おれはテーブルに身を乗り出して、紙ナプキンで、さよ子の口元のムースとチョコレートを拭った。
「個人的見解なんだけど、胸のサイズは正直、どっちでもいい。ほんっとに、どのくらいの大きさでも全然問題ない」
「嘘。どのくらいの『大きさ』でも、っていう言い方自体、それなりのサイズを期待してるじゃないですか」
「ちっちゃくてもいいって。ボリューミーじゃなくても、太れない体質だとしても、十分に柔らかいし」
「柔らかい、かなぁ? わたし本当に、出るとこまったく出てないですよ」
「いや、何ていうか。女の子をギュッとしたときに男が感じる柔らかさってさ、そんな表面的なもんじゃなくてね。硬くて頑丈な体を持ってない女の子自身には、たぶんわかんないだろうな。柔らかいんだよ?」
 甘い汚れの付いた紙ナプキンを置いて、さよ子の頬の涙を指で拭ってやる。さよ子は何の化粧もしていない。してほしくないなって、ちょっと思う。まあ、化粧したらしたで、やっぱキレイだなとか、現金なことを思っちゃうんだろうけど。
 ぐすぐすしているさよ子の頭をポンと一つ、軽く叩いた。さよ子の手からフォークを奪って、大事そうに残されていたショートケーキの苺を、クリームごとすくい取る。
「はい、あーん」
 ニコニコしながら苺を差し出してやると、さよ子は膨れっ面をしてから食い付いてきた。タイミングを合わせて、ひょいとフォークを引く。空振りしたさよ子が、ますます膨れっ面になる。
「今の、すっごいムカつくんですけどっ」
「ごめんごめん」
 さよ子は、フォークを持つおれの手をつかんで、今度こそ苺を口の中につかまえた。
 ほらね、この手だよ。細くてしなやかで柔らかい。こういうさりげない柔らかさにね、男はドキッとしちゃうんだ。
 うわー、今まさにデートしてるんだな、おれ。
 そんなことを急に実感した。そしたら、テーブルの向かいにいる女の子が一段とまたかわいく思えて、何か妙にドキドキした。
 変な気分だ。
 ナンパで引っ掛けた相手だったら、悪くないって判定した時点で、人払いして好き放題やっちゃうんだけど。
 今は、どうしてだろう、お手軽なことをしたくない。さよ子が失恋したばっかりだから、っていう理由だけじゃなくて。
 おれが泣きじゃくることしかできなくなったとき、自分だって苦しい思いをしてたはずなのに、さよ子はおれを抱きしめてくれた。あのときの柔らかさとか、ぬくもりとか。壊したくないなって思う。
「さよ子ちゃん、この後、時間ある? 門限、何時だっけ?」
「門限? 今日は先輩と一緒だってパパもわかってるから、連絡すれば、ちょっと遅くても大丈夫ですけど」
 不意に思い浮かんだアイディア。というか、今までどうして思い浮かばなかったのか。
「これ食べた後、うちの母親のとこ、行ってみない?」
「え? お見舞いってことですよね?」
「身構えなくていいよ。最近の母親の様子、教えてなかったよね。けっこう元気なんだよ」
 もともと母親はよく笑う人だったから、表情筋の回復がすごく早くて、笑顔を作れるようになった。調子がいいときは、弱々しくはあるんだけど、笑い声も立てるようになった。
 さよ子と母親、馬が合うんじゃないかなって気がする。根拠はないけど、おれの勘はよく当たるから。会わせてあげたら、二人とも元気になれそうだ。
「お見舞いって、お花とか買っていくほうがいいですか?」
「いや、花よりも果物のほうが喜ぶ。このカフェ、持ち帰り用のゼリーがあったよね。あれ買っていこう」
「なるほど。それでわたし、何て言ってご挨拶すればいいんでしょう?」
「ん? おれのカノジョ候補とか」
「またそんな冗談を」
「半分くらい本気だけど?」
「五十パーセントも冗談が含まれてるんならアウトですー」
 さよ子は、ベーッと舌を出してみせてから、両方の頬にえくぼを刻んだ。
 その瞬間に思った。この子と手をつないで歩きたい、って。
 それから、ああこれは大変だぞって思った。さよ子にはおれのマインドコントロールのチカラが効かないんだもんな。やましい気持ちをきちんと言葉にするっていうのは、すごく大変なことだ。
「さよ子ちゃん」
「何ですか?」
「あーんってするから食べさせて」
「顔にパイ叩き付けるやつ、やってみたいんですけど、ダメですか?」
「ダメ」
「ちぇっ。つまんなーい」
 そう言いながらも、さよ子が笑って差し出してくれたレモンパイは、甘酸っぱくて爽やかだった。ふわふわのメレンゲが、おれの口の中で、しゅわっと溶けた。
 それは何だかとてもくすぐったい味で、おれは思わず笑ってしまった。

【了】

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