唄のタイトルは『リビングデッドブルース』っていうらしい。
煥は歌い終わったとたん、そそくさとセンターマイクの前から離れた。MCの文徳がそれを叱って、煥をうながしてマイクの前に立たせて、タイトルを言わせた。書いたばっかりの新曲だそうだ。
何を思いながらこの詞を書いたのかって、文徳が煥に訊いた。煥はちょっと顔をしかめた。
「別に、普段どおり。思ったことそのまんまだ。オレが書く詞でいいのかどうか、いつもわからなくて、最初に兄貴の前で歌うときも、最初にバンドで合わせてみるときも、最初にライヴで披露するときも、何ていうか……手が冷たくなってくような感覚」
怖い、って言いたいんだろうか。
自分自身の心を正直に書き綴った詞を、煥がいちばん信頼してる兄貴や、バンド仲間やオーディエンスの前にさらけ出す。受け入れられなかったらどうしようって、煥は思うんだろうか。
煥の言葉を待って、沈黙が落ちる。煥は、ふっと空を見上げた。どこでもない場所に視線を投げ掛けながら、煥はマイクの前でささやいた。
「オレが独りよがりで唄だと呼んでるモノが、本当に唄なのかどうか。兄貴とか、誰かが聴いて、唄だって認めてくれて。そしたら、やっとそいつはちゃんと唄になるんだって思う。人に届く言葉じゃないと、オレは、瑪都流の唄だって言いたくない」
スッと耳に染み入ってくるような声で、訥々《とつとつ》としゃべる。不思議なリズムの煥の語り口に、おれは聞き入ってしまった。
歌うことに対して真剣なんだな、って思った。おれにはそういうもの、ないよな。おれも何かほしいな。
いや、手に入れるよりも先に、ボコボコの穴だらけになっちゃってるところを埋め戻さなきゃなんないかな。ゼロになるまで修復して、全部そこからかな。それってけっこう途方もないよな。
考え始めると、しんどくなる。
姉貴がささやいた。
「ステキなバンドね。いい曲」
横顔を見下ろしたら、目がやけにキラキラしていた。涙だ。
姉貴はさりげなくおれから顔を背けた。くるっとカールしたまつげが、せわしないまばたきに揺れる。細切れにされた涙が、ラメみたいにマスカラの上に引っ掛かった。
同じこと思ってたのかな、姉貴も。一年ぶんの親不孝への後悔。
意識がないんじゃなくて人格だけ眠っている。そんなタイプの植物状態がある。目が開いていて、定期的にまばたきをして、体を起こしてやったら腰掛ける体勢を保持できて、眠くなれば目を閉じて眠って。だけど、呼んでも手を握っても、応えない。
ものを飲み込むのは、最初からうまくできなかった。チューブとか点滴とかで命をつないで、ちょっとずつやせて弱っていって、小さな変化を毎日見に来るんだったらおれも気付かなかったかもしれないけど、一年だ。
一年ぶりにお見舞いに行ったら、五十歳の眠り姫は、信じられないほどやせて小さくなって弱々しくなって、今にも死にそうな病人同然になっていた。母親がこんなに早く、こんなにちっちゃくなるなんて、さすがに想像もできなかった。
声も出ないほど後悔した。後悔に追い打ちをかける医者の言葉に、何か視界が真っ暗になっていくような感じで、立っていられなかった。
おかあさんの体は、うまく栄養を取れなくなってきています。体が弱ったことに起因する疾病がいくつか出てきていますし、このタイミングでお子さんたちが会いに来てくれて……間に合ってよかったと思いますよ。
よかった、って。何がよかったんだろう?
おれさ、別に、親の死に目に間に合いたくて帰ってきたんじゃねぇんだよ。
何かが死ぬところなんて、命が消えるところなんて、相手が何者だとしても、見たいもんじゃないでしょ、普通。しかも、何で親? どうして母親が弱って死んでいくとこなんか、じっくり付き合わなきゃけないわけ?
