どさりと長椅子に腰掛けた龍宗に、璃鈴は熱いお茶を差し出す。
「疲労によいお茶だそうですわ。どうぞ」
ふくいくとした香りのそれを、龍宗はじ、と見つめる。
「陛下?」
「……ああ。どうだ、後宮の生活は」
龍宗は、茶に手をつけないまま璃鈴に向き直った。
里の生活は、常に質素だった。それに比べて後宮は、璃鈴が初めて見るものばかりで溢れていた。細かい彫刻の施された柱、凝った刺繍の天幕。朝に夕に、見たこともない豪華な食事が供され、どこにいっても上品な香が焚かれている。
何を見ても珍しく、あれはなにこれは、とおつきの女官たちに聞いては、秋華にはしたない、と諌められていた。
「あちこち見させていただきましたが、初めて見るものばかりでとても楽しいです。その中でも、大きな池の上にあった神楽のことが一番」
「見たのか。あれは、お前のためのものだ」
「近日中に、そちらで舞を奉納いたします」
「ああ。頼む」
そう言って、じ、と龍宗は璃鈴を見つめた。
「舞を……」
「はい?」
「舞を、舞ってくれぬか」
唐突な申し出に、璃鈴は目を丸くした。
「今ですか?」
「ああ。お前の舞姿が見たい」
思いがけず龍宗にねだられて、璃鈴の鼓動がとくりと小さく鳴った。
巫女の舞は娯楽ではないので、本来は人に見せるものではない。特別な場合にのみ、通常の雨ごいの舞とは別の舞を舞うこともある。龍宗が巫女の里で見たのも、その一部だ。
その舞をねだられたことが、璃鈴は嬉しかった。
神族の娘として、また今は皇后として、舞は大切な仕事であり璃鈴のすべてでもあった。舞にはそれぞれ意味があり、璃鈴が里で覚えた舞は五十通り以上にもなる。そのすべてを間違えないように、何度も何度もくり返し覚えるのだ。
他に何もないとしても、舞ができること。それは、璃鈴の誇りだった。
「ええと、では……」
羽扇を取り出して姿勢を正すと、気持ちを落ち着けて璃鈴は舞い始めた。
「それではない」
「え?」
ふいに龍宗が止めた。
「お前が天に捧げるのはその舞ではないだろう?」
「でも……」
「巫女の舞が見たい」
わずかの間戸惑ったが、璃鈴は別の舞を舞うことにした。
それは、始まりの舞と言われるもので、里に来た娘が一番初めに覚える舞だ。簡単な振りつけだが、指の一本一本まで神経を研ぎ澄まさなければその意味をなさないと、厳しく教え込まれる。
相手は皇帝、龍の末裔なのだ。龍神に捧げる舞なのだからよいだろう、と璃鈴は理由をつけることにした。
璃鈴は、まるで息をするように自然な様子でふわりふわりとその舞を舞った。
軽やかに舞うその姿を、龍宗は、身じろぎもせずにじっと見つめている。
終わって龍宗の前に伏せると、龍宗がため息のように言った。
「美しいな」
「あ、ありがとうございます」
褒められた喜びに顔をあげると、璃鈴の視線と龍宗の視線が真っ向から絡まる。
熱のこもったその瞳から、璃鈴は目が離せなくなった。
いつもそうだ。龍宗の瞳は、強い意志を持って璃鈴を絡めとってくる。
「まるで、蛇ににらまれた蛙だな」
その様子を見て、くく、と龍宗が笑った。璃鈴は、ぷ、と頬を膨らませた。
「私はカエルではありません」
「そうだな。……来い」
龍宗は、軽くその手を璃鈴に伸ばした。璃鈴は立ち上がって、誘われるままにその手を取る。
すると龍宗が、璃鈴の手を引いてその指先に口づけた。上からそれを見ていた璃鈴の頬が、か、と熱くなる。
「陛下……」
