さよ子は、チョコレートケーキを思いっ切り大口で頬張って、わざと行儀悪いふりをするみたいにモゴモゴと言った。
「今のおまえが大事に思ってるものを三つ持っていくって、それが代償の条件だったんです。わたし、顔とか体型には割とコンプレックスが強いんですけど、髪と肌だけは我ながらキレイだなって思ってて、それを持っていかれちゃって」
「髪と、肌も?」
「胸とお尻と内ももと足の甲。普通にしてたら、外から見えないあたりなんですけど。寝込んでた間、ただれたようになっちゃって、べちゃべちゃの炎症が引いてからも、痕が残ってるんです。やけどの痕みたいに」
だから、プールや海水浴は来なかったのか。花火大会も浴衣じゃなくて夏物の和服で、足袋までキッチリ履いてたのは、素足になれなかったから。
「ごめん。ほんと、ごめん」
「先輩が謝る必要ないですってば」
「だけど」
「それでですね、もう一つ持っていかれたのが、煥《あきら》先輩です。煥先輩、鈴蘭と付き合うことになっちゃった。朱獣珠に失恋宣告されてたから、絶対に両想いになれないってわかってたのに、吹っ切れることができなくて。結局、今、すっごい大ダメージです」
願いの代償としての失恋。それに似た話は、古文書にも昔話にも残されていた。
運命は分岐の可能性に満ちていて、本来なら、さよ子と煥が結ばれることも起こり得ただろう。朱獣珠が奪ったのは、未来がその方向へ分岐し得るチャンスそのものだ。煥の心を操ったとか誘導したとかじゃなくて、作用した相手は運命の一枝。
さよ子の目に涙が浮かんでいる。何かをめちゃくちゃに壊したい衝動の代わりみたいに、さよ子はレモンパイにフォークを突き立てて、勢いよく口に運ぶ。
おれは入試直前のバタバタで、具体的に何があったのか、よく知らない。文徳情報によると、鈴蘭の何度目かのアタックに煥がついにOKを出したらしい、ってこと。
「煥先輩、風邪ひいてたんですよ。十日ぐらい前。それで、文徳先輩にうつしちゃうんじゃないかって心配して、体調が悪いのに家に帰らずにいたのを、鈴蘭が気付いてお世話してあげたんだって。わたしも風邪気味で外出やめてたから、全然知らなかった」
「鈴蘭ちゃんが自分の家にあっきーを引き取ったの?」
「いえ、それは煥先輩が全力で拒否したから、バンドメンバーの中で受験生じゃない雄さんに連絡をつけて、雄さんの家まで連れていったそうです。そういう面倒、鈴蘭が見てあげたの」
「なるほど」
さよ子はフォークを握りしめて眉間にしわを寄せた。涙の表面張力は、そろそろ限界。今にも決壊しそうだ。
「煥先輩が回復してきてからは、お弁当を作って持っていったりして。鈴蘭、料理あんまり上手じゃないのに、すっごい頑張ったみたいで」
「あっきーの胃袋をつかんじゃったわけね。料理が下手なのに頑張ったってあたりも、あっきー的にはグッと来たんじゃないの?」
「わたしも料理下手なのに!」
「いや、そう意気込んで下手アピールされても」
「鈴蘭は確かにかわいいし、わたしが男だったら絶対ほっときませんけど、やっぱり今このタイミングで正直なことを言わせてもらうと、何でわたしじゃなくて鈴蘭を選んだんだーって叫びたくなるんですよ!」
「わかったから叫ばないで」
「ああぁぁぁ、でも鈴蘭のほうがわたしよりずっとかわいい顔してるし」
「さよ子ちゃんも十分に美人だってば」
「鈴蘭は成績がよくてまじめでしっかり者でみんなに頼りにされてて、わたしなんかマヌケでボケ役で」
「さよ子ちゃんがいると場が明るくなるから、いいと思うよ」
「鈴蘭って、高校に入るまでロックとか聴いたことなかったのに、今では瑪都流のメンバーとちゃんと話せるくらい音楽に詳しくなってるんですよ。勉強家すぎる。かなわない」
「そこは知識量の勝負じゃないよ。受験じゃないんだし。鈴蘭ちゃん自身、たまたまロックにハマる素質を持ってただけじゃない?」
「そうかもしれないけど……でも、鈴蘭の何もかもがうらやましいんです」
「どうして? この際、全部言っちゃいなよ」
