「こらっ!」
店の亭主が気づいて怒鳴ると、団子を持ったままあっという間に子供は逃げてしまった。その様子をぽかん、と璃鈴は見送っている。
「ああ、やられてしまいましたね」
こともなげに飛燕は言って、亭主にもう一皿の団子を追加した。
「今のは……」
「地方では珍しくありません。おおかたあの子供も、腹を空かせていたのでしょう」
璃鈴は、呆然としたままだ。その様子を、飛燕はそれとなくうかがう。
「あの」
とまどったように、璃鈴が口を開いた。
「なんでしょう」
「今の子は、病気ではないのですか? あんなにやせていては、身体が……」
「言ったでしょう。珍しくないのです」
飛燕は、自分の分のお茶を一口飲む。璃鈴の関心が、団子をとられたことではなく子供であったことに少しばかり安堵した。
「巫女であったあなた方も気づいておられるでしょう。ここ数年……特に昨年から今年にかけては、日照りが続いて作物の収穫が芳しくありません」
その言葉に、璃鈴と秋華は厳しい顔で目を見合わせた。
飛燕の言う通り、一年ほど前から、巫女たちの祈りが天に通じにくくなっていた。おかげで、去年の夏は干ばつがひどく、ほとんど作物はとれなかった。食べ物が乏しくなった冬をなんとかやり過ごしてまた農作物を作り始める時期になったが、やはり今年も雨は少ない。これでは、今年も作物に期待はできないだろう。
「黎安はなんとかなっておりますが、地方では満足に食料を得ることが難しいのです」
飛燕の言葉に、璃鈴はあらためて通りに目を向けた。
人いきれに圧倒されている時には気づかなかったが、道行く人々は、よく見れば誰もかれもが疲れているように見えた。
食べ物があるということは、璃鈴たちにとっては当たり前のことだった。けれどそれは、恵まれた土地と人為的な守りによって作られていたものだったと、目の前の光景を見て思い知らされる。
「あなたがいた里や黎安のように、最優先に守られる場所がこの国にはあります。ですが、それ以外の場所では、今のように子供は腹を減らし、疲れている大人も多いのですよ。これが、今の輝加国の現状です」
意図的に淡々と、飛燕は言った。
そう聞いて、この巫女は何を思うだろうか。
龍宗が皇帝になって一年。いまだ政情は落ち着かず、龍宗の背負うものは重すぎるほどに重い。
(半分は、龍宗様ご自身の性格のせいですがね)
朝議の度に官吏ともめ事を起こす龍宗に、飛燕は毎度苦労をさせられる。
その龍宗が、古の盟約とはいえ、皇后に世間知らずの巫女を迎えなければならない。
正妃として龍宗を支えることが璃鈴にできるのか。飛燕は、それを確かめたかった。
「そうなんですね。……飛燕様」
「はい」
「これが、これからの私が陛下と共に背負うものなのですね」
そう言って街に視線を移した璃鈴の表情を見て、飛燕はわずかに目を瞠った。
璃鈴の目には、ただの同情だけではない凛とした決意とでもいうべき感情が浮かんでいた。
これから皇后となる自分の背負うものを、璃鈴は正確に把握したのだ。その表情を見て飛燕は、危険を冒して彼女を連れ出したことの目的が達成されたことを知る。
ここに来るまでの三日間で宿をとった町は、昼でも簡単に外出できるような安全な場所ではなかった。けれど飛燕は、どうしてもこの状況を皇后となる女性に知っていてほしかった。
神族の娘が村を出ることは、ほとんどない。祈りの巫女として清い心身と血脈を保つために必要な措置だ。ただの巫女ならばそれでよいのだが、国の皇后となるには、そして皇帝の支えとなるためには、それだけでは不十分だ。
つくづく、自分がくると言ってきかなかった龍宗を置いてきてよかったと飛燕は思う。きっと彼は、彼女にこの現状を見せるようなことはしなかっただろう。
(皇后としてこの娘……悪くない)
飛燕は、無意識のうちに笑みを浮かべる。そして一気に茶碗を空にすると、立ち上がった。
「さあ、そろそろ夕餉の時間です。私たちも宿に戻りましょう」
「はい」
―――――――
「幼く見えても、皇后様はご自分の責任を簡単に放棄する方ではありません。ましてや、手を伸ばしてきた相手に対して、その手をご自分の方からはらうことなど」
決意を秘めた璃鈴の横顔を思い出しながら、飛燕は微笑んだ。その様子を見て、龍宗は半眼になる。
「なぜ、それほど璃鈴の性格について詳しいのだ」
「ですから、巫女の里からこちらへ来る間に……」
「やらんぞ」
「はい?」
龍宗は、手元の書類に視線を落として言った。
「たとえお前でも、璃鈴はやらん」
それだけ言って仕事を続けている龍宗に、飛燕はきょとんと目を丸くした。そして、ほころぶように、笑った。
