自動ドアが開いてそこに現れた光景に、おれ以外の全員が驚きのリアクションをした。
 シャンデリアを模した照明が白々として、薄暗い地下駐車場に慣れた目にはまぶしい。真紅のカーペットが敷かれている。白い壁には、金箔をまぶした彫刻がきらきらしい。
 ブルジョワ志向の内装だ。モデルにしたのはパリのオペラハウスでしょうか、みたいな。でも、そういう方向性なら、もうちょい本格的に金かけてガチモンのアンティークをそろえろよな。
 奥の壁にしつらえられた金ピカのドアはエレベータで、地上につながっている。このレッドカーペットな成金趣味の部屋は、エレベータホールなんだ。襄陽学園のVIP向けの部屋は軒並みこんな感じ。母親が命懸けで守った我が家もね、似たような雰囲気で。
 ダセーんだよ、こんな趣味。虫唾が走るってやつ。
 おれは部屋に踏み込んだ。
【武器を捨てろ!】
 チカラを込めて勢いよく怒鳴る。
 部屋の中には四人がいた。そのうち二人は暗色のスーツの戦闘要員で、それぞれの手からナイフをカーペットに投げ落としたところだ。
 一人は、イケメン紳士と名高いスーツ姿のクソ野郎。おれの親父、長江孝興。
 最後の一人は、その姿が目に飛び込んできた瞬間、おれは首筋のうぶげが逆立つように感じた。
 さよ子は手錠を掛けられて、淡い青色のワンピースの細い胴と、折れそうに華奢で白い脛《すね》は、ロープで椅子に縛られている。
 おれたちの姿を認めた途端、さよ子は涙だらけの顔を輝かせた。猿轡《ボールギャグ》を噛まされた口から、言葉にならない声があふれる。閉じられない唇の端からよだれがこぼれていて、涙と混じってあごからポタポタ伝い落ちてるのが哀れだ。
 おれは反射的に命じた。
【拘束を解け! 今すぐ!】
 戦闘要員の二人は、武器を捨てたばかりの手で、すかさずロープと猿轡《ボールギャグ》を外しにかかる。二人とも、まったく抵抗せずにおれの号令《コマンド》に従った。
 そりゃそうだよな。まともな大人なら、高校生の女の子をつかまえたり閉じ込めたり縛り付けたりなんて、やりたくねぇよな。
 親父が冷たい目をした。
「勝手なことをするな」
 次の瞬間、止める間もなかった。さよ子の足下にかがみ込んだ一人の頭を、親父は革靴で踏み付けた。彼が痛みに呻いて頭をかばうと、がら空きの脇腹に、みぞおちに、革靴の硬いつま先が突き立てられる。
 姉貴がおれを押しのけて前に飛び出した。
「やめてよ! いい加減にして!」
 思い切った勢いで、姉貴は親父にぶつかっていった。突き飛ばす、というところまでいかない。親父は、二、三歩、後ずさった。姉貴を見下ろす。
 姉貴はチラッと戦闘要員に視線を寄越すと、またまっすぐに親父をにらんだ。
「見覚えのない人がずいぶん増えたみたいね。昔からうちにいる人だったら、家族も含めてみんな顔がわかるけど」
 親父は姉貴に応えなかった。姉貴のほうを向いてはいても、視線が姉貴を素通りしている。
「宝珠は持ってきたか?」
 おれの胸の上で朱獣珠が震えた。玄獣珠、白獣珠、青獣珠が呼応して、悲鳴みたいなトーンで共振した。
 沈黙が落ちる。おれの背中に視線が集まるのを感じる。
 おれは部屋を見渡した。猫脚のソファ、傘立て、印象派の模写、さよ子がちょうど映る位置の鏡と防犯カメラ。壁際の小さなテーブルにはノートパソコンがあって、さよ子から見える角度の画面に表示された画像が最低に悪趣味だ。
 姉貴が無言でパッと動いて、さよ子の拘束を解きにかかった。それと同時に、おれは、戸惑う様子の戦闘要員ふたりに命じる。
