十二時間のフライトはつつがなく終了した。
映画を観てたら、寝るタイミングを逃した。まあ、もともとそんなに長時間睡眠しなくても生きていられる体質だけど、かれこれ三十時間近く起きっぱなしだから、さすがに若干グロッキーだ。最後に出てきた機内食のパスタが胃にズシンと来てる。
いやいや、たかだか時差ボケと寝不足のせいで胃もたれとか。ピチピチの十七歳が、何をおっさんくせーこと言ってんだか。
「理仁《りひと》、降りるわよ。起きてんでしょ?」
姉貴はおれに声を掛けて、颯爽と席を立った。化粧してないからってんで、薄く透ける大きなサングラスで顔の半分を隠している。姉貴はすっぴんのがかわいいと思うんだけどね、おれは。
おれは、のそっと立って、頭上の棚から二人ぶんの手荷物を降ろして抱えて、通路を先行する姉貴に続いた。
「姉貴、荷物」
「あんたが持って」
「え~」
「航空券の手配から税関申告書や入国カードの記入まで、面倒なことは全部わたしがやってあげたでしょ。荷物くらい持ちなさい」
「へいへい」
八つ年上の姉貴はおれの保護者役。とはいえ、十八歳未満にはあんまり見えないおれは、変な虫がつくのを嫌う姉貴のカレシ代理をやらされることもけっこうあって。
おかげで、おれにも女の子が寄ってこなくなってんですけど。困るんですけど。おれ、モテ男で通ってたはずなんですけど。
女の子たち曰く、姉貴と比較されるんじゃ勝ち目ないって。うん、積極的には否定しない。
おれも姉貴も、目尻が垂れててまつげが濃くて唇が厚めで、顔立ちもスタイルも東洋人離れしている。張り合おうってのは厳しいんじゃないかな。でも、そういうのって別に勝敗じゃなくない? モデルか何かのオーディションでもないんだし。
つーか、美形って、見慣れてるとあんまり価値を感じなくなる気がする。美人は三日で飽きる。三日どころか、かれこれ十七年以上もおれはおれだし姉貴の弟やってるしで、めったなことじゃ人の美醜にあれこれ感じなくなってんだよね、おれは。
大事なのは中身でしょ、なんていうクサいこと言うつもりはないけど。
対等に付き合える相手に飢えている、かもしれない。支配関係でも敵対関係でもない相手が、おれにはめったにいない。おれは生まれながらの王さまで、仲良くなりたいと思った相手を無意識のうちに服従させてしまうから。
このチカラ、呪いに近いんじゃないかとも感じる。
ため息をこっそり、一つ。
疲れてるわな。やっぱ寝なきゃダメだ。ちょっと頭が痛い。
お高い航空会社のフライトは、エコノミークラスでも快適な座り心地だった。キャビンアテンダントも親切だった。高価なモノにはそれだけの価値がある。
お金の心配はしたことがない。一年前に実家を離れて以来、姉貴がおれのぶんも含めてお金の管理をしてくれてんだけど、通帳にはまだまだ余裕があるそうだ。
だって、実家、超絶お金持ちだし。おれも姉貴も、与えられたお小遣いを突き返してド根性やるようなキャラじゃないし。上手に世渡りできる部分はやっちゃったがいいじゃんっていう省エネスタイルだし。
フランスに滞在したのは、昔、家族でそっちに住んでた時期があるからだ。おれはよちよち歩きだったから、ほとんど覚えてない。姉貴が当時の知り合いと連絡をつけて、その人を頼って転がり込んで、一年間。
あっという間の日々だった。姉貴は美容師だから仕事らしきことをしてたけど、おれは何もなくて、とりあえず学校。
長く続くはずもない、という気はしていた。きっと呼び戻されるだろう、と。
だって、おれが朱獣珠《しゅじゅうしゅ》の預かり手である限り、宿命は必ず付いて回るから。
「理仁、パスポートと航空券、すぐ出せる?」
「ん、出せるよ」
「忘れ物してない? 前、ポケットに突っ込んでたスマホ落として、大騒ぎしたでしょ?」
「だいじょぶだって。今回はポケットじゃなくてカバンに入れてるし、大事なモンは肌身離さず首から提げてるし」
神経を澄ませると、わかる。おれの心臓のすぐそばで鼓動する朱獣珠のリズム。人間に似た体温を持つ、硬い石の感触。直径二センチちょっとの、小さいくせに重たい存在。
朱獣珠は、おれが預かるべき大事なモンだ。同時に、おれにとってこの世の何よりも恐ろしくておぞましい相手でもある。朱獣珠に罪はないけど、いまだに恐怖の夢を見て飛び起きる。
飛行機の通路はカーペットが敷かれていて、足音が立たなかった。キャビンアテンダントのおねえさんとおにいさんに見送られてブリッジに渡ると、姉貴のハイヒールがカツンカツンと高く鳴った。その音、すげーいいと思う。
おれの目の高さに、姉貴の頭のてっぺんがある。おれと同じ朱い髪。染めてんのかってよく訊かれるけど、生まれつきだ。
朱《あか》、という色に、切っても切れない縁がある。朱獣珠を預かるべき血筋に生まれて、おれが当代の預かり手。ほしくて得たわけじゃないけど、それなりに強いチカラと、朱い髪と朱い目がおれに備わっている。
血縁的にいちばん近い姉貴も、朱だ。髪の色と目の色。人並外れて第六感が鋭いところも血筋のせいかもしれない。いや、単に姉貴が個人的にすごすぎるだけかもしれないけど。あ、その説も濃厚だゎ。
