そのあとショップで土産物を見て回った。
クッキーやチョコレート、マグカップにぬいぐるみ。
ゆずきは楽しそうにそれらを眺める。
「ねえ見てー、かわいくない?」
彼女が手にしたのは、小さなキーホルダーだった。
カラフルなビーズを組み合わせて花を象ったキーホルダー。
「かわいいね」
何につけてもオシャレなワンポイントになりそうだ。
「でしょー」
彼女に買ってあげたら、喜んでくれるかな。
「僕がプレゼントするよ」
そう提案すると、ゆずきは目を輝かせて「ほんと! うれしい!」とはしゃぎ、さらに「じゃあ、じゃあ、わたしもコウくんに贈るね」ともうひとつ手に取った。
「これで『おそろ』だね」
――おそろ!
ずきゅん。
少女漫画だったら間違いなく、僕の胸元にこんな擬音が現れただろう。それもアップで。
初デートの記念に、形に残るものを、おそろいで。
それをたとえば、それぞれ通学カバンやペンケースなんかにつけていたら、ふたりが恋人同士だってことを公然と周知することにもなる。
ゆずきは、それでいいのかな? むしろ望んでる?
そんなことを考えていたとき、
「わあ、面白そう!」
レジに向かおうとしていた彼女があるものに目を付けた。
「へえ、こんなのも売ってるんだ」
行楽地のショップにあるのは珍しい気がする。それは白いビニルシートらしきもので、小さく折りたたまれて袋に入っていた。
『カイト』と呼ぶらしい。洋凧のことだ。
商品説明に、近くの砂丘で楽しめます、と書いてあった。
「ねえねえ、上げてみよ!」
お土産買ったらもうそろそろ帰る時間かな、なんて思っていたけれど、ぴょんぴょん跳ねながらリクエストしてくるゆずきにノーとは言えない。
「やってみますか」
力強く答えると、彼女は顔をくしゃくしゃにして「やったー」と喜んだ。
ショップを出てしばらく歩くと、すぐに砂丘が見えた。
日差しはやわらぎ、海はとても穏やかだった。
袋からカイトを取り出し、裏返して砂の上に広げる。
それから左右につっかえ棒を取りつけ、凧糸をフックに結んだ。しゃがみこんで作業する僕を、ゆずきも同じ体勢で覗きこんできた。
……顔、めっちゃ近いし!
風に揺れる彼女の髪が僕の頬を撫でる。
なんとか必死に心を落ち着かせ、フックを本体の穴につけた。
「よし、できた」
「いい感じだね!」
カイトはシンプルな白を基調に、青と水色のラインが縁どられている。
立ち上がり、三角の頂点が風に向かっていくように持った。
「うまく飛ぶかな」
ゆずきが空を見た。髪を揺らす程度のわずかな風しかない。
僕も少し心配だった。
「どうだろう」
背中に風が当たる向きに立ち、助走なしで手を離す。
と――
カイトは微風でもゆらーりと浮かび、勝手にどんどんと上がっていった。
「わあー! すごいすごい!」
ゆずきが隣でぴょんぴょん跳ねて手を叩く。
糸巻きを回し、凧糸を長く出していった。
カイトはしばらく、波間をたゆたう小舟のように揺れて、それから空をゆったりと流れた。
どうやら安定したようだ。
「なんか不思議」
思わず口にした。
「ん?」
つぶやいた僕をゆずきが見つめる。
「この、糸を引く感触がね」
「どんな感じ?」
「空が呼吸してるみたい」
「やっぱコウくんは違うね」
「何が?」
「表現のしかたが」
「変だったかな」
「ううん、素敵」
何気なく使った言葉をゆずきが感心してくれた。なんかうれしい。
「ゆずきもやってみる?」
僕は凧糸を差し出した。
「うまくできるかな」
「大丈夫。和凧より扱いやすいよ。でも、しっかり持ってね」
「うん」
ゆずきの薬指と小指が僕の親指と人差し指を包む。
触れ合う指先の感触に全神経が集中した。
やけに心臓がうるさい。
「もっと強く握って」
僕は糸を持たない左手で彼女の拳を包み返した。
白くてきれいな手だった。
「じゃあ、離すよ」
「うん」
ゆずきが軽く糸を手繰り寄せる。上空のカイトも応えるように揺れた。
「ほんとだね」
空を見上げてしみじみとつぶやく彼女に、「何が?」と短く問い返す。
「空が呼吸してるみたい」
「ああ」
さっきの、僕の言葉。
「この、凧糸の感触。すごく好き」
「いいよね」
「なんか、つながってる感じがするの」
「何と?」
「空と。……それから、いつも空から見てくれてる、お父さん、お母さんとも」
――いつも空から見てくれてる、お父さん、お母さん……。
ゆずきはそう言った。
それってつまり……。
――僕の小説。
そこに描かれた彼女は、転校してきてからすぐに学校生活に慣れ、友達もたくさんできる。
