そろそろ輝加国では、例年なら暑い時期になろうとしていた。
「いい加減やんでくれないと、水害がおこりますな」
一息ついて椅子に背を預けた余揮が、窓の外を見ながら言った。龍宗の執務室には、宰相の余揮と龍宗、それに飛燕だけがいた。
余輝の言葉を聞いて、龍宗も視線を外に向ける。
作物の成長のために日の光が必要なこの時期に、もう十日以上も雨が降り続いていた。
ここ数年、気候は常に不安定だった。春先は全く雨が降らない日々が続き、夏が近づいた今は、今度は降った雨がやまない。このままでは、せっかく植えた作物の根が腐ってしまう。
璃鈴は雨の巫女だ。雨を降らせることはできても、止ませることはできない。
余揮は、わざとらしく大きなため息をついた。
「せっかく龍王と雨の巫女がそろったというのに、天はまだ機嫌をそこねておられる」
「……ここのところの水不足は、璃鈴の呼んだ雨でかなり解消されたはずだ」
「では、問題があるのは陛下の方でしょうか。天に認められた皇帝なら、日を呼ぶことも可能だそうですが」
余揮が毒づいて、ちらりと龍宗に視線を走らせる。龍宗はそれに気づいたが、ただ黙って聞いていた。その様子に、余揮が拍子抜けしたような顔になる。
今までなら、ここで、か、とした龍宗と余揮のひと悶着があって飛燕が止めに入るところだ。が、今日の龍宗は、余揮の言葉が気にかかっていないわけではないだろうが言い返すことはしない。
飛燕は、そんな龍宗を、じ、と見つめていた。
(やはり、龍宗様はお変わりになられた)
朝議でも、龍宗が激昂することはほとんどなくなった。以前なら怒鳴り散らして自分の意見を通そうとすることがままあったが、今日の朝議においても龍宗は、議案に対する官吏の意見を根気よく聞いて審議を進めていた。
何も言わない龍宗の代わりに、飛燕が穏やかに口を挟む。
「古来より、皇帝の代替わりの時は天候が荒れて災害が多く起こるといいます。龍宗様が皇帝に、璃鈴様が皇后になられて、玉の座は無事に埋まりました。この天候も、近いうちにおさまりますでしょう」
「まこと、そうなればいいがな。陛下にそれだけの力があれば、ようやく民も平穏に過ごせることだろうに」
煽るような余揮の言葉を聞いても、龍宗は怒鳴るでもなく淡々と返す。
「お前はどう思う? 余揮」
「さて」
面白がるように余揮は口の端をあげた。
「我こそは天に選ばれた皇帝であると、胸を張って言えますかな?」
「俺は常にそうありたいと願い、そうあるために行動しているつもりだ」
おだやかに言った龍宗に、意外なことを聞いたように余揮が目を丸くする。
「……お変わりになりましたな、陛下」
「そうか?」
「ええ。皇后様のおかげでしょうか」
龍宗は、それには答えずにまた視線を外へと向けた。その様子を、余輝は、じ、と見つめる。
「陛下」
「なんだ」
「最近、後宮でお食事をなさいましたか?」
長い沈黙と緊張が三人の間に落ちる。その沈黙を破ったのは、執務室の扉を叩く音だった。飛燕が扉をあける。と。
「ごきげんよう、陛下」
そこにいたのは、淑妃の周玉祥だった。他には、侍女の姿も見えない。
「淑妃様」
戸惑う飛燕に構わず、玉祥はそのとなりをするりと通り抜けて部屋に入ってきた。
「失礼いたします」
「なんだ」
怒るでもなく、龍宗は玉祥を見上げた。その前にいた余揮に、玉祥はにこりと笑う。
「陛下に内密なお話がありますの。ぜひともお人払いを」
「今は執務中だ。あとで……」
「よろしいですよ、淑妃様」
卓に広げてあった書類をまとめると、余揮は立ち上がる。
「若者の邪魔となる老獪は去ることとしましょう。飛燕、あとを頼む」
一瞬、飛燕は彼には珍しく嫌そうな顔をしたが、すぐに会釈をすると余揮を見送った。
「さて、話とは」
玉祥はちらりと自分の机で仕事を再開する飛燕に視線を向けたが、特に何を言うでもなく再び龍宗に向けて艶やかな笑みを作る。
