その夜、水音を背景に扉が閉められた。壁の時計はもう少しで一時が終わる頃を示している。少し前に弟の部屋の扉が動いたのを認めていた。

 時計から手元の文字に視線を戻してすぐ、扉がどんと音を鳴らした。びくりとして、頁に栞を挟んで本を座卓に置き、僕は腰を上げた。

 扉を開けると、弟が「あ」と声を漏らした。「ごめん」と苦笑し、「ぶつかった」と同じように続ける。

 「ていうか、まだ起きてたのか?」

 「……もう寝る」

 お前も早く寝なと言って扉を閉めようとすると、弟は「待って」と声を発した。扉を閉めかけた手を止める。

 弟は僕の部屋に入っては、布団のそばに座った。図書館から借りてきた本を一冊ずつ観察して小さく息をつく。

 「なんの用?」言いながら扉を閉める。

 「なあ兄ちゃん、ちょっと落ち着けよ」

 「……なんのこと?」

 「おれだってそこまで鈍感じゃない。こんなんでも双子なんだ、兄ちゃんの気持ちくらいわかる」

 「随分と濃厚なオカルト味だね」

 「おれは本気だ」

 弟はまっすぐ、僕の目を見る。

 「兄ちゃんはどこか、義務的に本を読んでる。そうしなければならない、とでも思ってるように」

 僕は壁の時計へ視線を逃がした。すっかり二時を過ぎていた。

 「早く寝なよ。明日も学校だよ」

 「寝不足なら学校でどうにかする」

 「だめだ、勉強が遅れたらどうする」

 「おれは兄ちゃんの双子の弟だ、自頭の良さには自信がある」

 「だめだ」反射的に発したのは、思いの外大きな声だった。笑い声がざわざわと頭の中に響く。ああ、だめだ。皆が僕を見ている。なにも知らない、なにもわからない、なにもできない――それを嘲って、咎めるもの。自分が溶けていくような錯覚が起こる。笑い声と視線に溶け込み、僕自身を見る。ああ、なにも知らない。僕はなにも知らない。全身を飲み込むようなその笑い声を、弟の「兄ちゃん」との呼びかけが振り払った。はっとして、自らの荒い呼吸に気が付く。ふわふわと歪む視界に弟の姿を認める。

 「……だめだ、ちゃんとついていかないと。遅れちゃだめだよ」

 深呼吸して「早く寝るんだ」と言うと、弟は「じゃあ奈央も寝てよ」と声を上げたが、「わかってるんだよ」と続けられた声は静かなものだった。「兄ちゃんがもうしばらく寝られてないこと。なんでそんなに読み漁る? なにを求めてるんだ」

 僕は黙って、弟から目を逸らした。

 「……知らなきゃならないんだ、僕は」

 弟は静かに理由を問う。どこかに悲しみのような色を含んだ、穏やかな声だった。

 「僕は知らないんだ。みんなが当然に知ってることを知らない」

 「なんでそう思う?」

 ぞくぞくと嫌なものが背を走る。また頭の中にざわざわと笑い声が響き、僕はそれに対して、わかっていると繰り返した。わかっている、僕はなにも知らない。まだ知識が足りない。そのことは充分にわかっているつもりだ。だから、少し放っておいてほしい。わかっている、わかっている――。

 「兄ちゃん」と言われて、改めてはっとする。

 「もう寝ようよ」

 「うん、寝な」

 「違う。寝ようよ、一緒に。わかってんだって、兄ちゃんが寝てないの。……もう寝ようよ」

 「僕が寝ないのと怜央が寝ないのは違う」

 「おれだって、寝ないんじゃない。寝つけないんだ。だから、一緒に寝ようよ」

 「……眠れないんだ」

 「え?」

 「寝ようと思えば思うほど、身体が活性化する」

 それはまるで、眠っている場合ではないと、肉体の方が理解しているかのようだ。