唐突に、おれは呼ばれた。
「理仁! 本当に戻ってきたんだな」
 透明人間ごっこ中のおれを、難なく発見したそいつ。親友って呼ばせてもらってる、同い年の気楽な相手だ。
 おれは笑顔をこしらえて振り返った。
「文徳~! 久しぶり! 戻ってきたよ~。で、予告してたとおり、軽音部室に遊びに行こうかと思ってね」
 栗色の髪、長身、切れ長な目のイケメン。生徒会長サマで成績優秀、スポーツ万能。ロックバンドのリーダーで、バンドを慕って寄ってくる不良どもまで取りまとめる。
 伊呂波《いろは》文徳。意味不明なほどハイスペックなくせに、すっげーいいやつだ。
 文徳はギターを肩に引っ掛けて、軽音部室に向かう途中だった。おれは文徳の隣に並んで、一緒に歩き出す。
「いつ帰国したんだ?」
「昨日だよ」
「体、きついんじゃないか?」
「それなりにね~。でもまあ、許容範囲。ところで文徳、背ぇ伸びたね。おれと変わんないじゃん」
「この半年くらいで急に伸びた。部室で身長の話をすると、弟の煥《あきら》がむくれるから、おもしろいけど面倒くさいぞ。あいつも平均よりちょっと上なんだけど、バンドの中ではいちばん小さい」
「ベーシストの女の子、亜美ちゃんだっけ? あの子もけっこう身長あるもんね」
 噂をすれば何とやら。廊下の角を曲がって軽音部室のドアが視界に入ると、ちょうどそこにベーシストのイケメン風長身女子の姿があった。
 亜美って名前の彼女は、文徳の幼なじみで恋人だ。っつっても、文徳以上に亜美はサバサバしててサラッとしてて、二人が恋人っぽいことしてるシーンはまったく想像できない。
「遅いよ、文徳。鍵、開けて。そちらは、長江だっけ? 前、ストリートライヴでちょっと話したよね。久しぶり」
「うん、久しぶり。今日はちょっと練習を見学させてもらうから、よろしく。文徳の弟くんに会ってみたくてね」
「煥ね、気難しいとこもあるけど、根は素直だよ。あいつの歌も聴いてみてほしい」
 文徳が鍵を開けてドアを開けて、おれたちは軽音部室に入った。
 防音壁の小さな部屋だ。アンプ、ドラム、シンセサイザー、スタンドマイク、譜面台、丸椅子、ホワイトボード、古めかしいCDラジカセ。
 この学校の軽音部にはたくさんのバンドが所属していて、部室は二つある。そのうち小さい部屋は、軽音部内のライヴバトルで優勝した人気と実力ナンバーワンのバンドが占領する。大きい部屋は、その他のバンドのたまり場と化しているそうだ。
 文徳と亜美が楽器の準備をするうちに、ドラマーの牛富《うしとみ》とキーボーディストの雄《ゆう》がやって来た。おれは短い挨拶を交わす。
 牛富は同学年で、レベル別の数学で同じ教室だったことがある。体がデカくてゴツいけど、すっげー優しくて癒し系なやつ。
 雄は一つ下。文徳たちのストリートライヴで、女の子だと思ってナンパしたら男だったんで笑ったけど、一年でだいぶ男っぽくなった。
 文徳たちの5ピースバンドの名前は「瑪都流《バァトル》」っていう。バァトルというのは古い言葉で「勇者」って意味で、中二病感あふれる漢字表記は当て字だそうだ。
 五人がそろわないと、一つのものが形にならない。それってどういう感覚なんだろう? おれは音楽もスポーツもまじめにやったことないし、部活も委員会も入ったことない。
 憧れみたいなのはないつもりなんだけど。まあ、実際にバンドの様子を見物してたら、ちょっとうらやましくなってきちゃうもんだね。
 文徳たちは音出ししながら、たまにちょっかい出し合って、急にまじめな顔で譜面を確認する。音楽やるのが好きなんだなって感じるし、お互いほんとに仲いいんだなっても思う。
 なかなかの爆音環境。でも、不思議な居心地のよさがある。楽しそうな瑪都流のメンバーを見てると、それだけで、こっちまで頬が緩んでくる。
 ふと、ドアノブが回る音が聞こえた。そんなかすかな音が、爆音環境の中で妙にクッキリ聞こえた。耳で聞いたんじゃないのかもしれない。第六感でキャッチしたんだ。
 朱獣珠がドクンと大きく鼓動した。
 ドアが開いた。
 銀色の髪がサラサラ揺れた。金色の目がおれをとらえて、怪訝《けげん》そうに細められた。
 聞いてたとおりの姿でも、やっぱり実際に目にすると、あまりにもキラキラだから驚いてしまう。着飾ってるわけでもない男に対して、キラキラとか言うのも妙な気もするけど、ほんと、光を反射してるように見える。それか、内側から光ってんのか。
 おれは、一拍遅れで笑顔を作った。
「おー、やっと会えた~。文徳の弟の、煥だよね? なるほどなるほど、確かに文徳の弟だってわかる顔してる。聞きしに勝る美少年じゃん。あっきーって呼んでいい? ダメって言われても呼んじゃうけど」
 身長は百七十センチそこそこで、細い。銀髪で隠れがちな耳にリングのピアスがはまっている。銀髪とピアスと、たびたび教室を抜け出す一匹狼気質のせいで、不良ってレッテルを貼られてるらしい。
 煥は眉間にしわを寄せて、文徳に向き直った。無言のうちに「こいつ、誰?」と、おれのことを尋ねる。文徳は肩をすくめて、おれに視線を寄越した。
 おれも肩をすくめた。口を開かず、音を使わない声で、煥ひとりに向けて言った。
【申し遅れたけど、おれは長江理仁。文徳から、チラッとくらい聞いてない? あっきーと同じで、四獣珠の預かり手だよ。朱雀の宝珠、朱獣珠を預かってる。きみはさ、白虎《びゃっこ》でしょ?】
 煥の目の色が変わった。
「このところ白獣珠が落ち着かなかった理由、こういうことか」
 すげーいい声だ。一瞬、話題がおれの頭から吹っ飛んだ。声変りをして低くなっているのに、しなやかで澄んだ声。ハッとするほど印象的。
 だてにヴォーカリストやってるわけじゃねぇんだな。異能じゃなくても、チカラのある声なんだ。おれは異能としての声を持っていても、美声だなんて誉められた試しはない。
 チラッと胸に起こった嫉妬を、おれは握りつぶした。
【おや~? 四獣珠の話、バンドメンバーに聞かせちゃってもいいわけ?】
「かまわねえ。亜美さんも牛富さんも雄も、代々、白虎の伊呂波家とつながりのある家の生まれだ。オレたちは幼なじみで、みんな、ちゃんとわかってる」
「そーなんだ。気ぃ使ってみたのに、ビミョーに損した気分。てか、仲間がいるんだ。うらやま~」
 いや、割と真剣に、うらやましい。おれは姉貴に守ってもらってばっかで、朱獣珠のこともチカラのことも他人に知られちゃいけないって、人付き合いを避けてきたし。