「待っていたよ、理仁《りひと》」
 傍から見てりゃ一発で、それがどんな場面なのか推測できただろう。
 仕立てのいいスーツを身に付けた五十歳くらいのイケメン紳士が、目尻に上品そうな笑いじわを刻んで、気さくな様子で軽く手を挙げる。
 対する相手は、帽子を目深にかぶった未成年。肩幅広めで背が高いところとか、目尻が垂れて唇が厚めなイケてる顔とか、明らかにイケメン紳士と似てるわけ。
 裕福な父親が、遠くフランスの地に留学してた息子を迎えに来たシーンだ。感動の再会。世界じゅうどこに行ったって治安が悪いこのご時世、お互い五体満足で「おかえり、ただいま」ができたなんて、素晴らしく幸運な出来事で。
 神さまに感謝?
 するもんかよ。
 おれは薄笑いをこしらえて、親父と向かい合った。
「連絡した覚え、ないんだけど?」
「無事に帰ってきてくれて安心したよ。車に乗りなさい。ひとまず家に帰ろう」
「帰んないよ。てか、あんたの家はおれんちじゃないから」
「理仁」
「とりあえず気が向いたときに学校には顔出すからさ~、積もる話があるってんなら、そんときでよくない? あんたも平日は学校にいるでしょ、理事長先生」
 イケメン紳士の名前は、長江孝興《ながえ・たかおき》。多様なコースを持つ割にリーズナブルな学費で有名なマンモス私立校、襄陽学園を経営している。裏でもたぶん何かやってる。胡散くさいこと、いろいろ。
 その息子であるおれ、長江理仁は、親父にとって便利な道具だった。だから逃げた。一年前、姉貴と一緒に、国外に。
 なのにどうして帰ってきちゃったんだろうなって、親父の顔を見た瞬間、おれは後悔した。直感に従って行動しただけだったんだけど、今回のこれはやっぱ失敗だったんじゃないか。
 親父は欧米人よろしく肩をすくめた。ひらひらと雄弁なジェスチャーをする右手の親指には、下品なマニキュアで塗りたくったようなショッキングピンクの胞珠がある。
「仕方ないな。必ず学校に来るんだぞ」
「わかってるって。じゃあね~」
 言い捨てて、おれは駅のほうへ向かう。
 あー、具合悪い。頭痛がひどい。歩くたびにズキズキ響く。しかも、空っぽの胃袋が七時間の時差に反発して、吐き気がする。
 どうして帰ってきちゃったんだろうな。繰り返す疑問。答えはわかってる。
 胞珠が示した道だから。
 逃れられないルートの上にいるんだって、何となく感じる。終わりの瞬間までを数えるカウントダウンが聞こえることがある。おれの人生の終わりだか、この世界の終わりだか、わかんないけど。
 カウントダウンの存在、気のせいなんかじゃねーんだ。チカラの副産物かな、おれ、勘が鋭すぎるとこがあって。
 姉貴のカウントダウンも聞こえてた。だから、銃声が聞こえたときにはもう「あー、やっぱりね」って感じだった。
 わかってたんだよな。なのにさ、死なせた。未然に防ぐ方法、なかったのかな。
 あの一件での衝撃はもう一つあった。おれが第一発見者じゃなかったってこと。
 血まみれの姉貴の死体は、男に抱きかかえられていた。男っつっても、おれと同じくらいの年頃で、おれと同じように帽子を深くかぶってて、おれと同じで猛烈なチカラを体の内側に押し込めていた。
 あいつもおれと同じだ、と直感した。額にデカい胞珠を持ってる。その厄介な体質の代償として、異能も持ってる。
 男の顔は見えなかった。言葉も交わさなかった。男は姉貴の死体を投げ出すようにして、あっという間に逃げていった。
 でも、次に会ったら、おれにはすぐわかる。異様にしなやかで素早い身のこなしも、細い体から放たれるチカラの色や圧も、おれは全部覚えてる。
 近いうちにまた会えるって、確信がある。
 そんときにはさ、どうしたらいいかな?
「ねえ、姉貴を殺したの、あいつ?」
 おれは唇の内側でつぶやいた。
 もしも姉貴が「うん」と答えるなら、さて、おれはあいつにどんなお返しをしてやろう?
 答える声は、もちろん、ない。まぶたの裏側に思い描く姉貴は、目を見開いたまま、ずっと死んでいる。