【きみら、壁際に下がっといてくれる? デカい図体してる人がそのへんにいたら、絵面的にすっげー邪魔なんだよね】
 見えない手に放り投げられるみたいに、大柄な男ふたりがものすごいスピードで壁際まで飛んでいった。入れ替わりに、鈴蘭がさよ子に駆け寄って、ロープの結び目に取り付く。
 姉貴が海牙を呼んだ。
「海牙くん、壊すの手伝って。この下品な手錠と猿轡《ボールギャグ》」
「了解しました」
「こういう類の代物、生理的に受け付けないから、原形をとどめないくらい粉々にして」
 姉貴は、おれには何も言わずにアイコンタクトだけ送ってきた。それでおれには十分。姉貴が考えてること、伝わってくる。
 あいつとの対決、今回はあんたの番よ、って。あんたに本番を任せるわ、って。
 親父は無表情で、さよ子が救出されていく様子を眺めている。脳ミソ沸いてんのかな、こいつ。やること為すこと、毎度毎度、一つも理解できやしねえ。
 おれは親父を呼ぼうとして口を開いて、一回やめた。最後に親父に向けて呼び掛けたのって、いつだったっけ? 昔は「パパ」とか「おとうさん」って呼んでたと思うけど。
 できるもんか。そんなまともな呼び方。
「長江孝興サン。あんたがほしいのは、こいつだろ?」
 おれは、嫌がる朱獣珠をシャツの下から引っ張り出した。シルバーチェーンの先で、朱獣珠はせわしなく明滅を繰り返す。
 親父の目に光が戻った。口元に笑みが戻った。親父はおれのほうに右手を伸ばして、嬉しそうに顔を輝かせた。
「いい子だ、理仁。私にはそれが必要でね。最初からそうやって素直に渡してくれればよかったのに、とんだ手間をかけてしまったじゃないか。さあ、渡しなさい」
 親父はにこやかに近付いてくる。差し伸ばされたままの右手、オーダーメイドの指輪、ダイヤと珊瑚のカフスボタン。
 あの手が、おれの大事な小さな友達をたくさん死なせた。あの手がつかむ名誉と富のために、失われるべきでないもの、壊されるはずのなかったものが、次々と奪われていった。
 一瞬で口の中がカラカラに渇く。恐怖と嫌悪感と、父親に逆らうことへの本能的な苦痛と、あと何だっけ? とにかく、何かすげーしんどくて、背筋がブルブル震えてて。
 クソ、ふざけんな。
 やるって決めたじゃねぇか。
 投げ出したくて逃げ出したい自分を叱咤する。煥がおれをかばうために前に出ようとしたけど、腕を横に掲げて、待ったをかける。
「ここはおれの戦場だから」
「でも」
「物理的にぶちのめせばいいだけなら、あっきーと海ちゃんに丸投げするんだけどね~。ま、最終的にそうなる可能性もあるわけで、そんときはよろしく」
 大丈夫だ。おれはまだ、笑ったふりをしていられる。
 おれは、自分と四獣珠にだけ聞こえる声でつぶやいた。
【強がってみせろ、理仁。みんな見てんだぜ。ダセーことはできねぇだろ?】
 親父がおれと向かい合って立ち止まる。おれの名前を呼んで、ニコニコと、朱獣珠を要求してくる。
「理仁、渡しなさい。それから、家に帰っておいで。リアもね。半月ほど過ぎてしまったが、リアの誕生日祝いをしよう」
 おれの胸の中で、心臓が駆け足で暴れ回っている。息が苦しい。恐怖がフラッシュバックする。
 しっかりしろ、おれ。前を向け。
 おれは全身全霊の力を込めて、ひときわふてぶてしい笑みを作ってみせた。
「何か勘違いしてるみたいなんだけどさ~、長江孝興サン。誰があんたに宝珠を渡すっつった? おれがここに来たのはね、さよ子ちゃんを救出するためと、あんたのその腐った性根を叩き直してやるためなんだよ!」