さて。
 おれたち預かり手がまたすぐ集まっちゃうんだろうって予感は、想像していたより早く、現実のものになった。放課後くらいまでおあずけかなって考えてたんだけど。
 黒猫にバイバイしてコンビニを離れて、襄陽学園を取り囲む背の高い塀が視界に入ってきたあたりで、おれたちは足を止めた。あいつ、と煥がつぶやいた。
 グレーの詰襟の海牙は、まるで友達相手にそうするみたいに軽く右手を挙げてみせた。
「おはようございます。ここ、通ると思ったんです」
「どしたの? 学校、サボり?」
「ええ。緊急事態ですよ。学校に行っている場合ではないと、総統から連絡をもらったんです」
 海牙の、左右対称に調整された笑みが硬い。海牙は煥に視線を向けた。
 煥は眉間にしわを寄せた。
「何だ?」
「念のために確認しますけど、煥くん、さよ子さんにメールを送ったりなんてしてませんよね?」
「してねぇよ。オレは、亜美さん以外の女の連絡先、スマホに登録してねぇし。しかも、メールだろ?」
「そう、フリーメールのアカウントへのメールですよ。SNS上のメッセージやコメントやチャットでもなく、トークアプリでもない。メールです」
「瑪都流《バァトル》は、オーディエンスからメールアドレスを訊かない。勝手にフォローしてくれって、SNSを窓口にしてるだけだ」
「ですよね。ところが、さよ子さんのメールアドレスに、煥くんを名乗る人物からメールが届いたんですよ」
「は?」
「昨日二十三時ごろのことです。さよ子さんがメールの指示に従って屋敷を抜け出したのが午前四時ごろ。防犯カメラに映っていました。裏口の警備スタッフも、確かに四時ごろにさよ子さんと会って『学校の宿題で空を観測する』という話をした、と証言しました」
 話がやっと読めてきた。
「んじゃあ、さよ子ちゃんが行方不明になったってのが、学校サボるほどの緊急事態の内容ってわけ?」
 海牙は深々とため息をついた。
「そうなんです。駅前のライヴに行くときにはぼくを引っ張り出して護衛をさせたくせに、本格的に危うい場面には一人で突っ込んでいくんですから、さよ子さんが何を考えているのか、本当にわかりません」
 文徳が表情を険しくした。
「阿里くんはメールの文面を見た?」
「見ました。さよ子さんのパソコンのスリープを解いたらメール画面が出てきたそうで、屋敷の人から写真で送ってもらいました」
「ポエムみたいなメールじゃなかったか?」
「どうしてわかるんです?」
「そのメール、煥の詞を真似て書かれたんじゃないかと思って。煥の詞は、使う単語や文体に癖があるだろ。即時性を問われないメールの文面なら、真似ることは難しくない。さよ子さんはそれで、本当に煥からのデートの誘いだと信じてしまったんじゃないかな?」
 煥は吐き捨てた。
「冗談じゃねえ。普段の連絡だったら、いちいち詞みたいな文章にするもんか」
「それは兄貴として、俺が保証する。煥のメッセージ、文章としてつながってるのがほとんどないもんな。スタンプも絵文字も顔文字も使わないし、本当に最低限の単語だけ。おまえ、メールなんて機能は面倒くさすぎて、開いたこともないだろ?」
「開いたことくらいはある。SNSとかのアカウント登録のために、やっぱメールは必要だし。来てたメール、読んだこともある。でも、メールを書いて送ったことはない。それが必要な相手、いねぇし」
 海牙は、ストップ、と言うように手のひらを立ててみせた。
「あのメールの送り主が煥くんではないことは、ぼくたちも推測がついていました。煥くんに尋ねたのは、あくまで確認のためだけですから。それよりも、別の……」
 言い差したところで言葉を切った海牙は、おれたちの背後へと視線を投げた。視線につられて、おれは振り返る。
「おっ、鈴蘭ちゃん。おはよー」
 小走りで近寄ってきた鈴蘭は、チラッとおれに視線を向けて「おはようございます」と早口で言うと、息を切らして海牙に詰め寄った。
「さよ子のご両親から今朝、うちに連絡がありました。さよ子がいなくなっちゃったって。海牙さんが少し詳しく事情を知ってるから、合流して一緒にさよ子の家まで来てほしいって」
「ぼくも大して詳しく知りませんよ」
「いなくなったって、誘拐されたって意味なんですか? 脅迫状が届いたとか、そういうこと?」
「届くはずだと、総統が言っていました」
「はず? 予知ですか、それ?」
「実現する可能性が非常に高い推測、みたいなものだそうです。何にしても、ぼくが説明するより、総統から直接聞くほうがいい」
「そうですね」
「四獣珠の預かり手の皆さんには、一緒に来てもらいますよ。移動手段は、煥くんと文徳くんがバイクを持ってますよね。理仁くんと鈴蘭さんを相乗りさせること、できるでしょう?」
 伊呂波兄弟は同時にうなずいた。
 それじゃあ、と行動を開始しようとする雰囲気に、おれは思わず口を開いた。
「なあ、姉貴にも連絡していい?」
 振り向いた海牙は、笑うのとは違う形に目を細めた。
「預かり手でもない女性を巻き込むつもりですか?」
「そんなんじゃねぇよ。むしろ、逆だ」
「逆とは?」
 腹をくくろう。危機感と興奮と最悪の予感で、こめかみがズキズキする。指先から冷えていくように感じる。
 おれの勘はよく当たる。逃げようがないって思う。
「逆なんだよ。おれと姉貴が、みんなのこと巻き込んでんだ。家族の中でどうにか片付ければよかった問題なのにさ」
 海牙は目をそらした。煥は眉間にしわを寄せて、鈴蘭は眉をひそめた。
 文徳がおれの肩にポンと手を置いた。
「詳しい話はまた後で。理仁、独りで何とかしようなんて、絶対に思うなよ」
 文徳の顔を何となく見られなくて、文徳の手を見た。ギターだこ、っていうやつだろうか。指先に白いカサカサの鱗みたいなのがある。
 おれはうなずいた。
 うなずく以外のリアクションができなかった。