イヤなんだよ。お見舞いとか、毎度すっげー苦しいんだよ。母親には見てもらえもしないのに、花粉の出ない花を店で尋ねて、お見舞い用に整えてもらって買ってくの。それで、その花束を見てくれる看護師さんたちから「いい息子さんね」なんて言われんの。
違うんだってば。おれが必ず花を持っていくの、母親のためっつーより、引っ込みがつかなくなってるだけなんだよ。ナースセンターで「あのお花の子」って覚えられてんの知ってて、途中でキャラを変えるとかできなくなって。
本当は花なんて全然わかんねぇよ。花なんて、名前も旬も花言葉も全然、頭に入ってこねぇし。
てか、母親だって、別に花が好きな人でもないんだよね。母親が本当に好きなのは、アレンジした果物。果肉が丸ごと入ったゼリーとか、ドライフルーツとかナッツとか、コンポートとか、酸味バリバリのベリー系のジャムとか。
だけど、そんなもん、自力で食事しようとしない人へのお見舞いに持ってきたって仕方ないし。持ってきたいけど。喜ぶってわかってんのに。
ねえ、もうそろそろスパッと目ぇ覚ましてよ。
そしたら、「一年ほっぽり出してたんだけど覚えてないでしょ、ごめんねー、あはは」って感じで、あっさり孝行息子に戻ってやれるよ、おれ。弱った体でも、果汁のゼリーとかなら食べられるんじゃない?
だから、ねえ。起きろよ。返事しろよ。目ぇ開いてんなら、おれのこと見つめ返せよ。頼むから。
後悔と反発がごちゃ混ぜになっている。掻き乱される胸の内側はどろどろで、ざらざらで、濁っていて汚くて醜くて、情けなくて涙が出そうになる。
電車が駅に到着する音。お決まりのメロディとアナウンス。人混みの気配。
文徳のMCが一段落して拍手が起こって、それを断ち切る照れ隠しみたいなタイミングで、次の曲が始まる。一生懸命に疾走する音に呑まれて、おれのぐるぐる迷走した思考がストップする。
そうだよ。
ガンガン鳴らしてよ、ロックサウンド。
今だけ、悩み事も何もかも忘れさせてよ。
煥は歌い終わったとたん、そそくさとセンターマイクの前から離れた。MCの文徳がそれを叱って、煥をうながしてマイクの前に立たせて、タイトルを言わせた。書いたばっかりの新曲だそうだ。
何を思いながらこの詞を書いたのかって、文徳が煥に訊いた。煥はちょっと顔をしかめた。
「別に、普段どおり。思ったことそのまんまだ。オレが書く詞でいいのかどうか、いつもわからなくて、最初に兄貴の前で歌うときも、最初にバンドで合わせてみるときも、最初にライヴで披露するときも、何ていうか……手が冷たくなってくような感覚」
怖い、って言いたいんだろうか。
自分自身の心を正直に書き綴った詞を、煥がいちばん信頼してる兄貴や、バンド仲間やオーディエンスの前にさらけ出す。受け入れられなかったらどうしようって、煥は思うんだろうか。
煥の言葉を待って、沈黙が落ちる。煥は、ふっと空を見上げた。どこでもない場所に視線を投げ掛けながら、煥はマイクの前でささやいた。
「オレが独りよがりで唄だと呼んでるモノが、本当に唄なのかどうか。兄貴とか、誰かが聴いて、唄だって認めてくれて。そしたら、やっとそいつはちゃんと唄になるんだって思う。人に届く言葉じゃないと、オレは、瑪都流の唄だって言いたくない」
スッと耳に染み入ってくるような声で、訥々《とつとつ》としゃべる。不思議なリズムの煥の語り口に、おれは聞き入ってしまった。
歌うことに対して真剣なんだな、って思った。おれにはそういうもの、ないよな。おれも何かほしいな。
いや、手に入れるよりも先に、ボコボコの穴だらけになっちゃってるところを埋め戻さなきゃなんないかな。ゼロになるまで修復して、全部そこからかな。それってけっこう途方もないよな。
考え始めると、しんどくなる。
姉貴がささやいた。
「ステキなバンドね。いい曲」
