腕時計が、午後三時を指し示す。
僕はその瞬間を、資料室の扉の前で迎えた。
宝物である虹色の本を見つけることはできた。時間までに資料室まで戻ってくることもできた。それでも、僕にはこの目の前の扉を開けてゴールすることだけはしなかった。ゴールしないことを、自ら選んだ。
すると、僕が開けなかった扉が、静かに内側から開かれた。
「悠里君、おかえりなさい」
「先輩……」
中から姿を現した奈津美先輩を、僕は静かに見つめる。
「今回の勝負は、私の勝ちね」
「ええ。僕の……負けです」
奈津美先輩はいつものように胸を張ることもなく、ただ穏やかに微笑みながら自分の勝ちを宣言する。
そんな奈津美先輩に向かって、僕は本を見せながら苦笑した。
「先輩は、やっぱりずるいです。この本のメッセージを読んだら、この扉を開けられるわけないじゃないですか」
本に書かれたメッセージを読んだ後、僕は真菜さんに電話した。
そうしたら、真菜さんはあっさりと僕の予想を肯定してくれた。真菜さんは、奈津美先輩の依頼で僕の前に現れたのだ。学校に着いた時、校門のところで僕が何やら考え込んでいたら、声を掛けてやってほしい。奈津美先輩から、そうお願いされたと言っていた。
実際には使用されなかったけど、きっと他にも僕を助けるための仕掛けは用意されていたのだろう。
奈津美先輩は最初から、僕を本のところへ辿り着かせるつもりだったんだ。なぜなら、そうしなければこの勝負の意味がなくなってしまうから。
宝探しの中で僕にこれまでの日々を振り返らせ、あの桜の木の下でこの本のメッセージ――〝伝えたいこと〟を読ませる。これこそ、先輩が僕との勝負で思い描いていたシナリオだったのだ。
そして、先輩に勝つことで頭がいっぱいだった僕は、まんまと先輩の思惑通りに動かされた。見事に乗せられてしまったわけだ。その点でも完敗である。
「先輩が木の葉をつけて戻って来たのも、僕にヒントを与えるためだったんですよね。僕がどこかで行き詰ってしまっても、あの桜の木に辿り着けるようにって」
「え? ……あ! うん。そう。そうなのよ! さすが悠里君ね。君なら、私の意図に気が付くと思っていたわ!」
「…………」
わざとらしく何度も頷く奈津美先輩に、白けた視線を向ける。
どうやら木の葉については、単純に先輩が天然さを発揮しただけらしい。これは僕の深読みだったようだ。
何だか微妙な空気が流れてしまったが、真面目な話へと引き戻す。手に持った虹色の本を、奈津美先輩に向かって差し出した。
「先輩は、僕がこれを読めば、自分から負けを選ぶって――先輩のことを素直に見送るってわかっていたんですね」
「そうでもないわよ。それを読んだ上で、悠里君はこの扉を開くかもって、思ってもいたから。その時は……フランス行きをやめて、悠里君と一緒にいるのも悪くはないかなって思っていたわ」
「そうですか。じゃあ、扉が開かれなくて、少しはがっかりしてくれましたか?」
「全然していない……とは言えないかな。私だって十八歳の女の子だもん。『それでも君がほしい!』なんてシチュエーションに、ちょっとは憧れたりもするのよ」
奈津美先輩がおどけた様子で言う。その仕草はとてもかわいらしく、やっぱり僕はこの人が好きだと実感した。
けれど、奈津美先輩はすぐに大人びた穏やかな笑顔に戻った。
僕はその瞬間を、資料室の扉の前で迎えた。
宝物である虹色の本を見つけることはできた。時間までに資料室まで戻ってくることもできた。それでも、僕にはこの目の前の扉を開けてゴールすることだけはしなかった。ゴールしないことを、自ら選んだ。
すると、僕が開けなかった扉が、静かに内側から開かれた。
「悠里君、おかえりなさい」
「先輩……」
中から姿を現した奈津美先輩を、僕は静かに見つめる。
「今回の勝負は、私の勝ちね」
「ええ。僕の……負けです」
奈津美先輩はいつものように胸を張ることもなく、ただ穏やかに微笑みながら自分の勝ちを宣言する。
そんな奈津美先輩に向かって、僕は本を見せながら苦笑した。
「先輩は、やっぱりずるいです。この本のメッセージを読んだら、この扉を開けられるわけないじゃないですか」
本に書かれたメッセージを読んだ後、僕は真菜さんに電話した。
そうしたら、真菜さんはあっさりと僕の予想を肯定してくれた。真菜さんは、奈津美先輩の依頼で僕の前に現れたのだ。学校に着いた時、校門のところで僕が何やら考え込んでいたら、声を掛けてやってほしい。奈津美先輩から、そうお願いされたと言っていた。
実際には使用されなかったけど、きっと他にも僕を助けるための仕掛けは用意されていたのだろう。
奈津美先輩は最初から、僕を本のところへ辿り着かせるつもりだったんだ。なぜなら、そうしなければこの勝負の意味がなくなってしまうから。
宝探しの中で僕にこれまでの日々を振り返らせ、あの桜の木の下でこの本のメッセージ――〝伝えたいこと〟を読ませる。これこそ、先輩が僕との勝負で思い描いていたシナリオだったのだ。
そして、先輩に勝つことで頭がいっぱいだった僕は、まんまと先輩の思惑通りに動かされた。見事に乗せられてしまったわけだ。その点でも完敗である。
「先輩が木の葉をつけて戻って来たのも、僕にヒントを与えるためだったんですよね。僕がどこかで行き詰ってしまっても、あの桜の木に辿り着けるようにって」
「え? ……あ! うん。そう。そうなのよ! さすが悠里君ね。君なら、私の意図に気が付くと思っていたわ!」
「…………」
わざとらしく何度も頷く奈津美先輩に、白けた視線を向ける。
どうやら木の葉については、単純に先輩が天然さを発揮しただけらしい。これは僕の深読みだったようだ。
何だか微妙な空気が流れてしまったが、真面目な話へと引き戻す。手に持った虹色の本を、奈津美先輩に向かって差し出した。
「先輩は、僕がこれを読めば、自分から負けを選ぶって――先輩のことを素直に見送るってわかっていたんですね」
「そうでもないわよ。それを読んだ上で、悠里君はこの扉を開くかもって、思ってもいたから。その時は……フランス行きをやめて、悠里君と一緒にいるのも悪くはないかなって思っていたわ」
「そうですか。じゃあ、扉が開かれなくて、少しはがっかりしてくれましたか?」
「全然していない……とは言えないかな。私だって十八歳の女の子だもん。『それでも君がほしい!』なんてシチュエーションに、ちょっとは憧れたりもするのよ」
奈津美先輩がおどけた様子で言う。その仕草はとてもかわいらしく、やっぱり僕はこの人が好きだと実感した。
けれど、奈津美先輩はすぐに大人びた穏やかな笑顔に戻った。