か細い泣き声が少し大きくなった。
 声のほうを向くと、姉貴が顔を覆っている。海牙と鈴蘭が姉貴の両側にいて、姉貴の震える肩や背中が凍えないように、そっと手を添えている。
 おれの胸元で朱獣珠が熱っぽく鼓動する。何か言ってるんだけど、聞こえない。
 因果の天秤が、何だったっけ? だけど、ラスボスを倒さないことには、四獣珠は安心できねぇだろ?
 おれは、やるって決めたんだよ。コツつかんだ気がするんだ。寝てて意識がない状態なら、たぶん操れるよ。そいつが自分で自分の始末つけるんだったら、誰も手を汚さなくて済むんだし、それでいいじゃん。
「そこどけ、煥。邪魔だ」
 煥がかぶりを振る。文徳が煥の隣に立つ。
 朱獣珠が騒ぐ。聞こえない。泣き声が邪魔をして、四獣珠が共鳴する言葉が聞き取れない。
 淡い青色が飛び込んできた。
「もうやめてください!」
 さよ子がおれに抱き着いて、おれの動きを封じた。華奢な年下の女の子にぶつかられるくらい、大した衝撃でもない。
 でも、おれはふらついて、立ち止まった。
「どいて。邪魔。おれは、やっておきたいことが、あって……」
 何でだろう? 声がうまく出なくて、言葉が切れ切れになる。しかも、喉も手も胸も震えて、膝まで震えてきて立ってられなくなって、おれはへたり込んだ。
 さよ子がおれの顔をじっと見ている。そのはずなんだけど、おれにはさよ子の顔がよく見えない。
「理仁先輩、もうやめて。先輩のパパのこと、許してあげてください」
「やだよ。憎いんだよ。殺してやりたい」
「嘘。そんなの嘘です」
「本当だって」
「少しの本当が含まれてるとしても、殺したいなんて言っちゃダメ。やめてください。言葉にしたら、それはチカラを持って、先輩自身を傷付けて苦しめるんです。だから、もう何も言わないで。罪とか罰とか呪いとか、先輩はもうあれこれ背負わなくていいから」
「何で……」
「だって、先輩、さっきからずっと泣いてるじゃないですか」
 おれは驚いて自分の顔に触れた。
 手のひらが濡れた。涙だ。
 何だ、そうだったのか。肺がギュッと絞られて痛い理由も、声がうまく出ない理由も、泣き声に掻き乱されて朱獣珠の訴えが聞こえない理由も、わかった。
 だけど、おれはどうして泣いてんだろう?
 淡い青色が視界にふわっと広がって、頼りないほど柔らかな体温がおれを包んだ。さよ子が体をかがめて、立ち上がれないおれを優しく抱きしめている。
 おれの耳元でさよ子がささやいた。
「迷惑かけてごめんなさい。助けてくれてありがとうございます。だから、わたし、代わりに何か役に立てませんか? わたしにできること、ないですか?」
 こんなふうに抱きしめられるの、何ていうか、なつかしいな。小学生のころ、おかあさんが、割としょっちゅう、こんな感じで。
 恥ずかしいからやめろよって言っちゃったんだよな。小五のころ。おかあさんは「わかった」って答えた。
 それでしばらくハグなんてなかったんだけど、小学校の卒業式の後、おかあさんは「これで最後だから」って、久しぶりにおれを抱きしめた。おれのほうが背が高くなってたから、何か変だった。
 抱きしめ返せばよかったのかな? でも、こういうとき、体が動かないんだよね。どうしていいかわかんないんだって。ほんとに。
 おれの胸とさよ子の体の間で、朱獣珠がまた何か騒いでいる。おれに聞こえる声で話せっての。おれがちゃんとおまえの声を聞ける状態になるまで待てって。
 だけど、さよ子はその声が聞こえるらしかった。
「持ってってくれていいです。二つでも三つでも、必要なだけ。もう誰にも泣いてほしくないの。たったそれだけの代償で、そんなに大きな願いを叶えてくれるのなら、やってください。わたし、後悔しないから」
 反射的に、おれは体をこわばらせた。
 さよ子はおれの涙を細い指で拭って、おれの目を見て微笑んで、おれの頭をそっと撫でた。
「大丈夫ですよ、理仁先輩。心配しないで」
 甘く溶けるキャンディみたいな声が優しくささやいたと思うと、みるみるうちに、さよ子の髪からつややかな黒さが失われていく。
 おれは言葉が出なかった。
 持ってっていい、って。差し出したのは、あのキレイな髪?
 さよ子は両方の頬にえくぼを刻んでみせた。
「ちょっとヘアスタイルを変えないと、さすがに目立っちゃいますよね」
 色白で華奢で黒い目が印象的な美少女の頭に乗っかっているのは今や、パサパサに縮れた白髪だ。なんて無残なんだろう。あまりにも不似合いだ。
 どうして? 何のために?
 おれのために? おれが何かを失う代わりに?
「ごめん」
「何で先輩が謝るんですか?」
「だって……ごめんね」
「だから、先輩。謝らなくていいし、泣かなくていいですってば。心配しないでください。先輩の願いは、いちばんささやかな形で、これからちゃんと叶っていくから」
 また抱きしめられた。今度は、ちょっとだけギュッと。
「ごめん……」
「未来を信じてください。ね?」
 小さくて柔らかい胸に顔を押し付ける格好で、おれは何も見えなくなった。相変わらず自分の嗚咽に邪魔されて何も聞こえない。
 おれって本当に無力だな、と思った。