映画を観てたら、寝るタイミングを逃した。まあ、もともとそんなに長時間睡眠しなくても生きていられる体質だけど、かれこれ三十時間近く起きっぱなしだから、さすがに若干グロッキーだ。最後に出てきた機内食のパスタが胃にズシンと来てる。
いやいや、たかだか時差ボケと寝不足のせいで胃もたれとか。ピチピチの十七歳が、何をおっさんくせーこと言ってんだか。
「理仁《りひと》、降りるわよ。起きてんでしょ?」
姉貴はおれに声を掛けて、颯爽と席を立った。化粧してないからってんで、薄く透ける大きなサングラスで顔の半分を隠している。姉貴はすっぴんのがかわいいと思うんだけどね、おれは。
おれは、のそっと立って、頭上の棚から二人ぶんの手荷物を降ろして抱えて、通路を先行する姉貴に続いた。
「姉貴、荷物」
「あんたが持って」
「え~」
「航空券の手配から税関申告書や入国カードの記入まで、面倒なことは全部わたしがやってあげたでしょ。荷物くらい持ちなさい」
「へいへい」
八つ年上の姉貴はおれの保護者役。とはいえ、十八歳未満にはあんまり見えないおれは、変な虫がつくのを嫌う姉貴のカレシ代理をやらされることもけっこうあって。
おかげで、おれにも女の子が寄ってこなくなってんですけど。困るんですけど。おれ、モテ男で通ってたはずなんですけど。
女の子たち曰く、姉貴と比較されるんじゃ勝ち目ないって。うん、積極的には否定しない。
おれも姉貴も、目尻が垂れててまつげが濃くて唇が厚めで、顔立ちもスタイルも東洋人離れしている。張り合おうってのは厳しいんじゃないかな。でも、そういうのって別に勝敗じゃなくない? モデルか何かのオーディションでもないんだし。
つーか、美形って、見慣れてるとあんまり価値を感じなくなる気がする。美人は三日で飽きる。三日どころか、かれこれ十七年以上もおれはおれだし姉貴の弟やってるしで、めったなことじゃ人の美醜にあれこれ感じなくなってんだよね、おれは。
大事なのは中身でしょ、なんていうクサいこと言うつもりはないけど。
対等に付き合える相手に飢えている、かもしれない。支配関係でも敵対関係でもない相手が、おれにはめったにいない。おれは生まれながらの王さまで、仲良くなりたいと思った相手を無意識のうちに服従させてしまうから。
このチカラ、呪いに近いんじゃないかとも感じる。
ため息をこっそり、一つ。
疲れてるわな。やっぱ寝なきゃダメだ。ちょっと頭が痛い。
お高い航空会社のフライトは、エコノミークラスでも快適な座り心地だった。キャビンアテンダントも親切だった。高価なモノにはそれだけの価値がある。
お金の心配はしたことがない。一年前に実家を離れて以来、姉貴がおれのぶんも含めてお金の管理をしてくれてんだけど、通帳にはまだまだ余裕があるそうだ。
だって、実家、超絶お金持ちだし。おれも姉貴も、与えられたお小遣いを突き返してド根性やるようなキャラじゃないし。上手に世渡りできる部分はやっちゃったがいいじゃんっていう省エネスタイルだし。
フランスに滞在したのは、昔、家族でそっちに住んでた時期があるからだ。おれはよちよち歩きだったから、ほとんど覚えてない。姉貴が当時の知り合いと連絡をつけて、その人を頼って転がり込んで、一年間。
あっという間の日々だった。姉貴は美容師だから仕事らしきことをしてたけど、おれは何もなくて、とりあえず学校。
長く続くはずもない、という気はしていた。きっと呼び戻されるだろう、と。
だって、おれが朱獣珠《しゅじゅうしゅ》の預かり手である限り、宿命は必ず付いて回るから。
「理仁、パスポートと航空券、すぐ出せる?」
「ん、出せるよ」
「忘れ物してない? 前、ポケットに突っ込んでたスマホ落として、大騒ぎしたでしょ?」
「だいじょぶだって。今回はポケットじゃなくてカバンに入れてるし、大事なモンは肌身離さず首から提げてるし」
神経を澄ませると、わかる。おれの心臓のすぐそばで鼓動する朱獣珠のリズム。人間に似た体温を持つ、硬い石の感触。直径二センチちょっとの、小さいくせに重たい存在。
朱獣珠は、おれが預かるべき大事なモンだ。同時に、おれにとってこの世の何よりも恐ろしくておぞましい相手でもある。朱獣珠に罪はないけど、いまだに恐怖の夢を見て飛び起きる。
飛行機の通路はカーペットが敷かれていて、足音が立たなかった。キャビンアテンダントのおねえさんとおにいさんに見送られてブリッジに渡ると、姉貴のハイヒールがカツンカツンと高く鳴った。その音、すげーいいと思う。
おれの目の高さに、姉貴の頭のてっぺんがある。おれと同じ朱い髪。染めてんのかってよく訊かれるけど、生まれつきだ。
朱《あか》、という色に、切っても切れない縁がある。朱獣珠を預かるべき血筋に生まれて、おれが当代の預かり手。ほしくて得たわけじゃないけど、それなりに強いチカラと、朱い髪と朱い目がおれに備わっている。
血縁的にいちばん近い姉貴も、朱だ。髪の色と目の色。人並外れて第六感が鋭いところも血筋のせいかもしれない。いや、単に姉貴が個人的にすごすぎるだけかもしれないけど。あ、その説も濃厚だゎ。