った家なのだから。


 黒川と揉めてバーを叩き出されたあと、神須屋はスマホでどこかに電話をかけていた。その会話を横で聞いていた花彌子には、相手が唯人の──神須屋の父親であることが分かった。


 インターホンを押してしばらく、ゆっくりと玄関の扉が開いた。そこに立っていたのは、ポロシャツにスラックス姿の、髪を綺麗に撫でつけた中年男性だった。年齢の割に身綺麗にしており、少しだけ唯人の面影がある。そして何より、意志の強そうな眉の下に光る瞳は、晴れ渡った青空の色だった。


「……綾人。久しぶりだな」

「よぉ、クソジジイ」


 神須屋がポケットに手を突っ込んだまま傲慢に顎を上げる。花彌子はその隣で頭を下げた。


「初めまして。唯人くんのクラスメイトの玖条花彌子と申します。本日は無理を聞き届けてくださりありがとうございます」

「そう畏まらなくてもいい。妻は実家で休養しているから、私しかお相手できないが……」

「いえ、充分です。ありがとうございます」


 父親に招かれて、花彌子は玄関に足を踏み入れる。彼女の後ろからついてきた神須屋は、父親と目を見交わすと無言で靴を脱いだ。


「唯人の部屋は二階です。階段をのぼって左の突き当たりに。あの子のスマホもそこに置いておきました。私は……まだ見るのが辛いので、どうかお二人で」

「はい……」


 父親は苦しげに目を伏せ、最後に神須屋に何かを囁いて居間の方へ去っていった。


 神須屋はその背をじっと見送る。人を殴るときとは異なる、凪いだ顔つきだった。


「……神須屋さん?」


 花彌子がそっと声をかける。彼は静かな面持ちのまま、短く呟いた。


「すまなかった、だとよ。──こんなもんなんだな。二十四年ぶりの再会だってのに、あいつにとって、俺たちはとっくに過去のことになってやがる」


 彼は無言で首を振り、花彌子の背を押した。


「おら、さっさと行くぞ」


 彼女は何も言えないまま、階段をのぼった。


 ──好きな人の部屋に入るのは、初めての経験だった。


 唯人の部屋はシックな色合いで統一されていた。勉強机の上は整理されており、本棚には整然と参考書や書籍が並べられている。折目正しい性格が伺える部屋だった。


 けれど、何よりも花彌子の目を引いたのは、勉強机の上に置かれた写真立てだった。ゆっくりと近寄って、手に取る。それに納められていたのは、どこかの遊園地を背景にした、唯人と、見知らぬ少女の写真だった。


 花彌子の顔から血の気が引いていく。写真立てを持った指先が震えた。


「……これ」


 写真の中で、唯人と少女は寄り添って笑っている。睦まじさを感じさせる距離で、表情で。


 神須屋が痛ましいものを見る目を花彌子に向ける。彼女は無表情のまま、机に置かれたスマホを手に取った。


 ホームボタンを押すと、すぐに待ち受け画面が表示される。既定の画像だ。すいすいと指を動かして、通話アプリを開いた。連絡先一覧をスクロールし、すぐに見つける。


「村井、ひまりというのね」


 アイコンが唯人とのツーショットだったからすぐに分かった。愛らしい顔立ちの、セミロングの少女だ。うっすらと化粧をして、大きな瞳が潤んでいる。


 花彌子は迷わなかった。トーク画面に遷移し、たぷたぷと文字を打つ。


『外場くんのクラスメイトです。彼のことでお話があります。ご都合の良いときにお話しできませんか?』