ふっと、総統が微笑んだ。
 改めて見れば、総統は、半世紀前の邦画の俳優みたいなイケオジだ。しわがずるい。白髪の交じり具合も渋い。うちの親父みたいなケバさやチャラさやイキってる感じが全然なくて、ごくごくナチュラルにカッケーおっさんだ。
 なんてことを考えてたら、総統がこっちを見て、またちょっと笑った。
 しかめっ面の煥が一歩、前に進み出た。
「状況は半分くらいわかった。半分くらい、まだわからねえ。何でも知ることのできるあんたが、娘の身を案じておかしな状態になっちまってるってのは、よっぽど悪いことがこれから起こるかもしれないってわけなのか?」
 そう、煥の言葉のとおりだ。
 イヤな予感みたいなのは、おれもずっとあった。でも、今こんなに急かされてここに呼び付けられて、若干、事態が呑み込めずにいる。
 何で今なんだろう、何でここなんだろう、って。
 その瞬間だった。
 ケータイが鳴った。ピピピピッと甲高い電子音。純和風の大広間にも、座禅を組んだ和服姿の総統にも不似合いのその音は、総統自身の袂《たもと》から聞こえてきた。
 総統の思念の声が、おれや煥の疑問に答える。
【きみたちを呼んだのは、当事者になってもらうためだ。私は動いてはならない。私が動くことは、絶対の禁忌なのだ。だから、きみたちに、私の代わりに動いてもらいたい】
 総統はスマホを取り出して、画面を見ずに天沢氏に渡した。
「頼む」
 総統の肉声は震えていた。それに呼応するかのように、畳が小さく波打った。普通の地震じゃあないだろう。震源は総統だ。
 天沢氏は会釈をして、受け取ったスマホを操作した。音量を最大に上げて、通話開始。
 無遠慮な電子音声が、息を詰めるおれたちの耳をざらざらと刺激した。
〈平井鉄真に告げる〉
 いきなり呼ばれたその名前は、総統のことだ。反応を測るような間が落ちる。総統が、震える声を絞り出す。
「何の用だ?」
 電子音声が応える。
〈おまえの娘、平井さよ子を預かっている。今日、午前四時十二分、身柄を拘束した〉
「さよ子は無事なのか?」
〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉
 さよ子と宝珠の交換。それが誘拐の目的。
 総統は目を閉じて仰向いて、ああ、と大きく息をついた。畳がまた波打った。今度は部屋ごとハッキリと揺れて、天井の梁《はり》が軋《きし》む音も聞こえた。
 電子音声は繰り返す。
〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉
 おれはとっさに姉貴の顔を見た。姉貴も、髪を振り乱す勢いでおれのほうを向いた。
 鏡をのぞいた気分だ。おれもきっと姉貴と同じ、怒りと戸惑いと憎しみと不信感の入り混じった真っ青な顔をしてると思う。
 電子音声はただ、同じ要求を繰り返している。
〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉
 総統は胸を掻きむしった。
【危惧していたことが……四獣珠の禁忌を犯すのみならず、ここまで……】
 また、屋敷じゅうが唸りながら揺れた。
 総統からチカラが噴き出している。まばゆく光る猛烈な暴風に真正面から吹かれる、そんな感じだった。おれもみんなも顔をかばってうずくまった。
 天沢氏が吹き飛ばされるのが視界の端に見えた。その手から宙に飛んだスマホが、まだあのメッセージを繰り返している。
〈娘の命が惜しくば、平井鉄真が不当に収集し、保持している宝珠と引き換えにせよ〉