「え?! いや……そんな、ことは……」

 その言葉に動揺した秋華は、璃鈴の髪に塗っていた甘い香りのしずくを思わずこぼしてしまった。

「あの、璃鈴様の良いところは若さだけじゃないですし。明るいし、健康だし……あと、他にも……」

 一生懸命璃鈴のいいところを探す秋華に、璃鈴はつい吹き出してしまった。


「ありがとう。……でも、あんな怖そうな人と、私うまくやっていけるかしら」

 再びどんよりとした璃鈴の足元にひざまづくと、秋華は璃鈴の手を握る。

「きっと、璃鈴様なら大丈夫です。なにがあっても、私がお側におります」

 揃えられた璃鈴の膝に手をおいて、秋華は璃鈴を見上げる。

「そうね。……そうよね。秋華がいるんですもの。私も、大丈夫な気がしてきたわ」

「そうですよ。それでは、璃鈴様」

 秋華は立ち上がると、一歩下がって頭を下げる。


「私はこれで失礼いたしますが、今宵はずっと隣の部屋に控えておりますので、何かありましたらお呼びください」

「おやすみなさい、秋華」

 秋華が部屋を出て行ってしまうと、とたんに璃鈴も緊張してしまう。


 今夜は、後宮に入って初めての夜だ。これから、妻としての璃鈴の務めが始まる。

『すべて、陛下の思し召しのままに』

 今夜のことについて、秋華が教えてくれたのはそれだけだ。


 皇后の候補となる巫女たちは、巫女としてのしつけや教育に加えて、十六歳になると皇后としての特別な教育もうける。床の房事もその一つだ。だが十六になったその日に妃として里を出てしまった璃鈴は、まだその講習を受けていなかった。

 皇后という立場が約束されている璃鈴にとっては、皇帝たる夫の気をひくための房術は必要がない。妊娠出産する体については月のものが始まった時に学んできたが、実際に何が行われるのか詳しいことはまだよくわからないのが本当のところだ。


(あの方と、同衾するのよね)

 少なくとも、璃鈴の両親はそうだった。せいぜい、そのくらいの知識しか、今の璃鈴にはない。

 璃鈴は、婚儀の間ずっと隣にいた龍宗を思い出す。


 一年前に会った時は、厳しくともあのような冷たい印象はなかったように思う。けれど今日会った龍宗は、人を寄せ付けない頑なさを感じさせる目をしていた。しかも、嫌々結婚したとばかりの言い方。

(何が気に入らないのかしら。勝手に私を皇后に指名したのはそっちのくせに。なんか、頭に来ちゃう)

 璃鈴が部屋の中でぷりぷりしていると、扉の外から女官の声がかかった。

『皇后様、陛下のおなりです』
「ど、どうぞ」

 緊張しながら、璃鈴が答える。すると、扉があいて入ってきたのは薄い室内着に着替えた龍宗だった。璃鈴の緊張が一気にたかまる。


 璃鈴は、礼儀正しく龍宗の前に膝をついて礼をとる。

「陛下にはご機嫌うるわしく……」

「気などつかわなくていい。一応、俺はお前の夫なのだからな」

 そういうと、璃鈴の横を通って部屋の中央の長椅子にどさりと腰掛けた。大きく息を吐いたところを見ると、やはり龍宗も疲れているようだった。


「何を突っ立ってる。座れ」

 投げやりのように言われ、璃鈴は言われたとおりおとなしくその前の椅子に座る。

 龍宗はそのまま背もたれに体を預けて目を閉じてしまった。二人の間には沈黙が落ちる。

(……それだけ?)