おれは、こぶしをきつく握って言った。
「力を貸してほしいんだ。こうして四つの宝珠が集まったのは、朱獣珠がSOSを出した結果だと思ってる。もし力を貸してくれるんなら、みんなにはイヤな仕事に協力させることになるんだけどさ。お願い。助けて」
 祈るような気持ちだった。
 海牙と煥が同時に言った。
「今さら後には引けない」
 声が重なったことに驚いた様子で、海牙と煥はお互いを見た。海牙は笑みを浮かべて、煥はそっぽを向いた。
 鈴蘭がいくらか和らいだ表情をして、「わたしも」とうなずいた。
 いつの間にかおれから少し離れていた文徳が、もう一度、おれの両肩をつかんでおれと向き合った。それから、黙っておれの背中に腕を回して、ポンポンと、ちょっとだけ荒い手つきで叩いた。
 さっき衝撃波に吹っ飛ばされて転がってってた天沢氏が戻ってきて、姉貴の手から総統のスマホを受け取った。天沢氏はそれを総統に届けて、総統のかたわらに正座でひかえる。
 総統はおれをまっすぐに見て、言った。
「理仁くんは、宝珠というもの自体が怖いか?」
 おれには隠すつもりなんてない。
「怖いっすよ。朱獣珠だって、だんだん意思疎通できるようになってきたとはいえ、肌身離さず持ってなきゃいけないのが、今でも急に苦痛になったり怖くなったりする」
「そうか。ならば、今から恐ろしいものを見せてしまう」
 総統は和服の袖を抜いて、上半身、肌脱ぎになった。
 悲鳴を呑み込む気配が、おれだけじゃなくて、人数ぶん。
 総統の体はそこそこ鍛えられてる様子で、おっさんなりに引きしまっていた。その皮膚のところどころに、小さく光る丸いものがぼこぼこと、のめり込んでいる。
 目を凝らすまでもない。ぼこぼこの正体は、宝珠だ。
 筋肉の形が見て取れる胸に、腕に。脂肪がなくストンとした脇腹に、へその上に。ゆっくりと後ろを向けば、背筋に沿ってびっしりと。
 とっさには数えきれないほどの宝珠は、皮膚と滑らかに同化して、鼓動とともにほのかに明滅している。そこから動かない宝珠もあれば、ぬるりと肌の中に沈んでいって再び浮いてくるもの、循環するようにゆっくりと動いているものもある。
 おれは、口の中が干上がっていくように感じた。
 あんなにたくさんの宝珠があったら、一体、どのくらい大きな願いが叶ってしまうんだろう? その代償として要求される命の数は、どれほどになるんだろう?
 総統がこっちを向かないまま、かぶりを振った。
【代償が命である必要はないのだよ、理仁くん。もしも願いが些細なものであるなら、例えば、互いに想い合っているのに正直に話すことができない二人の背中を押す程度なら、髪を切らねばならなかったりスマホが壊れたり、そんなものだ】
「だけど、それでも、宝珠は奪っていく……『そんなもの』って言い切れるかどうか、傍目にはそう見えたとしても、おれは『そんなもの』って感じないかもしれなくて……」
 否が応でも脳裏に浮かんでしまうのは、母親の姿。
 命までは奪われなくてよかったね、なんだろうか? 抜け殻みたいな状態で生きてる、やせてちっちゃくなっちゃった人。どんなに呼び掛けても応えてもらえないむなしさって、これでもラッキーだったってことになるのか?
