ヴァーミリオン王国の王侯貴族達が一堂に会した議会では、昨夜起きた事件に関して、改めて取り調べが行われていた。
 公正を期すためにと玉座へ着いた国王が進行を取り仕切る中、アイスフェルト公爵が証人として招いたエミリアの友人の一人である侯爵令嬢が、アイスフェルト公爵令嬢の護衛であるジェラルド・ハインリヒにエスコートされながら現れる。
 熱に浮かされたような視線でジェラルドを見上げる侯爵令嬢に、彼がまるで恋人のように優しく頷くと、彼女は意を決したようにこくりと固唾を呑んだ。
「……アーニャ様への数々の行為は、全てわたくしが先導致しました。決して、エミリア様が行ったことではありません」
 震える声で真実を語り始めた彼女の姿に、ジェラルドは内心ほっと胸を撫で下ろす。
 王宮で暮らす貴族令嬢や、アーニャと同じく侍女として働く行儀見習いの令嬢達は、アーニャの礼儀に欠けた数々の行為と令嬢達の間で人気の殿方達との親密な態度に日々怒りが募っていた。
 その内に誰かが『アルフォンス殿下の婚約者はエミリア様ですのに。エミリア様がお可哀想だわ』と言い出し、それまではアーニャの悪い噂を立てる程度だった嫌がらせは『エミリア様のために』を免罪符にエスカレート。
 いつの間にか歯止めが効かなくなっていたらしい。
「エミリア様は、今まで築いてきたものを全てアーニャ様に奪われたのです! わたくし達は皆、エミリア様のためにアーニャ様を断罪していただけで、聖女の名を穢そうなどとは考えてもいませんでした。それを、殿下が……あの様な場でっ」
 とうとう泣き出してしまった侯爵令嬢へ、ジェラルドは「ありがとうございます」と囁くように伝え、彼女の肩をそっと支えた。
「僭越ながら、私はこちらを証拠品として提出致します。お嬢様が幼い頃から日常を綴り、近しい使用人とやり取りをしている日記です。こちらには、アーニャ様と出会ってからの三年分を持参させて頂きました」
 アーニャを虐げる意思は全くなかったことを証明する証拠として、エミリア付きの護衛ジェラルドは、主人であるエミリア発案で自分や侍女のペトラを交えて十年も続けられている日記を提出する。
 エミリアが七歳の頃だったか。朝食を食べながら、
『今朝、夢で〝交換日記〟というのを見たの。夢の世界で仲良しの少女たちと書いた日記を交換したり、コメントを書き込んだりして、なんだかとっても楽しかったわ! だからジェラルド、ペトラ。今日から一緒に〝交換日記〟を始めましょ!』
 と言い出した時は三日で終わると思っていたが、こうして十年も続くことになり、まさか彼女の無実を証明するために証拠品として提出できる日が来るとは思ってもみなかった。
 ジェラルドがエミリアを助けるために昨夜必死で付箋をつけた箇所には、彼女がアーニャのことを『天真爛漫で可憐な女性です』と評したり、『公爵令嬢として彼女の味方になることができるならば』と、令嬢達に命に関わる呪いを掛けられていた彼女を助けた時の思いの丈が、熱く綴られていた。
 宮廷魔術師が該当する日記に鑑識魔法をかけると、それが正しくエミリアの筆跡で嘘偽りのない言葉ということが判明する。
「僕からはこの研究資料を。エミリア嬢が、兄さんの先祖返り進行度に関して記した論文です」
 第二王子テオドールは、東の国で『先祖返りを抑える魔法薬』の研究をしていたこともあり、留学中にエミリアが『見て欲しい』と自分宛てに送ってきた論文を証拠として提出した。
 彼女が日々研究成果していたことをまとめた論文には、東の国に伝わる漢方薬が持つ先祖返り抑制効果について記されており、エミリアが未来の王太子殿下妃であり聖女として彼を陰ながら支えようとしていたことが明らかになる。
 極め付けは、王妃の言葉だった。
「わたくしは一度だけ、アーニャへわたくしと共に女神へ祈りを捧げることを特別に許可致しましたが、わたくしの許可なく神殿へ入ることを許可した覚えはありません。エミリアはすでにわたくしのもの……娘、同然でした」
 王妃は一瞬闇を纏った微笑みを浮かべ、すっと扇子で顔を隠して優雅に取り繕う。
 その表情の変化に気がついたのは、アイスフェルト公爵とジェラルドだけであったが、今は彼女に構わずとも良いだろう。
 とにかく、こうしてアルフォンス側に非があることが明白となった。