でも、そんな日常の中で、僕は見逃さなかった。
時折目にする彼女の切ない表情を。
ある日の放課後、ひとり教室に残っていた僕は、忘れ物を取りに戻ってきたゆずきとばったり会う。そこで何か悩んでいることはないかと聞く。
すると、彼女は自分が必死に隠し通してきたはずの憂いを僕が察したことに驚く。
『もし話して少しは楽になるんだったら、聞くよ』
『ううん、なんでもないの。ありがと』
そのときの彼女はまだ、自分の深い部分を話そうとはしない。
僕の書きかけの小説では、今日のデート・パートまでの間、いまだ彼女はそれを打ち明けていない。まだ書いていないのだ――。
それをいま、彼女が話そうとしている。話してくれようとしている。
僕が小説には書いていない、彼女の秘密を。
「ゆずのご両親は……」
なんて口にしたらよいのかわからず、途中で言葉が止まった。
「わたしがちっちゃかった頃、事故で亡くなったの」
憂いを帯びた彼女の瞳に、胸がチクチクと痛んだ。
幼少期に、事故で。
一緒だ。僕が小説に書こうとしていた彼女の過去と。
「車の事故でね」
彼女がなぜか笑った。少しでもしんみりとつぶやいたら、いまにも涙が出そうだといわんばかりに。
事故死した両親。
小説の設計図ともいえるプロットの段階では、そんな設定にしてみたらドラマチックになるじゃないかなんて思って。
僕は最低だ。
何も考えずに思いついて。
ほんとにその立場になったら耐えられもしないくせに、想像力もないままに。
バカすぎる。
いまの彼女を見ていたら、両親を亡くしたなんて設定、すべて消し去ってしまいたかった。
ゆずきがあまりに不憫だ。
「もう、悲しくはないの」
まるで僕の心を読んだように、彼女が言った。
「だって、いつだって見ててくれるから」
その言葉はほんとのほんとにゆずきが感じていることなんだろうって思ったから、僕はただ、
「うん」
とうなずいた。
「それにね、」
ゆずきが僕を見つめる。
太陽はいつの間にか、西の水平線に傾きかけていた。
海がうっすらと橙色に染まっている。
「コウくんにも事故のこと、ちゃんと話しておきなさいって言われたの」
「ん? 誰に?」
「お母さん」
彼女の唇の隙間から、しっとりとした息遣いが聞こえた。
「そうだったんだ」
いままで誰にも話さずにいたことを、彼女は初めて僕に打ち明けてくれたのか。
「わたしもね、コウくんには知っておいてほしかった」
――このひとには自分の秘密を、自分の過去を話しておきたい。
――このひとにはもっと自分のことを知ってほしい。
ゆずきがそんな思いを持ってくれたんだったら……、
「ありがと」
そんなの、うれしすぎるって。
「もっと早く言えなくて、ごめんね」
「全然。そんなの気にしないで」
申し訳なさそうにうつむく彼女の頭を優しく撫でた。
それはいつもなら、相当に勇気のいる行動だったけど、このときは無性にそうしたかった。
ゆずきは顔を上げると、目を細めて笑う。
ああ、いいなあ。
いとおしさが込み上げた。
ゆずきはやっぱり、笑顔が似合う。
「手、つないでいい?」
思いきって聞いてみた。
彼女は一瞬ぽかんとしてから、
「うん!」
とうなずく。
右手で凧糸を受け取ると、左手にゆずきの指が絡みついてきた。
手のひらから彼女のぬくもりが伝わってくる。
「ゆずの手、あったかい」
「コウくんも」
漂うカイト。
空とつながる僕。そして、ゆずき。
「みんなつながってるね」
彼女がうれしそうに見上げた。
その目はなぜか少し涙ぐんでいるようにも見えたけど、僕はまた、
「うん」
とだけうなずいて、つないだ手をしっかりと握り直した。
あらためて思った。
いつかゆずきを、僕の書く物語のヒロインにしたい。
小説の中じゃなくて。
演劇部の公演で。僕の脚本で。
僕の思い描いた世界を、現実の舞台で演じる彼女を見てみたかった。
クッキーやチョコレート、マグカップにぬいぐるみ。
ゆずきは楽しそうにそれらを眺める。
「ねえ見てー、かわいくない?」
彼女が手にしたのは、小さなキーホルダーだった。
カラフルなビーズを組み合わせて花を象ったキーホルダー。
「かわいいね」
何につけてもオシャレなワンポイントになりそうだ。
「でしょー」
彼女に買ってあげたら、喜んでくれるかな。
「僕がプレゼントするよ」
そう提案すると、ゆずきは目を輝かせて「ほんと! うれしい!」とはしゃぎ、さらに「じゃあ、じゃあ、わたしもコウくんに贈るね」ともうひとつ手に取った。
「これで『おそろ』だね」
――おそろ!
