「…………」
「どうした、葉介?」
「あ、いや、なんでもないです。楽しみだなって」
楽しそうな顔を張り付けたままフリーズしていた俺を気にかける颯士さん。
彼女と少しオーバーラップしたことで、脳内では、幾度となく繰り返していた1つの疑問がまた鎌首をもたげていた。
なぜ愛理は事故に遭ったのだろうか。あの時彼女が準備していた作品には、川の中を映すシーンなんてこれっぽっちもなかったのに、なんでわざわざ靴を脱いで、自分から川に入ったんだろうか。
あまりにも理由が分からず、少しの間、学校で自殺説が流布されたこともある。そんなバカなことがあるものか。映画にあんなに打ち込んでいた愛理が、自分からそんな選択をするはずがない。
でも、世の中に「絶対」などなくて。ひょっとしたら、何か抱えていたのかもしれない。俺が自分の話ばかりして、彼氏らしいコミュニケーションもできなかったときに、芸術肌だった彼女が自分1人で持て余していた鈍色の想いがあったのかもしれない。
そこまで思い描くと、自分を責める自分と、それを否定したがる自分というアンビバレントな2つが混じって思考はどんどん深みに嵌まってしまい、取れそうなほど首を振って現実に立ち返る。
考えても答えの出ないものは一旦脳内の小さな箱にしまおう。今は、目の前のことに集中しないと。
「ではまず始めに、撮影のスケジュールと、それぞれの予定ロケ地を説明しますね」
手書きのスケジュール表のコピーを配り、全4回の撮影工程を説明していく。キャストの3人も真剣な表情になり、メモを取っていった。
「……と、まあこれはあくまで予定なので、天候や撮影によって変動します。集合場所などは直前に連絡回しますね。で、差し当たって今週末の撮影ですが、天候が良ければ土曜にやりたいと思います。今のところ晴れそうですけど、明日の昼に天気予報確認して、最終連絡します」
雪野さんが「明後日かあ、緊張する!」と宙に浮かせた足をバタバタさせる。それを見た藤島さんがクスクスと、握った右手を口に当てた。
「それじゃ今日の本題、脚本と絵コンテの話! ここからはフランクにいきたいから、敬語はやめるわね」
その瞬間、役者3人の表情が変わる。
藤島さんと雪野さんはギラギラしているようにも見える楽しそうな表情で脚本を捲り、永田君は心まで見通すかのように目を見開きながらボールペンを取り出してカチッカチッとノックした。
「読んでて気になったところ、何でも聞いてね」
3人ともすぐに手を挙げる。一昨日の夕方に配ったばかりなのに、相当真剣に読み込んできていることが窺えた。
「まず藤島さんから」
「カット25なんですけど、佳澄が和志に気づかれないように溜息つきますよね。このカットって、どんな表情でやればいいですかね? 絵コンテにも指定がなくて」
「ああ、そこね。んっと……イメージしてたのはちょっと怒ってる感じ。怒ってるっていうか、むくれてる、くらいかな。『もっとこの服のこと食い付いてよっ』って」
「そっかそっか、悔しい感じですね」
藤島さんだけでなく、他の2人も、そして俺達4人も、絵コンテに書き加えていく。どんどん情報が増えていき、この紙の中にある世界が色を帯びて、俺達からも手が届くようになっていく。
「次は……雪野さん」
「はい! 陽菜のところもあるんですけど一旦置いておいて、一番気になったところは、と……」
ゆっくりとノートを見返す。やがて「あ、そうそう、カット234!」と自分の冊子を指差した。
「ここ、和志が『よし』って小さく呟いてますけど、ここって黙ってた方が良くないですか? 実際に声出す人いないだろうし、リアリティーに欠けるっていうか」
彼女の質問に面食らい、思わずカットを探す手を止めてしまった。
雪野さんが演じる陽菜は回想シーンのみの登場で、最後の方は出てこない。なのに、こんな終盤の絵コンテまできっちり読み、和志のカットに関して質問している。
「さすが演劇部! ここね、迷ったのよ。和志が自分自身を鼓舞するために意図的に声を出したって設定にしてるの。自分に向けたおまじないみたいな感じね。ただ、リアリティーが下がるのは間違いないからバランスが難しいわね……ソウ君、どう思う?」
「複数パターン撮ってもいいと思うぞ。拳をぎゅっと握るとかでも、これから和志がギアを入れるってところは伝わると思うから、台詞とアクションを両方撮って、映像見て決めるとかな」
「ん、それがいいかもね、ありがと」
役者ってすごい。本気でみんな、演じに来ている。だからこそ俺達も、全力で舞台を用意しないといけない。
その覚悟を自身に言って聞かせると、煙でいっぱいになった実験中のフラスコみたいに、胸に昂揚感が満ちてくる。
「永田君、質問お願いできる?」
「あ、はい。カット189、佳澄と2人で森にいるシーンなんですけど……」
質問に答えていき、各自が特に気になる部分をその場で演技練習して、木曜の夕方は瞬く間に過ぎていった。
