ヴァーミリオン王国騎士団が警護する中、王国が用意した紋章付きの豪奢な四輪馬車に乗り、民衆が手を振る宮殿を抜け、街を抜け、遥か遠い国境沿いへ向かって進む。
 エーデルシュタイン帝国との花嫁引き渡しが行われる『黒き森』の駐屯地までは、馬車で約三週間かかる。魔法が存在する世界と言えど、大勢の人間を一気に転移するような魔法はまだまだ実験段階だ。
 アイスフェルト公爵領までが一週間なので、これが人生一番の長旅になる。
 不便があることは予想されたが、荷馬車は王国から支給された多額の持参金や嫁入り道具を積んだものが、たった一台だけ。
 残念ながら、公爵家の侍女は誰一人手を挙げてくれなかったので、馴染みの使用人が乗る馬車は一台も後続していない。
 行き遅れるどころか死ぬかもしれない場所に、好き好んで行きたがる人はいなかった。
 聖女の見送りに出てきてくれていた人々に粛々と手を振り終えた私は、ふぅと一息ついて、座席に深く腰掛け直した。
「ごめんなさい、ジェラルド。あなたまで私の不運に巻き込んでしまって」
 眉を下げながら、警護のために付いてきてくれたたった一人の同乗者へ声をかける。
「いえ。私は最後のその時まで、お嬢様と共にいる所存です」
 そう言って薄く微笑みを浮かべた公爵令嬢付きの護衛――ジェラルド・ハインリヒは、ライラック色の長い髪を首元あたりから緩く三つ編みにしている、ロマンス小説に出てくる騎士様のように端正な美貌を持つ二十三歳の青年だ。
 私が五歳の頃、アイスフェルト公爵領で魔物に攫われた時、真っ先に駆けつけてくれたのが、騎士見習いだった十二歳の彼だ。
 ジェラルドは途中までは私を庇って戦ってくれていたが、魔物も彼と同じく水属性だったため相性が悪く戦況は劣勢に。
 それを見て泣き喚いた私の、発現したてでコントロールできていなかった光の魔力が暴走。
 ジェラルドを守るための強固な守護壁だけは作れていたみたいだが、結局、私はそのまま気絶した。
 その後のことは記憶が曖昧でよく覚えていない。
 ただ聞いた話によると、彼が私を抱えて魔物の森から無事生還してくれたらしい。
 その縁をきっかけに、彼の身柄を公爵家が引き取ることになって以来、私の護衛や侍従のような役割を果たしてくれている。
 アイスフェルト公爵領に来るまでの幼少期の記憶が無い彼だが、騎士見習いとして少年期に既に頭角を現していた天才的な剣技の才能はグングンと伸び、今ではアイスフェルト騎士団随一の腕前だ。
 公爵家に住む多くの侍女たちは、この細腰の騎士にメロメロである。
 そんな彼に夢中ではなかった稀有な存在である私付きの侍女ペトラとは、ヴァーミリオン王国でお別れすることになってしまった。
 なんと『ペトラだけは連れて行かないでくれ』と屋敷で懇願してきたお兄様に折れることになったのだ。
 もしかして次期公爵と侍女の禁断愛!?
 なんて展開を期待してみたけれど、ペトラの表情はまるで女騎士が命がけで主に仕える顔だったので、私は首を傾げるほかなかった。
 それから、帝国側から使用人は五人まで連れて来て良いと言われていたものの、予想通り、侍女は誰一人手を挙げてくれなかった。
 そんな状況に眉根を寄せたジェラルドが、『お嬢様の使用人は私だけで十分です』と名乗りを上げてくれなければ、危うく心細いひとり旅になるところだった。
「ありがとう。投獄の件と言い、今回と言い、ジェラルドには小さな頃からいつも助けてもらってばかりね。でも、本当なら、私は主人としてあなたに素敵なお嫁さんを見つけなくちゃいけなかったのに……」
「私の幸せはお嬢様のお側にいることだと何度も申しています。私のことは、どうかお気になさらず」
「そう? ジェラルドもペトラもすぐそういうことを言うから、本気にはできないわ」
 私はそう言って、つい唇を尖らせる。
 その仕草を見て、斜め前に座っていたジェラルドはきょとんとした表情を見せた。
「この一週間で……お嬢様は変わられましたね。どこか吹っ切れたというか、振り切っているというか」
「あ、ああ〜っ。人生観が少し変わったのよ、牢獄で! なんだか、そう、色々あって」
 しまった! 前の私はもっと眉間にシワを寄せた悪役顔が多くて、こんなに表情豊かじゃなかったはず。
 前世で染み付いた庶民の仕草が自然とダダ漏れに……っ!
 わたわたとあちこちに手を動かしながら言い終えると、「おほほほ」と口元を上品に隠して取り繕う。
 私の余りの慌てっぷりに、ジェラルドはふっと吹き出すと小さく肩を揺らして笑った。
「っふふ。私はそんなお嬢様も好きですよ、可愛らしくて。いつもは小心者の内面に反して悪役面……ではなく、ツンとしたお澄まし顔ばかりでしたから」
「も、もう。ジェラルドったら!」
 褒めてるのか貶してるのかわからないわ、と私はむっと膨れてそっぽを向く。
「……このままずっと、可愛らしいお嬢様を独り占めできればいいのに」
 ジェラルドが切ない表情でなにかをぽそりと呟く。その瞬間、馬車の車輪がでこぼことした道に取られて、ガタン! と大きな音を立てた。
「ごめんなさい、ジェラルド。聞こえなかったからもう一度言ってもらえるかしら?」
「……いえ。たいしたことでは、ありませんので」
 ジェラルドは今にも泣き出しそうに顔を歪め、なにかを振り切るように首を横に振る。
 そして、ふっとやわらかな笑みを浮かべた。
「あの時は私の力不足のせいで、お嬢様をお守りすることができませんでしたから……。今度こそ、私にお嬢様を守らせてください」
 あの時、とは投獄された日のことだろうか?
「そんなこと、今となってはもう気にしていないのに。でも、ありがとう」
 王都を抜けていた馬車は、いよいよ青々と草木が茂る森へ差し掛かる。
 車窓には、これから待ち受ける運命を忘れさせるほど長閑な風景が流れていた。