 総統は、おれの心の声なんて全部聞こえてるんだろうに、それについては何も触れずに、こっちを向いて口を開いた。
「チカラが強いというのは、不自由なことだ。私には禁忌がきわめて多い。なぜなら、私が人間だからだ。判断を誤ることがある。イライラしたり悲しくなったりもする。取り乱してしまうこともある。そんなとき、私はチカラを持て余す」
 鈴蘭が言った。
「さっきも、そうでしたよね?」
「面目ないね。皆に怖い思いをさせてしまった」
「いいえ、仕方ないです。子どもが誘拐されて脅迫の電話がかかってきたら、落ち着いていられる親なんて、きっといません。あの、さよ子のおかあさんは?」
「妻は、オフィスのそばのマンションにいる。あそこがいちばん警備しやすい」
「安全なところにいらっしゃるなら、よかったです」
 総統はうなずいて、おれの目を見た。いや、全員の目を同時に見つめてるんじゃないかと感じた。
「私は、この地球上で最も大きな宝珠を預かっている。預かるべき宝珠の巨大さに応じて、私に授けられたチカラもまた巨大だ。私がこうして小さな宝珠を数多く身に付けるのは、四六時中ずっとチカラを抑え込む必要があるから」
 封印とか、結界とか。たぶん、そんな感じの言葉で表現されるもの。
 朱獣珠の声が聞こえる。
 ――見よ。宇宙の因果の均衡を、その身の上に実現している。
 ――両腕に陰陽を拮抗させ、腹に七曜を宿し、背に十干十二支の巡りを顕《あらわ》す。
 ――もし、一つたりとも均衡が損なわれるならば、如何《いかん》か。
 ――チカラは、預かるべき宝珠をも侵すべく、荒れ狂うだろう。
 ――そして、運命の大樹におけるこの一枝は滅ぶ。
 運命に形があるのなら、たくさんの枝を持つ大樹みたいなものだ。宝珠について書かれた本や古文書を見ていると、そんな文言が必ず出てくる。
 大樹の一枝が、この世界だ。この地球だ。人間が預かり知れないどこか別のところには、全然違う一枝があって、それがまた一つの世界だ。
 唐突に、おれは理解する。
「おっちゃんが預かってる宝珠って、地球そのもののことか」
 総統は目を伏せた。
「正解だ、理仁くん」
「すっげー。信じらんねぇほどデカい宝珠だねー。だからこそ、全知全能のスーパーパワーが備わってるってわけ? そんでもって、いつでも冷静にチカラを抑えてなけりゃいけないってのに、どっかのバカが娘を誘拐してくれたおかげで地球崩壊の危機だって?」
「私は弱い人間で、弱い父親だ。取り乱してしまった。娘が心配でたまらない。だが、怒りや復讐心に駆られて私が動けば、娘ほどではないにせよ大切なこの世界が、この一枝が、崩壊してしまう。私はそれを恐れて立ちすくむ、娘を助けに行けない、弱い父親だ」
 何かを大事に思う気持ちと執着心って、どこで何がどんなふうに違うんだろう?
 願いを叶えてくれる宝珠に溺れてるバカも、誘拐された娘を思うあまりにどうしようもなく弱ってる全知全能の臆病な父親も。
 譲れないモノを胸の中で抱えてあっためて、そのまま熟成させてここまで来たおっさんって、堅さと脆さが紙一重だ。
 なんつーか、か弱くないっすか? えっ、そこで足を止めて守りに入っちゃうの、みたいな。そこで戦えなくなっちゃうもんなの、みたいな。
 大人って、もっとすげー人たちだと信じてた時期が、おれにもあったんだけど。
 おれも年を食ったら、すごくないおっさんになっちゃうのかな。
 それ、イヤだ。ダサすぎんだろ。
 成熟なんて言葉が信用できない曖昧なモンで、むしろすげーことできるのが若いうちだけだってんなら、今だよ。今、本気で暴れてやる。
 おれは、服の上から朱獣珠を握りしめた。ぐるっと全員を見渡して、笑顔の仮面を装着。これ以上ペース乱されてたまるかってんだ。
「情報があらかた出そろった感じがするしさ~、そろそろ行こっか。おれの勘が正しければ、ってか、九割九分の自信があるんだけど、あいつの居場所、わかるよ。さよ子ちゃんさえ取り戻せたらいいんだし、勝算は十分でしょ。ガツンと攻め込んじゃわない?」
 灼熱するように強く頭に立ち現れたヴィジョンがある。
 夢で見た光景だ。コンクリートの地下駐車場。誕生日のナンバープレート。
 あの夢の中では、誰ひとり救うことができずに、おれは赤黒くひび割れた空の下で雨に打たれて、世界の破滅を願った。
 今回は、終わらせない。
 必ず、あの場所から、この先も続いていくストーリーをつかみ取ってみせる。