「いい加減やんでくれないと、水害がおこりますな」
一息ついて椅子に背を預けた余揮が、窓の外を見ながら言った。龍宗の執務室には、宰相の余揮と龍宗、それに飛燕だけがいた。
余輝の言葉を聞いて、龍宗も視線を外に向ける。
作物の成長のために日の光が必要なこの時期に、もう十日以上も雨が降り続いていた。
ここ数年、気候は常に不安定だった。春先は全く雨が降らない日々が続き、夏が近づいた今は、今度は降った雨がやまない。このままでは、せっかく植えた作物の根が腐ってしまう。
璃鈴は雨の巫女だ。雨を降らせることはできても、止ませることはできない。
余揮は、わざとらしく大きなため息をついた。
「せっかく龍王と雨の巫女がそろったというのに、天はまだ機嫌をそこねておられる」
「……ここのところの水不足は、璃鈴の呼んだ雨でかなり解消されたはずだ」
「では、問題があるのは陛下の方でしょうか。天に認められた皇帝なら、日を呼ぶことも可能だそうですが」
余揮が毒づいて、ちらりと龍宗に視線を走らせる。龍宗はそれに気づいたが、ただ黙って聞いていた。その様子に、余揮が拍子抜けしたような顔になる。
今までなら、ここで、か、とした龍宗と余揮のひと悶着があって飛燕が止めに入るところだ。が、今日の龍宗は、余揮の言葉が気にかかっていないわけではないだろうが言い返すことはしない。
飛燕は、そんな龍宗を、じ、と見つめていた。
(やはり、龍宗様はお変わりになられた)
朝議でも、龍宗が激昂することはほとんどなくなった。以前なら怒鳴り散らして自分の意見を通そうとすることがままあったが、今日の朝議においても龍宗は、議案に対する官吏の意見を根気よく聞いて審議を進めていた。
何も言わない龍宗の代わりに、飛燕が穏やかに口を挟む。
「古来より、皇帝の代替わりの時は天候が荒れて災害が多く起こるといいます。龍宗様が皇帝に、璃鈴様が皇后になられて、玉の座は無事に埋まりました。この天候も、近いうちにおさまりますでしょう」
「まこと、そうなればいいがな。陛下にそれだけの力があれば、ようやく民も平穏に過ごせることだろうに」
煽るような余揮の言葉を聞いても、龍宗は怒鳴るでもなく淡々と返す。
「お前はどう思う? 余揮」
「さて」
面白がるように余揮は口の端をあげた。
「我こそは天に選ばれた皇帝であると、胸を張って言えますかな?」
「俺は常にそうありたいと願い、そうあるために行動しているつもりだ」
おだやかに言った龍宗に、意外なことを聞いたように余揮が目を丸くする。
「……お変わりになりましたな、陛下」
「そうか?」
「ええ。皇后様のおかげでしょうか」
龍宗は、それには答えずにまた視線を外へと向けた。その様子を、余輝は、じ、と見つめる。
「陛下」
「なんだ」
「最近、後宮でお食事をなさいましたか?」
長い沈黙と緊張が三人の間に落ちる。その沈黙を破ったのは、執務室の扉を叩く音だった。飛燕が扉をあける。と。
「ごきげんよう、陛下」
そこにいたのは、淑妃の周玉祥だった。他には、侍女の姿も見えない。
「淑妃様」
戸惑う飛燕に構わず、玉祥はそのとなりをするりと通り抜けて部屋に入ってきた。
「失礼いたします」
「なんだ」
怒るでもなく、龍宗は玉祥を見上げた。その前にいた余揮に、玉祥はにこりと笑う。
「陛下に内密なお話がありますの。ぜひともお人払いを」
「今は執務中だ。あとで……」
「よろしいですよ、淑妃様」
卓に広げてあった書類をまとめると、余揮は立ち上がる。
「若者の邪魔となる老獪は去ることとしましょう。飛燕、あとを頼む」
一瞬、飛燕は彼には珍しく嫌そうな顔をしたが、すぐに会釈をすると余揮を見送った。
「さて、話とは」
玉祥はちらりと自分の机で仕事を再開する飛燕に視線を向けたが、特に何を言うでもなく再び龍宗に向けて艶やかな笑みを作る。