「どうやら、〝聖女の名を穢した罪〟を背負うのはアルフォンスのようだな。アイスフェルト公爵やエミリア嬢に、一体どのようにして詫びるのが適切か……わかるか?」
「……っ、大変……申し訳、ありません」
 国王は静かに、全ての言い分と証拠が覆された息子を見下ろした。
 騒動の中心には第四王子や数人の貴族も含まれているが、昨夜の出来事は王太子の名の下に行われたことなので、ここには彼だけが呼び出され、他の者達は謹慎処分となっている。
 アーニャ・アンネリースには、権利を剥奪されたエミリアの代わりに女神へ正式な祈りを捧げるための厳しい修行が待っていた。
 アルフォンスは自身が思ってもいなかった事の結末に、苦虫を潰したような表情で、拳を握りしめて頭を下げる。
 一体どのようにして罪を償うべきか考えるだけで背筋が凍った。
「愚か者に、この国を背負う資格はない。即刻、王位継承権を剥奪し王族籍を――」
「お待ちください陛下」
 国王の無情な断罪に、アルフォンスが大きく目を見開いたその時。
 国王の言葉を恭しく遮ったのは、この国の宰相を務める口髭を蓄えた壮年の男、アイスフェルト公爵だった。
「娘は、王太子殿下やアーニャ様を支えるために様々な行為をしてきました。しかしお二方へ多大な迷惑をかけてしまったことも事実です。それでももし、私や娘に謝罪をしていただけるのであれば……そうですな。アルフォンス殿下には『王族』として、今後も国のために励んでいただきたい。アルフォンス殿下の命を慮っていた彼女の努力を、無駄になさらないでいただきたいのです」
 アイスフェルト公爵の訴えに、国王は深く頷く。
「そう言ってくれるか。貴殿の寛大な心と、エミリア嬢の慈悲深さに感謝する」
 国王は心底申し訳なさそうな表情で、ゆっくりと頭を下げた。
 その時だった。書状を持った侍従長が顔を真っ青にしながら国王へ駆け寄り、慌てふためいた様子でそっと耳打ちする。
 至急確認して頂きたいものが、と渡された書状を国王は静かに受け取った。
 一度場を制して、中に目を通すと……それは、危惧していた状況に関するものだった。
「そうか……うむ。ここに、エーデルシュタイン帝国より皇帝陛下との婚姻の話がきている」
 国王が発言した瞬間、静まり返っていた議会は「やはりこうなってしまったか」「だから早く手を打たねばとあれほど申したではないか」という声が飛び、この世の終わりのように騒めいた。
 エーデルシュタイン帝国は古代種が住まう強国だ。
 この大陸の中心に位置しており、四方八方を魔物の住まう危険で広大な『黒き森』に囲まれているせいで〝甘美な毒〟を摂取せずに済んだのか、陸続きの他国の影響を受けることなく現代に至る。
 近頃、その『黒き森』で先祖返りとして生まれた者達が力を暴走させ、ドラゴンの姿で魔物狩りをしていることは、王国中枢の者達にとって頭の痛い事案であった。
「皇妃候補には次期聖女を寄越せと書いてある。この意味がわかるか? アルフォンス」
「アーニャを……? 私達のことがバレてしまったのでしょうか……!」
『黒き森』はどの国にも属さない不可侵領域だが、ドラゴンに転化できる古代種でなければ渡り合えないような凶暴な魔物も出るため、エーデルシュタイン帝国が各王国と条約を結び、帝国騎士団を『黒き森』に駐屯させて警護している。
 その条約のために膨大な国費が帝国側へ支払われているが、ヴァーミリオン王国の国境周辺に人間を襲うレベルの魔物が入って来ないのは、帝国騎士団の奮闘のお陰だった。
 そんな場所で所属不明のドラゴンが魔物の惨殺を繰り返していれば、当然帝国側には侵略の意があるとみなされるだろう。
 帝国側に有利な条約が結ばれている以上、黙って見過ごされるわけがないのだ。
「お前達先祖返り達が彼女と共に無断で行なっている魔物の殲滅は、この国の外交問題にまで発展しているということだ。まさかドラゴンに転化すれば帝国にバレないとでも思っていたのか? 帝国と戦争になれば、お前はどう責任を取るつもりだった」
 国王はアルフォンスを強く責めながら睨みつける。
 いくら帝国の人口が少ないとは言え、人間とは比べものにならない魔力を持った古代種達と今戦争になりでもしたら堪らない。
 この国の精鋭と呼ばれる宮廷魔術師や騎士団と数頭の先祖返り(ドラゴン)で束になってかかったとしても、勝てる見込みは無いだろう。