ずきゅん。
少女漫画だったら間違いなく、僕の胸元にこんな擬音が現れただろう。それもアップで。
初デートの記念に、形に残るものを、おそろいで。
それをたとえば、それぞれ通学カバンやペンケースなんかにつけていたら、ふたりが恋人同士だってことを公然と周知することにもなる。
ゆずきは、それでいいのかな? むしろ望んでる?
そんなことを考えていたとき、
「わあ、面白そう!」
レジに向かおうとしていた彼女があるものに目を付けた。
「へえ、こんなのも売ってるんだ」
行楽地のショップにあるのは珍しい気がする。それは白いビニルシートらしきもので、小さく折りたたまれて袋に入っていた。
『カイト』と呼ぶらしい。洋凧のことだ。
商品説明に、近くの砂丘で楽しめます、と書いてあった。
「ねえねえ、上げてみよ!」
お土産買ったらもうそろそろ帰る時間かな、なんて思っていたけれど、ぴょんぴょん跳ねながらリクエストしてくるゆずきにノーとは言えない。
「やってみますか」
力強く答えると、彼女は顔をくしゃくしゃにして「やったー」と喜んだ。
ショップを出てしばらく歩くと、すぐに砂丘が見えた。
日差しはやわらぎ、海はとても穏やかだった。
袋からカイトを取り出し、裏返して砂の上に広げる。
それから左右につっかえ棒を取りつけ、凧糸をフックに結んだ。しゃがみこんで作業する僕を、ゆずきも同じ体勢で覗きこんできた。
……顔、めっちゃ近いし!
風に揺れる彼女の髪が僕の頬を撫でる。
なんとか必死に心を落ち着かせ、フックを本体の穴につけた。
「よし、できた」
「いい感じだね!」
カイトはシンプルな白を基調に、青と水色のラインが縁どられている。
立ち上がり、三角の頂点が風に向かっていくように持った。
「うまく飛ぶかな」
ゆずきが空を見た。髪を揺らす程度のわずかな風しかない。
僕も少し心配だった。
「どうだろう」
背中に風が当たる向きに立ち、助走なしで手を離す。
と――
カイトは微風でもゆらーりと浮かび、勝手にどんどんと上がっていった。
「わあー! すごいすごい!」
ゆずきが隣でぴょんぴょん跳ねて手を叩く。
糸巻きを回し、凧糸を長く出していった。
カイトはしばらく、波間をたゆたう小舟のように揺れて、それから空をゆったりと流れた。
どうやら安定したようだ。
「なんか不思議」
思わず口にした。
「ん?」
つぶやいた僕をゆずきが見つめる。
「この、糸を引く感触がね」
「どんな感じ?」
「空が呼吸してるみたい」
「やっぱコウくんは違うね」
「何が?」
「表現のしかたが」
「変だったかな」
「ううん、素敵」
何気なく使った言葉をゆずきが感心してくれた。なんかうれしい。
「ゆずきもやってみる?」
僕は凧糸を差し出した。
「うまくできるかな」
「大丈夫。和凧より扱いやすいよ。でも、しっかり持ってね」
「うん」
ゆずきの薬指と小指が僕の親指と人差し指を包む。
触れ合う指先の感触に全神経が集中した。
やけに心臓がうるさい。
「もっと強く握って」
僕は糸を持たない左手で彼女の拳を包み返した。
白くてきれいな手だった。
「じゃあ、離すよ」
「うん」
ゆずきが軽く糸を手繰り寄せる。上空のカイトも応えるように揺れた。
「ほんとだね」
空を見上げてしみじみとつぶやく彼女に、「何が?」と短く問い返す。
「空が呼吸してるみたい」
「ああ」
さっきの、僕の言葉。
「この、凧糸の感触。すごく好き」
「いいよね」
「なんか、つながってる感じがするの」
「何と?」
「空と。……それから、いつも空から見てくれてる、お父さん、お母さんとも」
――いつも空から見てくれてる、お父さん、お母さん……。
ゆずきはそう言った。
それってつまり……。
――僕の小説。
そこに描かれた彼女は、転校してきてからすぐに学校生活に慣れ、友達もたくさんできる。
