犬のおにいさんと守衛に見送られて、海牙を先頭に、おれたちは足早に庭を突っ切った。ごく普通の家にお邪魔するみたいに、玄関で靴を脱ぐ。
上がり框《かまち》で、たまたま、姉貴のくるぶしが見えた。捻挫したところをぐるぐる巻きにテーピングしてある。姉貴がバイクに乗るときに愛用するレザーパンツのつやつやした黒色との対比で、医療用テープの極端な白色は妙に目立っていた。
おれらはやっぱり無茶ばっかりだ。
慌ただしげな人々とすれ違った。ボソボソ交わされる会話が、聞く気はなくても耳に飛び込んでくる。さよ子がいなくなったこと、それ自体よりも、問題は総統の様子みたいだ。
屋敷は、表から見えていた以上に広かった。純和風の庭を巡る回廊があって、さらに奥にも建物がある。屋根瓦をかぶった、二階建ての洋館風。窓の並びからして、ホテルみたいに単調な造りだ。
「広いね」
おれのシンプルな感想に、海牙はうなずいた。洋館風を指差す。
「住み込みの人たちの宿舎です。ぼくもあの一室に居候してます」
「なるほど。それで、同じ部屋が並んでそうなデザインなんだ」
鬼瓦のデザインが変わってるなーと思ったら、知ってる会社のロゴだった。意匠化されたアルファベットによる「KHAN」。
姉貴もそれに気付いたらしい。
「KHANって、あの医療機器メーカーよね?」
「はい。総統は確か会長だったと思います。奥さんが社長で、実務を切り盛りされているという話です」
「なるほど。信じられないくらいの大豪邸にも納得だわ。県の経済を引っ張る大企業だものね」
「長江家も豪邸だと聞いていますが」
「こんなにセンスよくないわよ。敷地も狭いし。一桁も二桁も、格が落ちるわ。でも、KHANの経営者は本社ビルのそばの高層マンションに住んでるって噂があるけど」
「そちらにも、総統のお住まいはありますよ。市外にも数ヶ所。総統は一つの場所に定住できない体質なんだそうです。最近は、襄陽学園に比較的近いこの屋敷にさよ子さんが引っ越してきたので、総統も奥さんもここにいることが増えていたんですけど」
「昨日はいらっしゃらなかったのね?」
「いらっしゃってたら、こんな面倒くさい事態、きっと防げたはずですね」
海牙は盛大にため息をついた。
すげーデカいお屋敷にお邪魔します状態の割に、おれたち一行、誰もビビってはいない。そりゃそうだ。ちょっと検索をかけるだけで、伊呂波家も安豊寺家も古くからの資産家だってことが判明する。ここまでの豪邸じゃないにせよ、お屋敷は見慣れてるんだ。
やがて、行く手が突き当たりになった。見事な南宗画の襖《ふすま》だ。ちゃちなレプリカとかじゃなくて、まともにその画風を勉強した本物の画家が描いたんだろう。風格っつうか、筆遣いに込められた迫力が違う。
襖の存在感がすごすぎた。だから、そこに一人の男が立ってるのに気付いたのは、三拍くらい遅れてからだった。
ピシッとしたスーツ姿の、白髪の老紳士だ。折り目正しくて、影みたいな雰囲気。付き人だなって、直感的に思った。
おれの予想は正しかった。海牙が紹介した。
「総統の執事の天沢《あまさわ》さんです」
天沢氏は、背筋の伸びたお辞儀をした。礼儀のためのふりをして、顔色を隠したように見えた。
「皆さまをお待ちしておりました。総統は中におられます。早く、お話を」
天沢氏は面を上げると同時に襖に向き直って、スッと引いた。
上がり框《かまち》で、たまたま、姉貴のくるぶしが見えた。捻挫したところをぐるぐる巻きにテーピングしてある。姉貴がバイクに乗るときに愛用するレザーパンツのつやつやした黒色との対比で、医療用テープの極端な白色は妙に目立っていた。
おれらはやっぱり無茶ばっかりだ。
慌ただしげな人々とすれ違った。ボソボソ交わされる会話が、聞く気はなくても耳に飛び込んでくる。さよ子がいなくなったこと、それ自体よりも、問題は総統の様子みたいだ。
屋敷は、表から見えていた以上に広かった。純和風の庭を巡る回廊があって、さらに奥にも建物がある。屋根瓦をかぶった、二階建ての洋館風。窓の並びからして、ホテルみたいに単調な造りだ。
「広いね」
おれのシンプルな感想に、海牙はうなずいた。洋館風を指差す。
「住み込みの人たちの宿舎です。ぼくもあの一室に居候してます」
「なるほど。それで、同じ部屋が並んでそうなデザインなんだ」
鬼瓦のデザインが変わってるなーと思ったら、知ってる会社のロゴだった。意匠化されたアルファベットによる「KHAN」。
姉貴もそれに気付いたらしい。
「KHANって、あの医療機器メーカーよね?」
「はい。総統は確か会長だったと思います。奥さんが社長で、実務を切り盛りされているという話です」
「なるほど。信じられないくらいの大豪邸にも納得だわ。県の経済を引っ張る大企業だものね」
「長江家も豪邸だと聞いていますが」
「こんなにセンスよくないわよ。敷地も狭いし。一桁も二桁も、格が落ちるわ。でも、KHANの経営者は本社ビルのそばの高層マンションに住んでるって噂があるけど」
「そちらにも、総統のお住まいはありますよ。市外にも数ヶ所。総統は一つの場所に定住できない体質なんだそうです。最近は、襄陽学園に比較的近いこの屋敷にさよ子さんが引っ越してきたので、総統も奥さんもここにいることが増えていたんですけど」
「昨日はいらっしゃらなかったのね?」
「いらっしゃってたら、こんな面倒くさい事態、きっと防げたはずですね」
海牙は盛大にため息をついた。
すげーデカいお屋敷にお邪魔します状態の割に、おれたち一行、誰もビビってはいない。そりゃそうだ。ちょっと検索をかけるだけで、伊呂波家も安豊寺家も古くからの資産家だってことが判明する。ここまでの豪邸じゃないにせよ、お屋敷は見慣れてるんだ。
やがて、行く手が突き当たりになった。見事な南宗画の襖《ふすま》だ。ちゃちなレプリカとかじゃなくて、まともにその画風を勉強した本物の画家が描いたんだろう。風格っつうか、筆遣いに込められた迫力が違う。
襖の存在感がすごすぎた。だから、そこに一人の男が立ってるのに気付いたのは、三拍くらい遅れてからだった。
ピシッとしたスーツ姿の、白髪の老紳士だ。折り目正しくて、影みたいな雰囲気。付き人だなって、直感的に思った。
おれの予想は正しかった。海牙が紹介した。
「総統の執事の天沢《あまさわ》さんです」
天沢氏は、背筋の伸びたお辞儀をした。礼儀のためのふりをして、顔色を隠したように見えた。
「皆さまをお待ちしておりました。総統は中におられます。早く、お話を」
天沢氏は面を上げると同時に襖に向き直って、スッと引いた。