海牙はなおも構えを解かない。
「なるほどね。きみたちの答えを聞いて、ぼくは、自分が何を考えているのかハッキリ自覚しました。ぼくには理仁くんを信用する根拠がない。信用したいという意思もない。理仁くん、ぼくはきみを敵だとしか思えないようです」
 笑い声が聞こえた。体が揺れた。笑ってるのはおれだと、一拍遅れて気が付いた。
「敵かよ! そうかい、だったら勝手にそう思ってくれてりゃいいけどね。おれが何したってんだ? むしろ、やってくれたのはそっちだろ?」
「何の話です?」
「なあ、あんたさ、おれの姉貴に何した?」
「は? 何もしてませんよ」
「じゃあ、どうして逃げた?」
「あの場にいるのが危険だと判断したから。自分の身の安全のためです」
「それ、本当? 何を根拠に信じたらいい? やましいとこがないってんなら、あのとき、おれに一言くらいあってもよかったんじゃねーの? おれはさ、自分の命より大事かもしれねぇくらいの大事な人を死なせたんだよね。あんた、その現場にいたんだよね」
 だんだんと、胃の腑が凍り付くように痛んで、声に思念が混じり始める。チカラを止められない。
 この感情、怒りと恨みと憎しみと、あと何だろう? 何だっていいか。とにもかくにも、猛烈な激情だ。
 額が熱い。割れそうに痛い。全身の毛穴から蒸気でも噴き出すみたいに、おれ自身を中心に、空気を揺らすことのない暴風が湧き起こる。
 食い縛った歯の間からこぼれる押し殺した声が、あたりに轟く。
【てめーがおれの姉貴を殺したんじゃねーの? あの日の姉貴、おれに黙って出ていってさ、イヤな予感がして探して。そしたら、てめーがいたんだよ。なあ、てめー、何であんな場所にいたんだよ?】
 煥と文徳が両耳を押さえた。海牙も、三日月刀を手放すまではしないものの、顔を歪めている。
 耳ふさいだって無駄だよ。この大音量、音じゃねーんだよ。思念で直接、ここにいる全員の脳ミソぶん殴ってるから。
 海牙が必死の表情で体勢を保とうとしている。
「知りません……誤解が、あります。きみの想像するようなことなんて、ぼくは……」
【てめーじゃねぇなら、てめーの仲間か? 組織なんだろ? でもな、おれと姉貴は違ったんだよ。二人だけで隠れて住んでた。それが誰かの迷惑にでもなってたってのか? てめーらに害を与えてた? んなわけねーだろ!】
 バチン、と爆ぜる音がした。
 額から火を噴いたかと思った。それくらいの衝撃があった。煥も文徳も海牙も、それぞれ胞珠を押さえてうずくまる。増幅した思念が胞珠に共鳴して、高圧電流みたいなショックを引き起こしたんだ。
 思い掛けない方向からも悲鳴が上がった。
 振り返ると、鈴蘭がいた。弾け飛んだ帽子が足下に転がっている。
 鈴蘭は顔を上げた。痛みをこらえる涙目だ。鈴蘭は、凛とした表情で海牙をにらんだ。
「さよ子の居場所、わたしからあなたたちに訊きたいくらいです。昨日、わたしは確かにさよ子を家の前まで送りました。ご存じかどうか知りませんけど、わたしの家、ちゃんとしたボディガードを雇ってます。彼らがわたしとさよ子を護衛していました」
 昨日は気付かなかったけど、鈴蘭の手にはさよ子とおそろいのブレスレットがある。青い石と三日月のモチーフ。
 ライバル意識はあるにせよ、仲がいいのは本当だろう。おれのチカラは、言葉だ。おれが発する言葉はもちろん、耳から入ってくる言葉も、その響きが本心か嘘か聞き分けるのは得意だ。
 鈴蘭は嘘をついていない。さよ子が失踪したことも、おそらく鈴蘭が最後にさよ子の姿を見たことも、本当だ。
 海牙が立ち上がって、芝居がかったため息をついた。
「ぼくたちにもさよ子さんの行方はわからないと、最初からそう言っているんですが」
「信用できません!」
「ひとまず、一時的に協力するつもりはありませんか? あなたが手掛かりになるかもしれないんでしょう?」
「信用できない人に協力なんてできません! だいたいあなた、さよ子とどういう関係? さよ子のこと狙ってるんですか? さよ子、美人ですもんね。さらって閉じ込めておきたいって、変質者に言われることもあるくらい。あなたもそういうタイプ?」
「冗談じゃない! やせすぎて真っ平らで言動も子どもっぽい年下なんて、微塵も興味ありませんよ。命じられたから探しているんです。そして、早く探し当てないと、今はギリギリのところで保たれている均衡が完全に崩れてしまう。時間がないんです」
 海牙が再び三日月刀を構えた。切っ先がおれのほうへ向けられた。まっすぐにおれを見据える海牙のまなざし。何をそんなにあせってんだろう?
 何でおれなんだ? どうしておれが疑われてんだ?
 文徳がまた一歩、前に出た。おれを守るように腕を広げて立つ。
「納得もできないし、理解ができない状況だ。きみのあせりは察するが、もっときちんと説明を……」
 車の窓が開いた。黒光りするものが見えた。おれの全身に鳥肌が立った。
 ターン! と、聞き慣れた音が鳴った。
 言葉を止めた文徳が、ゆっくりと揺らいで、倒れた。頭をかばうでもなく、重力に引かれるままに、ひび割れたアスファルトの上に仰向けになった。
「兄貴……?」
 煥が地面に膝を突いて、文徳の体を揺さぶった。文徳は応えない。目を見開いて死んでいる。
 車の中から、震えるような声が聞こえた。「海牙、本当に時間がないぞ」と。
 窓に特殊な加工がしてあったんだろうか。それとも、タイムリミットが近付いたせいなんだろうか。
 猛烈なチカラの気配が車の中にあることに、おれは初めて気が付いた。