「他人行儀だな。名で呼べ」
「でも……」
「よい。許す」
そう言われて、璃鈴は震える声でその名を口にした。
「龍宗……様……」
名前で呼びかけることができるのは、よほどの近しいものだけだ。ましてや、それが皇帝ともなれば、御名を呼べるものは限られてくる。その近しい位置に自分がいることを許されて、璃鈴は嬉しいようなむずがゆいような心地がした。
璃鈴の呼びかけに満足したのか、龍宗はわずかに笑むと、璃鈴の指にふいに噛みついた。
「っ! ……お戯れは……」
「ああ、痛かったか」
どうとでもないように言って、龍宗はさらにその指を食んだ。甘噛みだったので痛くはなかったが、璃鈴はなんだか体の奥がむずむずと火照るような恥ずかしさを感じて体をこわばらせる。
「陛下……っ!」
「違う」
「りゅ、龍宗様っ!」
「なんだ」
「あ、あの……!」
あたふたとする璃鈴を見て、龍宗は声をあげて笑った。からかわれていることを悟った璃鈴は、真っ赤になって怒り出す。
「わ、私は食べ物ではありません! おやめください!」
その様子を楽し気に見ながら、龍宗は片手を伸ばすと璃鈴の頬に触れた。
「十分うまそうだぞ。だが、少し悪ふざけが過ぎたようだ。すまなかった。さあ、もう休もう。明日も早い」
いまだ口をとがらせている璃鈴を、龍宗はその腕に抱きあげた。
「あの……!」
「俺に触れられることに慣れろ。夫婦なのだから」
力強く璃鈴を支える腕は、多少璃鈴が暴れてもびくともしない。龍宗の体温を感じながら、璃鈴はどうしたらいいのかわからずにただ、はい、とだけ小さく答えた。
☆
「夕べも、何も?」
「舞を舞ったわ。美しいと、褒めて下さったの」
次の朝も、真っ白な褥を見て秋華はため息をついた。璃鈴はといえば、舞を褒められた嬉しさに、今だ心ここにあらずと言った表情だ。
「ご夫婦とはなられなかったのですか」
「ちゃんと一緒に寝ているわよ」
これはいよいよ自分が教えなければ、と秋華は頭を悩ませる。皇后である璃鈴にとっては、皇太子を産むことも大事な使命でもある。
「皇后様、よろしいですか」
朝食を終えた璃鈴のもとに、年配の女官が一人やってきた。冬梅というその女官は、あまり笑わないせいか、少し怖い印象を与える女性だった。
「はい。なんでしょう」
「雨ごいの儀式の日取りが決まりました。三日後になりますので、本日よりみそぎをおねがいいたします」
「わかりました。では、今日からお食事は精進物をお願いいたします」
秋華が応えて、冬梅は顔をあげた。
「これから、みそぎの場へご案内します」
「はい。準備をいたしますので、少しお待ちください」
璃鈴は、白いみそぎ用の衣に着替える。これは里から持ってきたものだった。
仕度を終え冬梅について行った先は、池の向こうにある竹藪の中だった。その中に、結界の張られた小さな泉がある。こんこんと冷水の湧き出ている泉は、澄んで美しかった。
「ここは、枯れないのですか?」
長の日照りで、黎安の多くの井戸はかれてしまったと聞いている。
「はい。宮城の中には、どれほど日照りが続いても枯れることのない泉がいくつかあるのです。ここはその一つ。巫女のみそぎ専用の泉でございます」
「そうなのですか」
冬梅は、水に入る準備を始めた璃鈴をじっと見守っていた。
「この泉に雨の巫女が入られるのは何年ぶりでしょう……」
おもわず、と言った風で、冬梅が呟いた。
「前の巫女を、ご存じなのですか?」
「はい。以前の巫女は麗香様……陛下のお母様でした。私は、麗香様について参った、里の巫女です」
その言葉に、璃鈴と秋華の二人がそろって顔をあげた。