店の亭主が気づいて怒鳴ると、団子を持ったままあっという間に子供は逃げてしまった。その様子をぽかん、と璃鈴は見送っている。
「ああ、やられてしまいましたね」
こともなげに飛燕は言って、亭主にもう一皿の団子を追加した。
「今のは……」
「地方では珍しくありません。おおかたあの子供も、腹を空かせていたのでしょう」
璃鈴は、呆然としたままだ。その様子を、飛燕はそれとなくうかがう。
「あの」
とまどったように、璃鈴が口を開いた。
「なんでしょう」
「今の子は、病気ではないのですか? あんなにやせていては、身体が……」
「言ったでしょう。珍しくないのです」
飛燕は、自分の分のお茶を一口飲む。璃鈴の関心が、団子をとられたことではなく子供であったことに少しばかり安堵した。
「巫女であったあなた方も気づいておられるでしょう。ここ数年……特に昨年から今年にかけては、日照りが続いて作物の収穫が芳しくありません」
その言葉に、璃鈴と秋華は厳しい顔で目を見合わせた。
飛燕の言う通り、一年ほど前から、巫女たちの祈りが天に通じにくくなっていた。おかげで、去年の夏は干ばつがひどく、ほとんど作物はとれなかった。食べ物が乏しくなった冬をなんとかやり過ごしてまた農作物を作り始める時期になったが、やはり今年も雨は少ない。これでは、今年も作物に期待はできないだろう。
「黎安はなんとかなっておりますが、地方では満足に食料を得ることが難しいのです」
飛燕の言葉に、璃鈴はあらためて通りに目を向けた。
人いきれに圧倒されている時には気づかなかったが、道行く人々は、よく見れば誰もかれもが疲れているように見えた。
食べ物があるということは、璃鈴たちにとっては当たり前のことだった。けれどそれは、恵まれた土地と人為的な守りによって作られていたものだったと、目の前の光景を見て思い知らされる。
「あなたがいた里や黎安のように、最優先に守られる場所がこの国にはあります。ですが、それ以外の場所では、今のように子供は腹を減らし、疲れている大人も多いのですよ。これが、今の輝加国の現状です」
意図的に淡々と、飛燕は言った。
そう聞いて、この巫女は何を思うだろうか。
龍宗が皇帝になって一年。いまだ政情は落ち着かず、龍宗の背負うものは重すぎるほどに重い。
(半分は、龍宗様ご自身の性格のせいですがね)
朝議の度に官吏ともめ事を起こす龍宗に、飛燕は毎度苦労をさせられる。
その龍宗が、古の盟約とはいえ、皇后に世間知らずの巫女を迎えなければならない。
正妃として龍宗を支えることが璃鈴にできるのか。飛燕は、それを確かめたかった。
「そうなんですね。……飛燕様」
「はい」
「これが、これからの私が陛下と共に背負うものなのですね」
そう言って街に視線を移した璃鈴の表情を見て、飛燕はわずかに目を瞠った。
璃鈴の目には、ただの同情だけではない凛とした決意とでもいうべき感情が浮かんでいた。
これから皇后となる自分の背負うものを、璃鈴は正確に把握したのだ。その表情を見て飛燕は、危険を冒して彼女を連れ出したことの目的が達成されたことを知る。
ここに来るまでの三日間で宿をとった町は、昼でも簡単に外出できるような安全な場所ではなかった。けれど飛燕は、どうしてもこの状況を皇后となる女性に知っていてほしかった。
神族の娘が村を出ることは、ほとんどない。祈りの巫女として清い心身と血脈を保つために必要な措置だ。ただの巫女ならばそれでよいのだが、国の皇后となるには、そして皇帝の支えとなるためには、それだけでは不十分だ。
つくづく、自分がくると言ってきかなかった龍宗を置いてきてよかったと飛燕は思う。きっと彼は、彼女にこの現状を見せるようなことはしなかっただろう。
(皇后としてこの娘……悪くない)
飛燕は、無意識のうちに笑みを浮かべる。そして一気に茶碗を空にすると、立ち上がった。
「さあ、そろそろ夕餉の時間です。私たちも宿に戻りましょう」
「はい」
―――――――
「幼く見えても、皇后様はご自分の責任を簡単に放棄する方ではありません。ましてや、手を伸ばしてきた相手に対して、その手をご自分の方からはらうことなど」
決意を秘めた璃鈴の横顔を思い出しながら、飛燕は微笑んだ。その様子を見て、龍宗は半眼になる。
「なぜ、それほど璃鈴の性格について詳しいのだ」
「ですから、巫女の里からこちらへ来る間に……」
「やらんぞ」
「はい?」
龍宗は、手元の書類に視線を落として言った。
「たとえお前でも、璃鈴はやらん」
それだけ言って仕事を続けている龍宗に、飛燕はきょとんと目を丸くした。そして、ほころぶように、笑った。