「これだけは今日中に終わらせないと」
そう言う龍宗の前には、まだ稟議書がうずたかく積まれている。確かにそれは時期的に後まわしにできない案件だと飛燕もわかっている。だが、それぞれの関係部署に仕事を振り分ければ、龍宗がこれほどに忙しくならなくて済むことも知っている。
「少しこちらの仕事を、各部署に担当してもらってはいかがですか。無理をすると、お体を壊します」
ついでに龍宗の機嫌次第ではまわりにも悪影響を及ぼします、とは、賢明にも飛燕は言わなかった。
「無理とわかっていても、俺が目を通さないものを許可するわけにはいかん」
「もう少し、官吏を信用してください」
「あいつらに任せておいたら、いつまでたっても施策が動かないだろう。やはり俺がやらなければ」
かたくなに我を張ろうとする龍宗に、飛燕は心配そうな声をかける。
「たまには後宮にでも行ってゆっくりしてください。例の妃嬪たちが入ってからもう一週間にもなりますが、その間まだ一度も後宮に顔を出していないではないですか」
それを聞いて、龍宗は苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「俺に無断で女を入れるなど……」
妃たちの後宮入りに驚いたのは龍宗も同じだった。いや、璃鈴以上に驚いたかもしれない。
璃鈴との関係を慎重に進めようと思案しているところに、いきなり妃の後宮入りを聞かされたのだ。
龍宗に知らせずに段取りを組んで三人の美姫を後宮へ入れたのは、古参の官吏たちだ。彼女たちがそれぞれに官吏たちの血に連なるものと知って龍宗は激怒したが、国のため、と押し切られ、今後は龍宗に無断で妃を後宮へ入れないと確約することでなんとかその場は収まった。
それでも怒りの収まらない龍宗は、それ以来後宮へと足を向けていない。
「あんな女たちに用はない」
「陛下が顔を見せなければならないのは、皇后様です。今頃やきもきしているのではないですか?」
「なにをだ?」
「陛下が、他の妃のもとにせっせと毎日通っていると」
いきなり、がたり、と龍宗が立ち上がる。思ってもいなかった飛燕の言葉に、目が丸くなっていた。その様子に、飛燕も驚く。
「おや。気づいていらっしゃらなかったのですか?」
「まさか、璃鈴も俺があの女たちへ通っていると……」
「妃が後宮に入って自分のところにはちらりと顔も見せない。この状況なら、普通はそう思うのではないでしょうか」
あ然としていた龍宗は、目の前の稟議書を睨むと、ものすごい勢いでそれらを片付け始めた。飛燕は、その様子を見て肩をすくめる
「今回のことは別にしても、これから後宮には妃嬪が増えていくでしょう。もしお気に入られた妃がおられましたら……」
「璃鈴以外はいらん」
飛燕の言葉をばっさりと切る龍宗に、飛燕は目を丸くした。
「よろしいのですか?」
「俺は、璃鈴さえいればいい」
束の間、龍宗は筆を止めた。
「……璃鈴は、悲しんでいるだろうか」
小さなつぶやきに対する答えは、飛燕が言うべきものではなかった。だから飛燕は、肩をすくめて龍宗の硯に新しい墨を足しただけだった。
☆
そう言う龍宗の前には、まだ稟議書がうずたかく積まれている。確かにそれは時期的に後まわしにできない案件だと飛燕もわかっている。だが、それぞれの関係部署に仕事を振り分ければ、龍宗がこれほどに忙しくならなくて済むことも知っている。
「少しこちらの仕事を、各部署に担当してもらってはいかがですか。無理をすると、お体を壊します」
ついでに龍宗の機嫌次第ではまわりにも悪影響を及ぼします、とは、賢明にも飛燕は言わなかった。
「無理とわかっていても、俺が目を通さないものを許可するわけにはいかん」
「もう少し、官吏を信用してください」
「あいつらに任せておいたら、いつまでたっても施策が動かないだろう。やはり俺がやらなければ」
かたくなに我を張ろうとする龍宗に、飛燕は心配そうな声をかける。
「たまには後宮にでも行ってゆっくりしてください。例の妃嬪たちが入ってからもう一週間にもなりますが、その間まだ一度も後宮に顔を出していないではないですか」
それを聞いて、龍宗は苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「俺に無断で女を入れるなど……」
妃たちの後宮入りに驚いたのは龍宗も同じだった。いや、璃鈴以上に驚いたかもしれない。
璃鈴との関係を慎重に進めようと思案しているところに、いきなり妃の後宮入りを聞かされたのだ。
龍宗に知らせずに段取りを組んで三人の美姫を後宮へ入れたのは、古参の官吏たちだ。彼女たちがそれぞれに官吏たちの血に連なるものと知って龍宗は激怒したが、国のため、と押し切られ、今後は龍宗に無断で妃を後宮へ入れないと確約することでなんとかその場は収まった。
それでも怒りの収まらない龍宗は、それ以来後宮へと足を向けていない。
「あんな女たちに用はない」
「陛下が顔を見せなければならないのは、皇后様です。今頃やきもきしているのではないですか?」
「なにをだ?」
「陛下が、他の妃のもとにせっせと毎日通っていると」
いきなり、がたり、と龍宗が立ち上がる。思ってもいなかった飛燕の言葉に、目が丸くなっていた。その様子に、飛燕も驚く。
「おや。気づいていらっしゃらなかったのですか?」
「まさか、璃鈴も俺があの女たちへ通っていると……」
「妃が後宮に入って自分のところにはちらりと顔も見せない。この状況なら、普通はそう思うのではないでしょうか」
あ然としていた龍宗は、目の前の稟議書を睨むと、ものすごい勢いでそれらを片付け始めた。飛燕は、その様子を見て肩をすくめる
「今回のことは別にしても、これから後宮には妃嬪が増えていくでしょう。もしお気に入られた妃がおられましたら……」
「璃鈴以外はいらん」
飛燕の言葉をばっさりと切る龍宗に、飛燕は目を丸くした。
「よろしいのですか?」
「俺は、璃鈴さえいればいい」
束の間、龍宗は筆を止めた。
「……璃鈴は、悲しんでいるだろうか」
小さなつぶやきに対する答えは、飛燕が言うべきものではなかった。だから飛燕は、肩をすくめて龍宗の硯に新しい墨を足しただけだった。
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