屋敷に住んでいるのは、ぼくやさよ子さんだけではない。ここは「KHAN《カァン》」という特殊な組織の拠点でもある。組織の総統であり、屋敷の主である人の名は、平井鉄真《ひらい・てっしん》。ここには、総統に招聘された人材がたくさん住み込んでいる。
そう、ぼく以外にも人はいるのに。
「海牙さん、明日ですからね! 絶対、明日の約束は守ってくださいね!」
なぜ面倒事が回ってくるのは、ぼくなんだろう? ぼくは明日、さよ子さんの護衛をしなければならない。
「はいはい、十九時に玉宮駅前ですよね?」
「返事の『はい』は一回!」
「……はぁ……」
「あ、今のため息、すっごくセクシー♪ それでですね、明日のことなんですけどー、って、ちょっとねえ海牙さん聞いてますー?」
「聞いてますよ」
大都高校が男子校でよかった。女子の意味不明なテンションにはついていけない。
さよ子さんの話は回り道が多い。要約すれば、以下のとおりだ。
明日、十九時から、玉宮駅前でストリートライヴがある。さよ子さんが夢中になっているロックバンドの公演だ。件のバンドは襄陽学園の五人組。さよ子さんは、同級生と一緒に聴きに行く。が、夜に女子だけは不安なので、ぼくが借り出される。
という、すでに五回は聞かされた内容を、今日もまた延々と聞かされているわけだけれど。
重点的に繰り返されるのは、ただ一項目。そのバンドのヴォーカリストがカッコいい、ということだけだ。
彼の魅力を語るために、さよ子さんの言葉はすでに十二万字以上が費やされていると思う。文庫本一冊ぶんだ。さよ子さんが彼に一目惚れしたのはつい先週だというのに。
話題の彼とは会ったこともないけれど、ぼくはすでに彼に同情している。こんな勢いで攻めまくられたら、いくら何でもドン引きするんじゃないだろうか。
とりあえず。
「すみませんが、そろそろ解放してください。ここ、ぼくの部屋ですよ」
さよ子さんは頬を膨らませた。
「女の子が語りたいときは、男の子は語らせてあげるべきです!」
「じゃあ、好きにしてもらってかまいませんが」
「海牙さん、優しい♪」
「ぼくは着替えますね」
「にゅあっ?」
ぼくはおもむろに制服の上着を脱いで、カッターシャツのボタンを上から三つ外し、ベルトに手を掛ける。髪を掻き上げて流し目をすると、さよ子さんは声もなく部屋から飛び出していった。撃退成功。
「パワハラとセクハラで、総統に訴えますよ。本当に」
他人を部屋に入れるのは嫌いだ。基本的に、女性と接触するのも好きじゃない。でも、さすがに、屋敷のお嬢さま相手には強く出られない。
ぼくはシンプルなシャツとジーンズに着替えた。玄獣珠のペンダントは、どんなときも肌身離さず付けている。
直径23mm。未知の無機物質から構成される、玄獣珠。鉱物の一種には違いないのに、生体反応に似た「何か」が感じられる。
ぼくは玄獣珠を決して視界に入れない。触れる肌から感じ取るチカラを、ぼくの目では解明できない。力学《フィジックス》のチカラを介して見る玄獣珠には、読めない文字が、びっしりとたかっている。文字がうごめくありさまは気味が悪い。
宝珠は奇跡の存在だ。人の願いを叶える。願いに相応の代償を食らって、奇跡を生み出すんだ。願いが大きければ、代償も大きくなる。
ぼくの預かる玄獣珠は、単独の存在ではない。四獣珠のうちの一つだ。中国の伝説に登場する四聖獣が、それらにチカラを授けたという。
玄獣珠は玄武。
朱獣珠は朱雀。
青獣珠《せいじゅうしゅ》は青龍。
白獣珠《はくじゅうしゅ》は白虎。
四聖獣とは、そもそも、物事に備わる四つの「特徴」を象徴する存在だ。四分類される「特徴」には、例えば、色、方位、季節、物質あるいは物性、感情、体の部位、味覚などがある。
玄獣珠に備わるのは、玄《くろ》と北、冬、水、哀しみ、腎臓や耳、塩辛さなど。占いや東洋医学では、そうした「特徴」をすべて覚えておくことが重要らしい。ぼくにはさして興味がない。覚えたところで何かの役に立つとも思えない。
預かり手のチカラとそれらの「特徴」は、相互に関連しない。チカラは、預かり手自身の個性に由来するそうだ。
それなら、ぼくという人間において、チカラと人間性の関係をどう説明するのが的確なんだろう?