「でも……」
「よい。許す」
そう言われて、璃鈴は震える声でその名を口にした。
「龍宗……様……」
名前で呼びかけることができるのは、よほどの近しいものだけだ。ましてや、それが皇帝ともなれば、御名を呼べるものは限られてくる。その近しい位置に自分がいることを許されて、璃鈴は嬉しいようなむずがゆいような心地がした。
璃鈴の呼びかけに満足したのか、龍宗はわずかに笑むと、璃鈴の指にふいに噛みついた。
「っ! ……お戯れは……」
「ああ、痛かったか」
どうとでもないように言って、龍宗はさらにその指を食んだ。甘噛みだったので痛くはなかったが、璃鈴はなんだか体の奥がむずむずと火照るような恥ずかしさを感じて体をこわばらせる。
「陛下……っ!」
「違う」
「りゅ、龍宗様っ!」
「なんだ」
「あ、あの……!」
あたふたとする璃鈴を見て、龍宗は声をあげて笑った。からかわれていることを悟った璃鈴は、真っ赤になって怒り出す。
「わ、私は食べ物ではありません! おやめください!」
その様子を楽し気に見ながら、龍宗は片手を伸ばすと璃鈴の頬に触れた。
「十分うまそうだぞ。だが、少し悪ふざけが過ぎたようだ。すまなかった。さあ、もう休もう。明日も早い」
いまだ口をとがらせている璃鈴を、龍宗はその腕に抱きあげた。
「あの……!」
「俺に触れられることに慣れろ。夫婦なのだから」
力強く璃鈴を支える腕は、多少璃鈴が暴れてもびくともしない。龍宗の体温を感じながら、璃鈴はどうしたらいいのかわからずにただ、はい、とだけ小さく答えた。
☆
「夕べも、何も?」
「舞を舞ったわ。美しいと、褒めて下さったの」
次の朝も、真っ白な褥を見て秋華はため息をついた。璃鈴はといえば、舞を褒められた嬉しさに、今だ心ここにあらずと言った表情だ。
「ご夫婦とはなられなかったのですか」
「ちゃんと一緒に寝ているわよ」
これはいよいよ自分が教えなければ、と秋華は頭を悩ませる。皇后である璃鈴にとっては、皇太子を産むことも大事な使命でもある。
「皇后様、よろしいですか」
朝食を終えた璃鈴のもとに、年配の女官が一人やってきた。冬梅というその女官は、あまり笑わないせいか、少し怖い印象を与える女性だった。
「はい。なんでしょう」
「雨ごいの儀式の日取りが決まりました。三日後になりますので、本日よりみそぎをおねがいいたします」
「わかりました。では、今日からお食事は精進物をお願いいたします」
秋華が応えて、冬梅は顔をあげた。
「これから、みそぎの場へご案内します」
「はい。準備をいたしますので、少しお待ちください」
璃鈴は、白いみそぎ用の衣に着替える。これは里から持ってきたものだった。
仕度を終え冬梅について行った先は、池の向こうにある竹藪の中だった。その中に、結界の張られた小さな泉がある。こんこんと冷水の湧き出ている泉は、澄んで美しかった。
「ここは、枯れないのですか?」
長の日照りで、黎安の多くの井戸はかれてしまったと聞いている。
「はい。宮城の中には、どれほど日照りが続いても枯れることのない泉がいくつかあるのです。ここはその一つ。巫女のみそぎ専用の泉でございます」
「そうなのですか」
冬梅は、水に入る準備を始めた璃鈴をじっと見守っていた。
「この泉に雨の巫女が入られるのは何年ぶりでしょう……」
おもわず、と言った風で、冬梅が呟いた。
「前の巫女を、ご存じなのですか?」
「はい。以前の巫女は麗香様……陛下のお母様でした。私は、麗香様について参った、里の巫女です」
その言葉に、璃鈴と秋華の二人がそろって顔をあげた。