横顔を見下ろしたら、目がやけにキラキラしていた。涙だ。
姉貴はさりげなくおれから顔を背けた。くるっとカールしたまつげが、せわしないまばたきに揺れる。細切れにされた涙が、ラメみたいにマスカラの上に引っ掛かった。
同じこと思ってたのかな、姉貴も。一年ぶんの親不孝への後悔。
意識がないんじゃなくて人格だけ眠っている。そんなタイプの植物状態がある。目が開いていて、定期的にまばたきをして、体を起こしてやったら腰掛ける体勢を保持できて、眠くなれば目を閉じて眠って。だけど、呼んでも手を握っても、応えない。
ものを飲み込むのは、最初からうまくできなかった。チューブとか点滴とかで命をつないで、ちょっとずつやせて弱っていって、小さな変化を毎日見に来るんだったらおれも気付かなかったかもしれないけど、一年だ。
一年ぶりにお見舞いに行ったら、五十歳の眠り姫は、信じられないほどやせて小さくなって弱々しくなって、今にも死にそうな病人同然になっていた。母親がこんなに早く、こんなにちっちゃくなるなんて、さすがに想像もできなかった。
声も出ないほど後悔した。後悔に追い打ちをかける医者の言葉に、何か視界が真っ暗になっていくような感じで、立っていられなかった。
おかあさんの体は、うまく栄養を取れなくなってきています。体が弱ったことに起因する疾病がいくつか出てきていますし、このタイミングでお子さんたちが会いに来てくれて……間に合ってよかったと思いますよ。
よかった、って。何がよかったんだろう?
おれさ、別に、親の死に目に間に合いたくて帰ってきたんじゃねぇんだよ。
何かが死ぬところなんて、命が消えるところなんて、相手が何者だとしても、見たいもんじゃないでしょ、普通。しかも、何で親? どうして母親が弱って死んでいくとこなんか、じっくり付き合わなきゃけないわけ?
イヤなんだよ。お見舞いとか、毎度すっげー苦しいんだよ。母親には見てもらえもしないのに、花粉の出ない花を店で尋ねて、お見舞い用に整えてもらって買ってくの。それで、その花束を見てくれる看護師さんたちから「いい息子さんね」なんて言われんの。
違うんだってば。おれが必ず花を持っていくの、母親のためっつーより、引っ込みがつかなくなってるだけなんだよ。ナースセンターで「あのお花の子」って覚えられてんの知ってて、途中でキャラを変えるとかできなくなって。
本当は花なんて全然わかんねぇよ。花なんて、名前も旬も花言葉も全然、頭に入ってこねぇし。
てか、母親だって、別に花が好きな人でもないんだよね。母親が本当に好きなのは、アレンジした果物。果肉が丸ごと入ったゼリーとか、ドライフルーツとかナッツとか、コンポートとか、酸味バリバリのベリー系のジャムとか。
だけど、そんなもん、自力で食事しようとしない人へのお見舞いに持ってきたって仕方ないし。持ってきたいけど。喜ぶってわかってんのに。
ねえ、もうそろそろスパッと目ぇ覚ましてよ。
そしたら、「一年ほっぽり出してたんだけど覚えてないでしょ、ごめんねー、あはは」って感じで、あっさり孝行息子に戻ってやれるよ、おれ。弱った体でも、果汁のゼリーとかなら食べられるんじゃない?
だから、ねえ。起きろよ。返事しろよ。目ぇ開いてんなら、おれのこと見つめ返せよ。頼むから。
後悔と反発がごちゃ混ぜになっている。掻き乱される胸の内側はどろどろで、ざらざらで、濁っていて汚くて醜くて、情けなくて涙が出そうになる。
電車が駅に到着する音。お決まりのメロディとアナウンス。人混みの気配。
文徳のMCが一段落して拍手が起こって、それを断ち切る照れ隠しみたいなタイミングで、次の曲が始まる。一生懸命に疾走する音に呑まれて、おれのぐるぐる迷走した思考がストップする。
そうだよ。
ガンガン鳴らしてよ、ロックサウンド。
今だけ、悩み事も何もかも忘れさせてよ。