璃鈴の視界に入る足元は、黒い正装。それは、緋色の璃鈴の花嫁衣装と対になる花婿の衣装だ。
「立つがいい」
響く声は低い。緊張しながら璃鈴が立ち上がると、その人物は璃鈴の被り物をめくりあげた。璃鈴は、顔をあげて正面の人物とまっすぐに視線を合わせる。
皇帝、秦龍宗。
二十七歳の若い皇帝は、昨年璃鈴が見た時よりもさらに精悍に引き締まって見えた。わずかも緩みのない口もとが、冴えた月のように冷たい印象を与える。
ほぼ一年ぶりに会う龍宗に、璃鈴の胸は激しく鼓動を打つ。
あの時見たのと同じ瞳だ。
(この方が、私の夫)
璃鈴は、頬が熱くなるのを感じながら震えないように声を出した。
「璃鈴にございます」
雨の巫女でいる間は、生まれた家の姓は失われる。輝加国の皇后は通常の巫女とは違ってその一生を巫女として過ごすため、璃鈴はこれからも姓を持たない。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
そう言って深々と頭を下げ、龍宗の次の言葉を待った。
(顔を見て、やっぱりこれじゃない、って言われたらどうしよう……)
わずかな沈黙のあと、龍宗が言った。
「神族の血を引く娘を皇后として迎えるのは、皇帝の義務だ」
その言葉はつめたい氷の剣のように、璃鈴の胸にうちこまれた。高揚していた気分が一気に冷えていく。
どうやら璃鈴を皇后にと龍宗が望んだのは間違いないようだが、義務感だけしか感じられないその言葉は、とても璃鈴を歓迎しているようには聞こえない。
「さあ、お二人ともこちらへ。これより婚礼の儀を執り行います」
官吏の一人が言って、二人を正面の席へと案内した。龍宗と璃鈴がそこへ座ると、皇帝龍宗の婚姻の儀が始まった。
☆
「盛大なお式でしたね」
秋華が、濡れた璃鈴の髪を丁寧に梳きながら言った。
「疲れたわ……」
湯を使った後でゆったりとした寝衣に着替えた璃鈴は、目を閉じて息を吐く。
婚儀の開かれた大広間には、璃鈴の見た限り数百人にのぼる人々がひしめいていた。その人々が、入れ代わり立ち代わり皇帝夫妻に挨拶に来たのだ。すべて龍宗が応対をしていたので璃鈴が口を開くことはなかったのだが、ただ座っているだけとはいえ、儀が終わって自室に入る頃には心身ともに疲れきっていた。
「そうですね。お疲れ様でした。ですが、皇帝陛下の婚儀ですもの、仕方ありませんわ。幸い、今後はもうあのような大きな場に璃鈴様がおいでになることはほとんどございませんので、しばらくはごゆるりとできますよ」
「……ねえ、秋華」
「はい」
「いくら私が気に入らないとはいえ、あんな言い方しなくてもいいと思わない?」
婚礼の儀は夜半まで続いていたが、その間龍宗は一度も璃鈴と視線を合わせることはなく、その顔に笑みを浮かべることもなかった。人違いだ、と追い出されることはなかったが、その割には喜んでいるようにも見えなかった。
落ち込んでいるような怒っているような璃鈴の様子に、秋華は髪をすく手をとめて苦笑した。
「妻を娶って浮かれる方のようには見えませんでしたが……龍族の皇帝が神族の巫女を娶るのは義務には違いないとはいえ、妻となられる璃鈴様にかける言葉ではありませんよね」
璃鈴の背後に控えていた秋華にも、龍宗の言葉は聞こえていた。さすがにあれはないだろう、と秋華もその件に関しては大いに不満だった。
璃鈴も、しかめっつらになる。
「もしかして、陛下って年若い娘が好みなのかしら。私、一応年だけは一番下だし」
「立つがいい」
響く声は低い。緊張しながら璃鈴が立ち上がると、その人物は璃鈴の被り物をめくりあげた。璃鈴は、顔をあげて正面の人物とまっすぐに視線を合わせる。
皇帝、秦龍宗。
二十七歳の若い皇帝は、昨年璃鈴が見た時よりもさらに精悍に引き締まって見えた。わずかも緩みのない口もとが、冴えた月のように冷たい印象を与える。
ほぼ一年ぶりに会う龍宗に、璃鈴の胸は激しく鼓動を打つ。
あの時見たのと同じ瞳だ。
(この方が、私の夫)
璃鈴は、頬が熱くなるのを感じながら震えないように声を出した。
「璃鈴にございます」
雨の巫女でいる間は、生まれた家の姓は失われる。輝加国の皇后は通常の巫女とは違ってその一生を巫女として過ごすため、璃鈴はこれからも姓を持たない。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
そう言って深々と頭を下げ、龍宗の次の言葉を待った。
(顔を見て、やっぱりこれじゃない、って言われたらどうしよう……)
わずかな沈黙のあと、龍宗が言った。
「神族の血を引く娘を皇后として迎えるのは、皇帝の義務だ」
その言葉はつめたい氷の剣のように、璃鈴の胸にうちこまれた。高揚していた気分が一気に冷えていく。
どうやら璃鈴を皇后にと龍宗が望んだのは間違いないようだが、義務感だけしか感じられないその言葉は、とても璃鈴を歓迎しているようには聞こえない。
「さあ、お二人ともこちらへ。これより婚礼の儀を執り行います」
官吏の一人が言って、二人を正面の席へと案内した。龍宗と璃鈴がそこへ座ると、皇帝龍宗の婚姻の儀が始まった。
☆
「盛大なお式でしたね」
秋華が、濡れた璃鈴の髪を丁寧に梳きながら言った。
「疲れたわ……」
湯を使った後でゆったりとした寝衣に着替えた璃鈴は、目を閉じて息を吐く。
婚儀の開かれた大広間には、璃鈴の見た限り数百人にのぼる人々がひしめいていた。その人々が、入れ代わり立ち代わり皇帝夫妻に挨拶に来たのだ。すべて龍宗が応対をしていたので璃鈴が口を開くことはなかったのだが、ただ座っているだけとはいえ、儀が終わって自室に入る頃には心身ともに疲れきっていた。
「そうですね。お疲れ様でした。ですが、皇帝陛下の婚儀ですもの、仕方ありませんわ。幸い、今後はもうあのような大きな場に璃鈴様がおいでになることはほとんどございませんので、しばらくはごゆるりとできますよ」
「……ねえ、秋華」
「はい」
「いくら私が気に入らないとはいえ、あんな言い方しなくてもいいと思わない?」
婚礼の儀は夜半まで続いていたが、その間龍宗は一度も璃鈴と視線を合わせることはなく、その顔に笑みを浮かべることもなかった。人違いだ、と追い出されることはなかったが、その割には喜んでいるようにも見えなかった。
落ち込んでいるような怒っているような璃鈴の様子に、秋華は髪をすく手をとめて苦笑した。
「妻を娶って浮かれる方のようには見えませんでしたが……龍族の皇帝が神族の巫女を娶るのは義務には違いないとはいえ、妻となられる璃鈴様にかける言葉ではありませんよね」
璃鈴の背後に控えていた秋華にも、龍宗の言葉は聞こえていた。さすがにあれはないだろう、と秋華もその件に関しては大いに不満だった。
璃鈴も、しかめっつらになる。
「もしかして、陛下って年若い娘が好みなのかしら。私、一応年だけは一番下だし」