学校にも上がらない幼いころ、足し算と引き算を知った。九九を覚えた。分数と小数を理解した。その都度、視界にうごめく未知の情報は、整然として美しい数へと姿を変えていった。嬉しかった。だから、ぼくは勉強に没頭した。
学べば学ぶほど、知れば知るほど、この視界の情報は、質も量も最適化されていく。ぼくは勉強せずにはいられない。目の前にある情報を必ず処理せずにはいられない。まぶたを閉ざして無防備になる姿を、誰にも見せたくない。
チカラを持つからこそ、ぼくの人間性はこんなふうなのだと思う。でも、宝珠の由来を記した古文書によれば、人間性がチカラに形を与えるのだという。
自分に関わることだけに、このテーマについてどんな答えを出すのが正確なのか、ぼくは方向性を決めかねている。
そう、ぼく以外にも人はいるのに。
「海牙さん、明日ですからね! 絶対、明日の約束は守ってくださいね!」
なぜ面倒事が回ってくるのは、ぼくなんだろう? ぼくは明日、さよ子さんの護衛をしなければならない。
「はいはい、十九時に玉宮駅前ですよね?」
「返事の『はい』は一回!」
「……はぁ……」
「あ、今のため息、すっごくセクシー♪ それでですね、明日のことなんですけどー、って、ちょっとねえ海牙さん聞いてますー?」
「聞いてますよ」
大都高校が男子校でよかった。女子の意味不明なテンションにはついていけない。
さよ子さんの話は回り道が多い。要約すれば、以下のとおりだ。
明日、十九時から、玉宮駅前でストリートライヴがある。さよ子さんが夢中になっているロックバンドの公演だ。件のバンドは襄陽学園の五人組。さよ子さんは、同級生と一緒に聴きに行く。が、夜に女子だけは不安なので、ぼくが借り出される。
という、すでに五回は聞かされた内容を、今日もまた延々と聞かされているわけだけれど。
重点的に繰り返されるのは、ただ一項目。そのバンドのヴォーカリストがカッコいい、ということだけだ。
彼の魅力を語るために、さよ子さんの言葉はすでに十二万字以上が費やされていると思う。文庫本一冊ぶんだ。さよ子さんが彼に一目惚れしたのはつい先週だというのに。
話題の彼とは会ったこともないけれど、ぼくはすでに彼に同情している。こんな勢いで攻めまくられたら、いくら何でもドン引きするんじゃないだろうか。
とりあえず。
「すみませんが、そろそろ解放してください。ここ、ぼくの部屋ですよ」
さよ子さんは頬を膨らませた。
「女の子が語りたいときは、男の子は語らせてあげるべきです!」
「じゃあ、好きにしてもらってかまいませんが」
「海牙さん、優しい♪」
「ぼくは着替えますね」
「にゅあっ?」
ぼくはおもむろに制服の上着を脱いで、カッターシャツのボタンを上から三つ外し、ベルトに手を掛ける。髪を掻き上げて流し目をすると、さよ子さんは声もなく部屋から飛び出していった。撃退成功。
「パワハラとセクハラで、総統に訴えますよ。本当に」
他人を部屋に入れるのは嫌いだ。基本的に、女性と接触するのも好きじゃない。でも、さすがに、屋敷のお嬢さま相手には強く出られない。
ぼくはシンプルなシャツとジーンズに着替えた。玄獣珠のペンダントは、どんなときも肌身離さず付けている。
直径23mm。未知の無機物質から構成される、玄獣珠。鉱物の一種には違いないのに、生体反応に似た「何か」が感じられる。
ぼくは玄獣珠を決して視界に入れない。触れる肌から感じ取るチカラを、ぼくの目では解明できない。力学《フィジックス》のチカラを介して見る玄獣珠には、読めない文字が、びっしりとたかっている。文字がうごめくありさまは気味が悪い。
宝珠は奇跡の存在だ。人の願いを叶える。願いに相応の代償を食らって、奇跡を生み出すんだ。願いが大きければ、代償も大きくなる。
ぼくの預かる玄獣珠は、単独の存在ではない。四獣珠のうちの一つだ。中国の伝説に登場する四聖獣が、それらにチカラを授けたという。
玄獣珠は玄武。
朱獣珠は朱雀。
青獣珠《せいじゅうしゅ》は青龍。
白獣珠《はくじゅうしゅ》は白虎。
四聖獣とは、そもそも、物事に備わる四つの「特徴」を象徴する存在だ。四分類される「特徴」には、例えば、色、方位、季節、物質あるいは物性、感情、体の部位、味覚などがある。
玄獣珠に備わるのは、玄《くろ》と北、冬、水、哀しみ、腎臓や耳、塩辛さなど。占いや東洋医学では、そうした「特徴」をすべて覚えておくことが重要らしい。ぼくにはさして興味がない。覚えたところで何かの役に立つとも思えない。
預かり手のチカラとそれらの「特徴」は、相互に関連しない。チカラは、預かり手自身の個性に由来するそうだ。
それなら、ぼくという人間において、チカラと人間性の関係をどう説明するのが的確なんだろう?
学校にも上がらない幼いころ、足し算と引き算を知った。九九を覚えた。分数と小数を理解した。その都度、視界にうごめく未知の情報は、整然として美しい数へと姿を変えていった。嬉しかった。だから、ぼくは勉強に没頭した。
学べば学ぶほど、知れば知るほど、この視界の情報は、質も量も最適化されていく。ぼくは勉強せずにはいられない。目の前にある情報を必ず処理せずにはいられない。まぶたを閉ざして無防備になる姿を、誰にも見せたくない。
チカラを持つからこそ、ぼくの人間性はこんなふうなのだと思う。でも、宝珠の由来を記した古文書によれば、人間性がチカラに形を与えるのだという。
自分に関わることだけに、このテーマについてどんな答えを出すのが正確なのか、ぼくは方向性を決めかねている。