ところで、おれの生きるこのストーリーに平穏や日常ってものは存在しないらしい。犬にバイバイしてコンビニを後にして、すぐのことだ。
 襄陽学園のバカデカい塔を見ながらいくつか角を曲がったところで、おれたちは足を止めた。あいつ、と煥がつぶやいた。
 またすぐ会うんだろうなって気はしてたんだけどね。
 スラリと細くて背の高い、ウェーブした黒髪のイケメンが、黒塗りの上等そうなワゴン車を背にして立っている。そいつは、まるで友達相手にそうするみたいに軽く右手を挙げてみせた。
「おはようございます。ここ、通ると思ったんです」
 隣町の男子校の制服を着てる。のっぺりしたグレーの詰襟だから「墓石」って陰口叩かれてる制服だってのに、手足が長くてスタイルのいいやつが着ると、こうもシックに決まっちゃうもんなのかね。
 昨日の夜、騒ぎが引けてから文徳が教えてくれた。あいつの顔と名前を知ってる、と。
「きみ、阿里海牙《あさと・かいが》っていうんだって? めっちゃ頭いいってんで有名らしいじゃん。高校生やってる意味ないレベルなんでしょ?」
「おや、ご存じでしたか」
「文徳が知ってた。学年、一緒だしね」
 海牙は髪を掻き上げた。
「ぼくが超高校級であることは否定しませんが、凝り固まった制度上、この年齢で専門的な研究機関に所属することもできないんですよね。不自由な身の上ですよ」
「イケメンで、身体能力もすごくて、頭までいいわけ? しかも、昨日といい今日といい、上等な車と一緒に登場するって、どういうこと? きみさ~、いろいろ持ちすぎでしょ。ずるくない?」
「ちょっと誤認がありますね。実は、身体能力そのものはたいしたことないんですよ。まあ、どう思われようが、かまわないか。それより、皆さんにお尋ねしたいことがあります。正直に答えてください。割と本気な質問なんでね」
 海牙は左右対称な笑みを浮かべながら、音もなく体勢を変えた。右脚に重心を掛けてたのを左脚に移すくらいの、ほんのさりげない動きで。
 おれは息を呑んだ。
 一瞬のうちに、海牙の手には巨大なヒカリモノが握られていた。刃渡り一メートルくらいありそうな曲刀。三日月刀《シミター》ってやつだ。しかも、あの刃の光り方は、胞珠の増幅器を仕込んだ軍用のもの。
 シャレになんねーでしょ。あのクラスの危険物、日本のまちなかで朝っぱらから見ることになるとはね。
 まわりを歩いてた人たちがサーッといなくなる。ケンカ沙汰の巻き添えにはなりたくねぇよな。三日月刀で斬られるのも冗談じゃないけど、あれが破砕したらヤバいってのもある。
 海牙は重さなんて感じてない素振りで、三日月刀をひるがえした。
「さよ子さんがいないんですよ。どこに隠したんです?」
 煥が、おれと文徳をかばうように前に出た。
「知らねえ」
「きみに関しては、そういう答えだと予測していました。煥くんと文徳くんは、個人に過ぎませんから。バンド絡みで不良少年少女を動員することはできるでしょうが、所詮はその程度の組織力」
「何が言いてぇんだ?」
「そこをどいてください。きみの胞珠には価値がある。できればケガをさせたくありませんし、こちらに加わってくれるなら歓迎します」
「こちらってのは、そのデカい得物の支給元ってことか?」
「ええ。ですが、今は丁寧に説明している余裕がありません。そこ、どいてください。ぼくたちがお尋ねしたい相手は、長江理仁《ながえ・りひと》くん、きみです」
 三日月刀の切っ先がおれに向けられた。海牙の視線、肩から腕のラインと体の軸、三日月刀の角度。ピシッと一直線上にそろった構えがひどくキレイで、場違いなんだけど、おれはけっこう本気で感心した。
「すっげー迫力」
 頬のニヤケを自覚する。これから一波乱あるんだなって予感がなまなましくて、妙に楽しい。
 文徳が進み出て、煥と並んで立った。
「さよ子さんの姿が見えないとのことだが、理仁は関係ないぞ。昨日の夜からずっと俺たちと一緒にいた。誰かと連絡を取る様子もなかった。そうだろ、理仁?」
「まあね。日本で使える端末、持ってないし。フランスで使ってた安物を無理やり日本で使おうとしたら、電波か何かの相性が悪かったっぽくて、ブラックアウトしちゃってさ~」
 通信用の端末には、胞珠の出す波長を記憶させる。それをセキュリティチェックに使うのが一般的だ。電波を飛ばすときにも、胞珠が増幅する思念のなんちゃらを使ってどうのこうの、とかいう文言が端末の取説に書いてあったけど、面倒くさくて読んでない。
 端末がぶっ壊れたのは、たぶん、おれの胞珠が規格外だったせいだ。まあ、通信する相手なんかいないから、別にいいんだけど。チップに保存してたデータは生きてたし。