「わたしの声、甲高くてやかましいですよね。アニメ声っていうか。前からあんまり好きじゃなくて。それに比べたら、鈴蘭のおしとやかな声がわたしにとって理想的すぎて、うらやましくてしょうがない」
「おれはさよ子ちゃんの声、やかましいって感じたことないよ。音域は高いけど、耳ざわりのいい声じゃん」
さよ子の両目から、とうとう、ぽたぽたと涙が落ち始めた。
「鈴蘭の髪、長くてキレイだし。肌もキレイで、もちもちだし。女子もみんな誉めてるくらいだし。だから、煥先輩もさわってみたくなったんだろうし」
ごめんって、また繰り返しそうになる。だって、髪も肌も失恋も、本当はおれが背負うべき痛みだったのに。
でも、さよ子が今ほしい言葉は「ごめん」じゃないよな。
「あっきーを含めて、男はたいてい、好きな子の髪とか肌とか気にしてないよ。無神経かもしんないけど。キレイならキレイでそんなもんだと思うし、女の子がコンプレックスに感じてても、そういうとこも含めて全部いとしいって思うもんだし」
「たぶんそうなんだろうなっていうのはわかってます。特に煥先輩は、髪も肌もファッションも無頓着なほうですし。でも、男目線の話と女の子のコンプレックスって、次元の違うことなんです」
「うん、それもまあ、おれにもわかるよ。姉貴に鍛えられてるしね」
「リアさんは完璧で美女で大人で、わたしとはレベルが違うっていうか。あの海牙さんがまいっちゃうくらいの人だから」
「らぶらぶなんだよねー、あの二人。爆発すりゃいいのに」
「鈴蘭とリアさんのこと考えたら、何でわたしだけーって泣きたくなって。わたし、こんなんじゃ、鈴蘭にもリアさんにも会えない」
「劣等感、覚えちゃってる? 恋がうまくいったかどうかで優劣つけてもしょうがないって思うんだけどな、おれは」
「うまくいく人って、どうしてうまくいくんでしょう? 鈴蘭もリアさんも胸がおっきいから?」
「あー……」
「何でそこはフォローしてくれないんですか!」
スミマセン。
でも、女性への免疫があんまりない煥や海牙がうっかり巨乳に視線を持ってかれてんのは事実だもんな。それはもう弁解の余地がない。
「今のおまえが大事に思ってるものを三つ持っていくって、それが代償の条件だったんです。わたし、顔とか体型には割とコンプレックスが強いんですけど、髪と肌だけは我ながらキレイだなって思ってて、それを持っていかれちゃって」
「髪と、肌も?」
「胸とお尻と内ももと足の甲。普通にしてたら、外から見えないあたりなんですけど。寝込んでた間、ただれたようになっちゃって、べちゃべちゃの炎症が引いてからも、痕が残ってるんです。やけどの痕みたいに」
だから、プールや海水浴は来なかったのか。花火大会も浴衣じゃなくて夏物の和服で、足袋までキッチリ履いてたのは、素足になれなかったから。
「ごめん。ほんと、ごめん」
「先輩が謝る必要ないですってば」
「だけど」
「それでですね、もう一つ持っていかれたのが、煥《あきら》先輩です。煥先輩、鈴蘭と付き合うことになっちゃった。朱獣珠に失恋宣告されてたから、絶対に両想いになれないってわかってたのに、吹っ切れることができなくて。結局、今、すっごい大ダメージです」
願いの代償としての失恋。それに似た話は、古文書にも昔話にも残されていた。
運命は分岐の可能性に満ちていて、本来なら、さよ子と煥が結ばれることも起こり得ただろう。朱獣珠が奪ったのは、未来がその方向へ分岐し得るチャンスそのものだ。煥の心を操ったとか誘導したとかじゃなくて、作用した相手は運命の一枝。
さよ子の目に涙が浮かんでいる。何かをめちゃくちゃに壊したい衝動の代わりみたいに、さよ子はレモンパイにフォークを突き立てて、勢いよく口に運ぶ。
おれは入試直前のバタバタで、具体的に何があったのか、よく知らない。文徳情報によると、鈴蘭の何度目かのアタックに煥がついにOKを出したらしい、ってこと。
「煥先輩、風邪ひいてたんですよ。十日ぐらい前。それで、文徳先輩にうつしちゃうんじゃないかって心配して、体調が悪いのに家に帰らずにいたのを、鈴蘭が気付いてお世話してあげたんだって。わたしも風邪気味で外出やめてたから、全然知らなかった」