「どうした、葉介?」
「あ、いや、なんでもないです。楽しみだなって」
楽しそうな顔を張り付けたままフリーズしていた俺を気にかける颯士さん。
彼女と少しオーバーラップしたことで、脳内では、幾度となく繰り返していた1つの疑問がまた鎌首をもたげていた。
なぜ愛理は事故に遭ったのだろうか。あの時彼女が準備していた作品には、川の中を映すシーンなんてこれっぽっちもなかったのに、なんでわざわざ靴を脱いで、自分から川に入ったんだろうか。
あまりにも理由が分からず、少しの間、学校で自殺説が流布されたこともある。そんなバカなことがあるものか。映画にあんなに打ち込んでいた愛理が、自分からそんな選択をするはずがない。
でも、世の中に「絶対」などなくて。ひょっとしたら、何か抱えていたのかもしれない。俺が自分の話ばかりして、彼氏らしいコミュニケーションもできなかったときに、芸術肌だった彼女が自分1人で持て余していた鈍色の想いがあったのかもしれない。
そこまで思い描くと、自分を責める自分と、それを否定したがる自分というアンビバレントな2つが混じって思考はどんどん深みに嵌まってしまい、取れそうなほど首を振って現実に立ち返る。
考えても答えの出ないものは一旦脳内の小さな箱にしまおう。今は、目の前のことに集中しないと。
「ではまず始めに、撮影のスケジュールと、それぞれの予定ロケ地を説明しますね」
手書きのスケジュール表のコピーを配り、全4回の撮影工程を説明していく。キャストの3人も真剣な表情になり、メモを取っていった。
「……と、まあこれはあくまで予定なので、天候や撮影によって変動します。集合場所などは直前に連絡回しますね。で、差し当たって今週末の撮影ですが、天候が良ければ土曜にやりたいと思います。今のところ晴れそうですけど、明日の昼に天気予報確認して、最終連絡します」
雪野さんが「明後日かあ、緊張する!」と宙に浮かせた足をバタバタさせる。それを見た藤島さんがクスクスと、握った右手を口に当てた。
「それじゃ今日の本題、脚本と絵コンテの話! ここからはフランクにいきたいから、敬語はやめるわね」
その瞬間、役者3人の表情が変わる。
藤島さんと雪野さんはギラギラしているようにも見える楽しそうな表情で脚本を捲り、永田君は心まで見通すかのように目を見開きながらボールペンを取り出してカチッカチッとノックした。
「読んでて気になったところ、何でも聞いてね」
3人ともすぐに手を挙げる。一昨日の夕方に配ったばかりなのに、相当真剣に読み込んできていることが窺えた。
「まず藤島さんから」
「カット25なんですけど、佳澄が和志に気づかれないように溜息つきますよね。このカットって、どんな表情でやればいいですかね? 絵コンテにも指定がなくて」
「ああ、そこね。んっと……イメージしてたのはちょっと怒ってる感じ。怒ってるっていうか、むくれてる、くらいかな。『もっとこの服のこと食い付いてよっ』って」
「そっかそっか、悔しい感じですね」
藤島さんだけでなく、他の2人も、そして俺達4人も、絵コンテに書き加えていく。どんどん情報が増えていき、この紙の中にある世界が色を帯びて、俺達からも手が届くようになっていく。
「次は……雪野さん」
「はい! 陽菜のところもあるんですけど一旦置いておいて、一番気になったところは、と……」
ゆっくりとノートを見返す。やがて「あ、そうそう、カット234!」と自分の冊子を指差した。
「ここ、和志が『よし』って小さく呟いてますけど、ここって黙ってた方が良くないですか? 実際に声出す人いないだろうし、リアリティーに欠けるっていうか」
彼女の質問に面食らい、思わずカットを探す手を止めてしまった。
雪野さんが演じる陽菜は回想シーンのみの登場で、最後の方は出てこない。なのに、こんな終盤の絵コンテまできっちり読み、和志のカットに関して質問している。
「さすが演劇部! ここね、迷ったのよ。和志が自分自身を鼓舞するために意図的に声を出したって設定にしてるの。自分に向けたおまじないみたいな感じね。ただ、リアリティーが下がるのは間違いないからバランスが難しいわね……ソウ君、どう思う?」
「複数パターン撮ってもいいと思うぞ。拳をぎゅっと握るとかでも、これから和志がギアを入れるってところは伝わると思うから、台詞とアクションを両方撮って、映像見て決めるとかな」
「ん、それがいいかもね、ありがと」
役者ってすごい。本気でみんな、演じに来ている。だからこそ俺達も、全力で舞台を用意しないといけない。
その覚悟を自身に言って聞かせると、煙でいっぱいになった実験中のフラスコみたいに、胸に昂揚感が満ちてくる。
「永田君、質問お願いできる?」
「あ、はい。カット189、佳澄と2人で森にいるシーンなんですけど……」
質問に答えていき、各自が特に気になる部分をその場で演技練習して、木曜の夕方は瞬く間に過ぎていった。