タクシーの後部座席。白いカバーが掛かったシート。姉貴が隣の座席でスマホをいじっている。シートベルトが胸の谷間を斜めに際立たせて、巨乳感が五十パーセント増量中。
 姉貴が首を傾けて、おれの顔をのぞき込んだ。
「うなされてたわよ」
「だろうね」
「顔色が悪い。大丈夫?」
「いつもの夢だけど、シリーズ史上最悪に悲惨なバッドエンドだった」
 作り物みたいにキレイな生首。動く死体に群がられて爆散する少女。全身の関節がぐちゃぐちゃになった亡骸。血の涙を流しながらおれに食い付いた、ひどく美しいリビングデッド。死を待ちながら見上げた、雨を降らせる赤黒い空。
 あれは学校のそばだった。地下へ潜って、蟻の巣みたいな場所をたどって、駐車場に行き着いた。知っているものがいくつもあった。転がされたままの謎もたくさんあった。
 窓の外を見る。隣町の景色が、なつかしさとよそよそしさの絶妙なブレンドで流れていく。
 ぽわぽわの白い雲を散らした、四月の青い空。碁盤の目みたいに整然と展開された街並み。大人のデートスポットで有名なファッションビル。大企業の社長が最上階に住んでるって噂の高級マンション。KHAN、というロゴが入った巨大なオフィスビル。
「医療機器メーカーだっけ、あの会社」
「KHANのこと? 医療機器というか、車いすや義肢や介護用設備よ。最近、十代向けコスメブランドの子会社も起ち上げたらしいわ。KHANの会長か社長に高校生の娘さんがいて、肌や髪にいいものを使わせたいからって」
「愛娘ひとりのためにブランド作っちゃうって発想と資金力がすごい。そういや、去年、まだあのビル建ってなかったよね」
「ええ。この場所、倒産したパチンコ屋が廃墟状態で残されてて、不良のたまり場になってたから大変だったのよ。ずいぶんキレイに生まれ変わっちゃって」
「そっか。姉貴、前はこのへんのサロンで働いてたんだっけ」
「表通りのオフィス街やショッピングエリアじゃなくて、もうちょっと奥まったあたりよ。この町ね、実は大学や専門学校がけっこう多いの。だから、客層が気楽な感じで、あの雰囲気は好きだったわ。またこのへんで働けたらいいんだけど」
 大きな川に架かる橋を渡ると、そこは、おれと姉貴の住み慣れた町だ。親父が建てた私立学校、襄陽学園もこの町にある。
 港町として発展した場所らしい。海のほうから順に、船着き場や倉庫街があって、繁華街が広がってて、町の真ん中あたりに襄陽学園があって駅があって、そのへんから住宅地が始まってて、だんだん山になる。
 三差路や五差路が頻発する迷子上等な繁華街へと、タクシーは入っていく。カーナビが車線変更を告げる。ちょっと渋滞。目的地のビジネスホテルまで、あと十五分か、二十分か。
 姉貴はスマホから目を上げた。
「住む場所、探さないとね。明日にでも」
「もしかして、空港からずっと部屋探しの検索してた?」
「当然。住所が決まらないことには転居届も出せないし、仕事探しもできないもの」
「おれも手伝ったがいい?」
「手伝わなくて大丈夫よ。学校あるでしょ。それに、あんたには、やるべきことがあるんでしょ。わたしが手伝うことのできない役割が」
「やりたくねー」
 おれが投げやりにそう言うと、姉貴は呆れたようにちょっと笑って、そして眉をひそめた。
「協力できるところは協力する。だって、問題の半分は身内の事情なんだもの。他人を巻き込むのが心苦しいくらいよ。本当はわたしひとりでやっちゃいたい」
 やめてくれよ。
 こないだ姉貴がヤバい目に遭いかけたときだって、足首を捻挫して立てなかったってだけで、おれ、食うも眠るもできないくらいメンタルやられたんだぞ。ほんとに、心配だったし怖かったしムカついたし泣きそうだったし。
 でも、姉貴にそんなこと言ったって、じっとしてやしねぇんだろうな。
「おれらふたりじゃどうにもできないから帰ってきたってとこ、あるじゃん?」
「わかってる」
「そーっすか」
「理仁、あんたもケガくらいならしていいけど、無茶はしないでね」
「当然でしょ。ケガもしたくないよ~、おれは」
 望みを言葉に乗せてチカラを込めて、音を立てずに世界へ放つ。
【この人生がこれ以上、ぶっ壊れませんように】
 なんてね。チカラの無駄遣い。
 個々の人間を自在に従わせるおれの号令《コマンド》も、世界だなんて曖昧な対象に向けるんじゃ効力はない。死力を尽くしたら、天災の一つくらい起こせるのかもしれないけど、やってみるつもりもないし。
 重たいよな。直径二センチちょっとの朱い石ひとつが、ただただ重い。
 どうしておれなんだ?
 繰り返す問いに、朱獣珠はいつも一つだけ答える。
 ――因果の天秤に、均衡を。
 笑っちゃうんだけど。こんな厄介きわまりないトラブルを抱え込む見返りが、号令《コマンド》っていうチカラだけって。
 それこそ、均衡めちゃくちゃだろ。ひでー話だ。