「鈴蘭ちゃんが自分の家にあっきーを引き取ったの?」
「いえ、それは煥先輩が全力で拒否したから、バンドメンバーの中で受験生じゃない雄さんに連絡をつけて、雄さんの家まで連れていったそうです。そういう面倒、鈴蘭が見てあげたの」
「なるほど」
さよ子はフォークを握りしめて眉間にしわを寄せた。涙の表面張力は、そろそろ限界。今にも決壊しそうだ。
「煥先輩が回復してきてからは、お弁当を作って持っていったりして。鈴蘭、料理あんまり上手じゃないのに、すっごい頑張ったみたいで」
「あっきーの胃袋をつかんじゃったわけね。料理が下手なのに頑張ったってあたりも、あっきー的にはグッと来たんじゃないの?」
「わたしも料理下手なのに!」
「いや、そう意気込んで下手アピールされても」
「鈴蘭は確かにかわいいし、わたしが男だったら絶対ほっときませんけど、やっぱり今このタイミングで正直なことを言わせてもらうと、何でわたしじゃなくて鈴蘭を選んだんだーって叫びたくなるんですよ!」
「わかったから叫ばないで」
「ああぁぁぁ、でも鈴蘭のほうがわたしよりずっとかわいい顔してるし」
「さよ子ちゃんも十分に美人だってば」
「鈴蘭は成績がよくてまじめでしっかり者でみんなに頼りにされてて、わたしなんかマヌケでボケ役で」
「さよ子ちゃんがいると場が明るくなるから、いいと思うよ」
「鈴蘭って、高校に入るまでロックとか聴いたことなかったのに、今では瑪都流のメンバーとちゃんと話せるくらい音楽に詳しくなってるんですよ。勉強家すぎる。かなわない」
「そこは知識量の勝負じゃないよ。受験じゃないんだし。鈴蘭ちゃん自身、たまたまロックにハマる素質を持ってただけじゃない?」
「そうかもしれないけど……でも、鈴蘭の何もかもがうらやましいんです」
「どうして? この際、全部言っちゃいなよ」
「わたしの声、甲高くてやかましいですよね。アニメ声っていうか。前からあんまり好きじゃなくて。それに比べたら、鈴蘭のおしとやかな声がわたしにとって理想的すぎて、うらやましくてしょうがない」
「おれはさよ子ちゃんの声、やかましいって感じたことないよ。音域は高いけど、耳ざわりのいい声じゃん」
さよ子の両目から、とうとう、ぽたぽたと涙が落ち始めた。
「鈴蘭の髪、長くてキレイだし。肌もキレイで、もちもちだし。女子もみんな誉めてるくらいだし。だから、煥先輩もさわってみたくなったんだろうし」
ごめんって、また繰り返しそうになる。だって、髪も肌も失恋も、本当はおれが背負うべき痛みだったのに。
でも、さよ子が今ほしい言葉は「ごめん」じゃないよな。
「あっきーを含めて、男はたいてい、好きな子の髪とか肌とか気にしてないよ。無神経かもしんないけど。キレイならキレイでそんなもんだと思うし、女の子がコンプレックスに感じてても、そういうとこも含めて全部いとしいって思うもんだし」
「たぶんそうなんだろうなっていうのはわかってます。特に煥先輩は、髪も肌もファッションも無頓着なほうですし。でも、男目線の話と女の子のコンプレックスって、次元の違うことなんです」
「うん、それもまあ、おれにもわかるよ。姉貴に鍛えられてるしね」
「リアさんは完璧で美女で大人で、わたしとはレベルが違うっていうか。あの海牙さんがまいっちゃうくらいの人だから」
「らぶらぶなんだよねー、あの二人。爆発すりゃいいのに」
「鈴蘭とリアさんのこと考えたら、何でわたしだけーって泣きたくなって。わたし、こんなんじゃ、鈴蘭にもリアさんにも会えない」
「劣等感、覚えちゃってる? 恋がうまくいったかどうかで優劣つけてもしょうがないって思うんだけどな、おれは」
「うまくいく人って、どうしてうまくいくんでしょう? 鈴蘭もリアさんも胸がおっきいから?」
「あー……」
「何でそこはフォローしてくれないんですか!」
スミマセン。
でも、女性への免疫があんまりない煥や海牙がうっかり巨乳に視線を持ってかれてんのは事実だもんな。それはもう弁解の余地がない。