でも、そんな日常の中で、僕は見逃さなかった。
時折目にする彼女の切ない表情を。
ある日の放課後、ひとり教室に残っていた僕は、忘れ物を取りに戻ってきたゆずきとばったり会う。そこで何か悩んでいることはないかと聞く。
すると、彼女は自分が必死に隠し通してきたはずの憂いを僕が察したことに驚く。
『もし話して少しは楽になるんだったら、聞くよ』
『ううん、なんでもないの。ありがと』
そのときの彼女はまだ、自分の深い部分を話そうとはしない。
僕の書きかけの小説では、今日のデート・パートまでの間、いまだ彼女はそれを打ち明けていない。まだ書いていないのだ――。
それをいま、彼女が話そうとしている。話してくれようとしている。
僕が小説には書いていない、彼女の秘密を。
「ゆずのご両親は……」
なんて口にしたらよいのかわからず、途中で言葉が止まった。
「わたしがちっちゃかった頃、事故で亡くなったの」
憂いを帯びた彼女の瞳に、胸がチクチクと痛んだ。
幼少期に、事故で。
一緒だ。僕が小説に書こうとしていた彼女の過去と。
「車の事故でね」
彼女がなぜか笑った。少しでもしんみりとつぶやいたら、いまにも涙が出そうだといわんばかりに。
事故死した両親。
小説の設計図ともいえるプロットの段階では、そんな設定にしてみたらドラマチックになるじゃないかなんて思って。
僕は最低だ。
何も考えずに思いついて。
ほんとにその立場になったら耐えられもしないくせに、想像力もないままに。
バカすぎる。
いまの彼女を見ていたら、両親を亡くしたなんて設定、すべて消し去ってしまいたかった。
ゆずきがあまりに不憫だ。
「もう、悲しくはないの」
まるで僕の心を読んだように、彼女が言った。
「だって、いつだって見ててくれるから」
その言葉はほんとのほんとにゆずきが感じていることなんだろうって思ったから、僕はただ、
「うん」
とうなずいた。
「それにね、」
ゆずきが僕を見つめる。
太陽はいつの間にか、西の水平線に傾きかけていた。
海がうっすらと橙色に染まっている。
「コウくんにも事故のこと、ちゃんと話しておきなさいって言われたの」
「ん? 誰に?」
「お母さん」
彼女の唇の隙間から、しっとりとした息遣いが聞こえた。
「そうだったんだ」
いままで誰にも話さずにいたことを、彼女は初めて僕に打ち明けてくれたのか。
「わたしもね、コウくんには知っておいてほしかった」
――このひとには自分の秘密を、自分の過去を話しておきたい。
――このひとにはもっと自分のことを知ってほしい。
ゆずきがそんな思いを持ってくれたんだったら……、
「ありがと」
そんなの、うれしすぎるって。
「もっと早く言えなくて、ごめんね」
「全然。そんなの気にしないで」
申し訳なさそうにうつむく彼女の頭を優しく撫でた。
それはいつもなら、相当に勇気のいる行動だったけど、このときは無性にそうしたかった。
ゆずきは顔を上げると、目を細めて笑う。
ああ、いいなあ。
いとおしさが込み上げた。
ゆずきはやっぱり、笑顔が似合う。
「手、つないでいい?」
思いきって聞いてみた。
彼女は一瞬ぽかんとしてから、
「うん!」
とうなずく。
右手で凧糸を受け取ると、左手にゆずきの指が絡みついてきた。
手のひらから彼女のぬくもりが伝わってくる。
「ゆずの手、あったかい」
「コウくんも」
漂うカイト。
空とつながる僕。そして、ゆずき。
「みんなつながってるね」
彼女がうれしそうに見上げた。
その目はなぜか少し涙ぐんでいるようにも見えたけど、僕はまた、
「うん」
とだけうなずいて、つないだ手をしっかりと握り直した。
あらためて思った。
いつかゆずきを、僕の書く物語のヒロインにしたい。
小説の中じゃなくて。
演劇部の公演で。僕の脚本で。
僕の思い描いた世界を、現実の舞台で演じる彼女を見てみたかった。