その姿勢のまま、龍宗は視線だけで璃鈴を見上げた。
「疲労によいお茶だそうですわ。どうぞ」
ふくいくとした香りのそれを、龍宗はじ、と見つめる。
「陛下?」
「……ああ。どうだ、後宮の生活は」
龍宗は、茶に手をつけないまま璃鈴に向き直った。
里の生活は、常に質素だった。それに比べて後宮は、璃鈴が初めて見るものばかりで溢れていた。細かい彫刻の施された柱、凝った刺繍の天幕。朝に夕に、見たこともない豪華な食事が供され、どこにいっても上品な香が焚かれている。
何を見ても珍しく、あれはなにこれは、とおつきの女官たちに聞いては、秋華にはしたない、と諌められていた。
「あちこち見させていただきましたが、初めて見るものばかりでとても楽しいです。その中でも、大きな池の上にあった神楽のことが一番」
「見たのか。あれは、お前のためのものだ」
「近日中に、そちらで舞を奉納いたします」
「ああ。頼む」
そう言って、じ、と龍宗は璃鈴を見つめた。
「舞を……」
「はい?」
「舞を、舞ってくれぬか」
唐突な申し出に、璃鈴は目を丸くした。
「今ですか?」
「ああ。お前の舞姿が見たい」
思いがけず龍宗にねだられて、璃鈴の鼓動がとくりと小さく鳴った。
巫女の舞は娯楽ではないので、本来は人に見せるものではない。特別な場合にのみ、通常の雨ごいの舞とは別の舞を舞うこともある。龍宗が巫女の里で見たのも、その一部だ。
その舞をねだられたことが、璃鈴は嬉しかった。
神族の娘として、また今は皇后として、舞は大切な仕事であり璃鈴のすべてでもあった。舞にはそれぞれ意味があり、璃鈴が里で覚えた舞は五十通り以上にもなる。そのすべてを間違えないように、何度も何度もくり返し覚えるのだ。
他に何もないとしても、舞ができること。それは、璃鈴の誇りだった。
「ええと、では……」
羽扇を取り出して姿勢を正すと、気持ちを落ち着けて璃鈴は舞い始めた。
「それではない」
「え?」
ふいに龍宗が止めた。
「お前が天に捧げるのはその舞ではないだろう?」
「でも……」
「巫女の舞が見たい」
わずかの間戸惑ったが、璃鈴は別の舞を舞うことにした。
それは、始まりの舞と言われるもので、里に来た娘が一番初めに覚える舞だ。簡単な振りつけだが、指の一本一本まで神経を研ぎ澄まさなければその意味をなさないと、厳しく教え込まれる。
相手は皇帝、龍の末裔なのだ。龍神に捧げる舞なのだからよいだろう、と璃鈴は理由をつけることにした。
璃鈴は、まるで息をするように自然な様子でふわりふわりとその舞を舞った。
軽やかに舞うその姿を、龍宗は、身じろぎもせずにじっと見つめている。
終わって龍宗の前に伏せると、龍宗がため息のように言った。
「美しいな」
「あ、ありがとうございます」
褒められた喜びに顔をあげると、璃鈴の視線と龍宗の視線が真っ向から絡まる。
熱のこもったその瞳から、璃鈴は目が離せなくなった。
いつもそうだ。龍宗の瞳は、強い意志を持って璃鈴を絡めとってくる。
「まるで、蛇ににらまれた蛙だな」
その様子を見て、くく、と龍宗が笑った。璃鈴は、ぷ、と頬を膨らませた。
「私はカエルではありません」
「そうだな。……来い」
龍宗は、軽くその手を璃鈴に伸ばした。璃鈴は立ち上がって、誘われるままにその手を取る。
すると龍宗が、璃鈴の手を引いてその指先に口づけた。上からそれを見ていた璃鈴の頬が、か、と熱くなる。
「陛下……」
その姿勢のまま、龍宗は視線だけで璃鈴を見上げた。