ストリートライヴの時間は心地よく流れていった。気付いたら、終わりの時間が訪れていた。
 すっかり暗くなって、気温も落ちた。姉貴は、肩に引っ掛けてただけのカーディガンの袖にキッチリ腕を通した。
 ちょうどスポットライトみたいな外灯に照らされた瑪都流《バァトル》のメンバーは、まだ上着も羽織らずに、腕まくりまでしている。激しい動きをしてるようには見えなかったけど、音楽をやるのは、それだけで体の熱くなるアクションなんだろう。
 文徳《ふみのり》のまわりにはちょっとガラが悪めのファンが集まってて、そこに近付けないフツーの子たちを亜美がフォローしてやってて、牛富と雄のとこではマニアックでコアなおっさんたちが話し込んでる。
 煥《あきら》は一人でいたり、話し掛けられると文徳の陰に隠れたり、亜美に呼ばれて仕方なくそっちに行ってファンに一言だけ挨拶したり、また逃げ出して一人になったり、さよ子と鈴蘭が意を決して声をかけるのに生返事をしたり。
 あいつ、何かおもしろい。一つ年下の高校生男子を見てるっていうより、猫の動画を眺めてる気分になる。さよ子や鈴蘭くらいの美少女相手には、もうちょっと愛想よくしてやれよ。それとも、気まぐれ猫ちゃんには人間の美少女の価値がわかんねぇの?
 何気なく駅舎のほうを向いた姉貴が、ハッと息を呑んで体を硬くした。
「どしたの?」
 おれがそっちを見るのと、姉貴がハイヒールを鳴らして駆けてくのと、同時だった。
「きみ、あのときの! 阿里海牙くんでしょう? わたしのこと、覚えてる?」
 人の流れから外れた暗がりに、そいつは立っていた。おれとあんまり変わらないくらいの長身。そのくせ華奢って言っていいくらい、かなり細い。
 海牙という名のそいつは、駆け寄ってくる姉貴に、計算し尽くしたみたいな左右対称の笑みを作ってみせた。
「お久しぶりです、長江リアさん。ケガはひどくなかったようで、安心しました」
「わたしの名前、知ってるのね」
「あなたこそ。調べ物が得意なのは、お互いさまのようですね」
 男の声じゃあるけど、圧を感じさせないソフトな声だ。
 それにしても最近、イケメンに縁のあるよなー。海牙ってやつも、トルコ系の血が入ってるって言われても納得できちゃうような、鼻筋の通った美形だ。
 海牙は、隣町の男子校の制服を着てる。のっぺりしたグレーの詰襟だから「墓石」って陰口叩かれてる制服だってのに、手足が長くてスタイルのいいやつが着ると、こうもシックに決まっちゃうもんなのかね。
「わたし、きみのこと探したのよ。あのとき、きみはあっという間にいなくなっちゃって、お礼もできなかったから。学術交流会だっけ? そういうのに参加してたんでしょう? 最終日のパーティ会場まで行ったりもしたの。会えなかったけど」
「あのときは、すみませんでした。犯人を問い詰めるところまでやったほうがよかったかもしれないんですけど、そんな面倒くさい雑事よりも重要な用事があって。聴きたかった講演の時間が迫っていたので、急いでいたんです」
「講演? そっか。あの場所、大学の裏手に当たるわね。きみがあの道を通ったのは、その講演を聴きに行く途中だったから?」
「はい。偶然でした」
「そうだったんだ。わたし、ラッキーだった。講演には間に合った?」
「ええ。宇宙物理の話だったんですけど、ぼくの目でも見えない宇宙の深淵部には、現在唱えられているブラックホールの成長に関する理論では説明できないほど巨大なブラックホールがあって、その誕生と成長の謎はまだ誰も解けていないんですよ」
 姉貴はクスッと笑った。
「目がキラキラしてる。宇宙の話を始めた途端、表情が変わったわ」
「そうですか?」
「ずいぶん勉強熱心みたいね。将来は科学者になりたいの?」
「はい。日本では飛び級って難しいですけど、たまにああいう学術交流会に参加するチャンスならあって、行ってみると楽しいんですよね。学校の勉強なんかとは全然、刺激が違います」
「いいわね、そういうの。枠から飛び出して、楽しいことができるって」
 おれは、さっきから胸のあたりが騒いで仕方がない。朱獣珠が暴れてんだ。そのはずだ。
 でも、鈴蘭が煥の前に立ったときに戸惑うって言ってたのが、今ならおれにもわかる。ドキドキザワザワしてんのは青獣珠なのか自分の心臓なのか、自信がなくなるんだって。おれも今、似たような状態だ。
 姉貴がどことなく弾んだ笑顔と声で、海牙としゃべっている。海牙も笑顔で、まっすぐに姉貴を見て、言葉を返している。美男美女っすねー。そこだけ世界が違うんじゃないかってくらいキレイな光景で、お似合いで。
 おかげで、おれは胸の中がどうしようもなくざわついている。
 薄々わかっちゃいたんだけど、おれって、かなりシスコンだな。姉貴に近付く男がいたら無条件で敵視するとか。
 ダメじゃん。バカじゃん。仕切り直せよ、感情。
 おれはこっそり大きな深呼吸をして、姉貴と海牙のところへ行った。
【やーっと挨拶できたね、玄武の阿里海牙くん。おれは朱雀の長江理仁《ながえ・りひと》。こないだは姉貴のこと守ってくれて、ありがと】
 音のない声で言った。チカラの片鱗さえない人にはまったく聞こえない波長を選んだ。
 いくつかの真剣なまなざしがおれに集まった。おれは、今の声を聞いたはずの全員をぐるっと見渡す。人波越しに視線が絡み合う。
 煥、文徳、鈴蘭、さよ子、姉貴、そして海牙。
 海牙は仮面みたいな笑顔を崩さなかった。
「四つがそろったんですね。何かが起ころうとしている。いや、もう起こってしまっているんでしょうか。四獣珠が発する声のようなものを感じるんですよね」
【みんな同じなんだ? じゃあ、四獣珠が繰り返してるこのメッセージは、記憶に引っ掛かってるはずだね。「因果の天秤に、均衡を」って】
 胸の上で、ペンダントトップの朱獣珠がおれの言葉に呼応して鼓動した。重なり合ういくつかの声を感じた。
 ――因果の天秤に、均衡を。
 四つの宝珠の声だったんだろう。条件反射みたいに、海牙は胸元に手を触れた。
「玄獣珠が断片的に提示する情報から推測するに、均衡を取り戻さなければならない状況がすでに現出しているんですよね。因果の天秤とやらが傾いてしまったのはなぜなのか、きみは知っていますか?」
「たぶん知ってる。というか、SOS出して四獣珠を集結させたの、おれの朱獣珠だと思うんだ。宝珠は互いに近寄っちゃいけないっていう基本ルールを守ってらんないくらいの危機的状況に、朱獣珠はずーっと置かれてたからさ」
 海牙は、笑うのとは違うやり方で目を細めた。
「情報交換が必要でしょうね。ぼくたち四人それぞれ、持っている情報の質や量が違いすぎます」
「そーだね」