 ヴァーミリオン王国としても戦意はないことを示すために、この婚姻の申し出は極めて有難いものだった。
 それが例え『婚姻』とは名ばかりで、輿入れした次期聖女が『生贄』として食われる可能性があっても。
「では、昨夜アルフォンスによって任命された次期聖女を皇妃候補として輿入れすることで、異論はないか?」
「恐れながら国王陛下。宰相としての立場から申し上げるならば、長らく正当な次期聖女であった者の方が適切かと。どうかこの国の平和のために皇妃候補には――私の娘を」
 すっと手を挙げて意見を述べたのは、アイスフェルト公爵だった。
「私の娘ならば、確かに昨夜まで次期聖女でした。公爵令嬢という生い立ちからも、皇帝陛下への非礼には当たらないでしょう。幸いにも昨夜婚約を解消されましたので、婚約者はおりません」
 貴族達は宰相の言葉に大きく相槌を打つ。
 アーニャは次期聖女に就任して一日も経っていない。
 その上、平民出身の宮廷侍女であると帝国へバレれば、謀られたと思われて戦争に発展する可能性も考えられた。
 昨夜の出来事を見てしまった人間全員に箝口令を敷き、国民へは『次期聖女をエミリアが辞めることになったのは、ディートリヒ皇帝陛下との婚約のため』と正式発表してから、アーニャを後釜に据えるのが最も適切と言えよう。
「アイスフェルト公爵、貴殿はそれで本当に良いのか? せっかく、エミリア嬢を救うことができたというのに、これではあまりにも……」
「正直に申すならば、身を切るような決断です。しかしこれが帝国の溜飲を下げ、国民による王室への反発も抑えることができる唯一の手でしょう」
 宰相が提案した策以外、この国が持つ手立てはなかった。
「アルフォンス殿下」
 アイスフェルト公爵は国王へ向けていた体をアルフォンスへ向け、優しげな笑みを零す。
 しかしアルフォンスには、それが嵐の前の静けさや逢う魔が時の空のような、得体の知れない恐怖を運んでくる笑みだと瞬時にわかった。
 彼は、思わずゴクリと固唾を呑む。
「アルフォンス殿下が起こされた騒動で、私の娘は酷く傷ついた。だからこそ、殿下にはアーニャ様を妃としていただき、必ずや幸せになっていただかなくては困ります。そしていつまでも覚えていてくださいませ、殿下。あなたはアイスフェルト公爵家と……――エミリア・フォン・アイスフェルトの慈悲によって、その命を生かされていると」
 アルフォンスは、まるで首筋にひたりと剣を突きつけられたような気がした。
 これから先に待ち受ける自分とアーニャの運命に、ひゅっと喉が狭くなる。
 今、自分は冷徹な宰相から生涯をかけて罪を償えと言われているのだ。それも、王侯貴族が集う議会の前で。
 自分の不甲斐なさに、アルフォンスは奥歯を噛みしめる。
 ……こうなってしまった全ての発端は、満月の塔でアーニャにドラゴンの姿を見られたことだった。
『辛いことなんて、何もありません。でも……アルフォンス様の前だけでは、泣いてもいいですか?』
 それがいつの間にか彼女が持つ〝甘美な毒〟に引き寄せられ、恋に落ち、盲目になり……。
 将来この国を背負う者として、次期聖女や王太子妃には『公爵令嬢だから』と傲慢に振る舞うエミリアではなく、誰よりも純粋なアーニャが必要だと思った。
 アーニャしかいないと、信じていた。
 それなのに真実を見てみればどうだ?
 自分はこの国を危険に晒し、あまつさえ陰ながら支えてくれていた彼女を、この国の平和を守るための生贄にまでしてしまった。――私は、なんて浅はかなことを。
「アルフォンス。お前の王位継承権は剥奪するが、アイスフェルト公爵の言葉通り、お前を王族から廃することはしない。お前はエミリア嬢に二度ならず三度までも、こうして命を救われている。その事実、そしてお前の犯した罪の大きさをしっかりと肝に命じよ」
「……っ、はい。私の……生涯を通して、罪を、償わせていただきます」
 アルフォンスはぐっと両手の拳を握りしめ、謝罪のために深く頭を垂れる。
 国王は王妃と顔を見合わせひとつ頷くと、議会に集まる面々を見渡した。
「この国の繁栄のために、エミリア・フォン・アイスフェルト嬢にエーデルシュタイン帝国との婚姻を結んでもらう。すぐに婚約の承諾を伝える使節団を派遣せよ」
 ――こうして、エミリアの預かり知らぬところで、古代種への生贄という名の『政略結婚』が決定したのであった。