二年前の四月に出会った。曖昧なまま、春と夏を過ごした。
九月になって、花火大会の夜。弟に告げられた待ち合わせ場所に、弟たちはいなかった。ごゆっくりどうぞ~、とスマホに弟からのメッセージ。わたしと海牙くんは、まんまと作戦に引っ掛かってしまったというわけ。
浴衣の着付けをしてあげた海牙くんと、それなりに気合を入れて和服を着たわたし。二人で花火を眺めた。キレイね、と言ったら、海牙くんらしい答えが返ってきた。
「ただの炎色反応ですよ」
「何それ」
思わず笑った。その次の海牙くんの言葉に、息を呑んだ。
「リアさんのほうがキレイです」
見上げると、真剣なまなざしがそこにあった。
「何、それ……」
ぱん、と遠くで弾ける花火の音。
「付き合ってもらえませんか? リアさんのことが好きなんです」
返事は保留にしてしまった。頭が真っ白だった。
ハロウィンの晩、わたしは魔法に掛けられた。弟に頼まれて、海牙くんの仮装を手伝ってあげて、こっそりドキドキしながらも、何ともないふりをし通せると思ったのに。
わたしは出来心で、海牙くんにキスをしてしまった。
甘い甘いお菓子だった。それが彼のファーストキスだったと聞かされて、嬉しくて、ときめいて、抑え切れなくて。欲張りな自分の心に気付かされた。
弟たちの文化祭を観に行った、十一月の土曜日。わたしと海牙くんは一緒に回った。隣同士でしゃべったり笑ったりしながら歩いて、そのくせ、お互いの手に触れることさえしなかった。曖昧で、じれったかった。
別れ際が寂しくて、暗くなった公園に寄った。ベンチで隣り合ったら、今度は何を話すこともできなかった。時間が流れた。体が冷えた。
海牙くんが唐突に、わたしの手を初めて握った。
「もう一度言います。これで最後です。待たされるのも、はぐらかされるのも、苦しくて耐えられないから。もしも断られたら、二度と会いません」
ダークグリーンの目が、じっとわたしを見つめた。そして、まぶたが閉ざされた。
海牙くんの手は震えていた。見えすぎる目を敢えてふさいで、計算も策略もかなぐり捨てて、海牙くんは一生懸命な声でささやいた。
「ぼくはリアさんが好きです。だから、お願いします、ぼくと付き合ってください」
わたしはうなずいた。
「はい。よろしくね。わたしも、きみのことが好き」
その瞬間、海牙くんはギュッとわたしを抱きしめた。それから、自分の行動に驚いたみたいに、ふわりと腕の力を緩めた。
海牙くんは臆病だった。そのくせ背伸びをしたがった。わたしには、それがいとしくてたまらなかった。
冬スタイルのカットモデルになってもらって、遅くなった夜。二人きりのサロンで、こっそり唇を重ねた。大人のキスもした。
「少しだけ……さわっても、いいですか?」
震えがちの言葉に、わたしもドキドキした。いいわよ、と短く答えて、待った。カットソーの内側に入ってきた手は大きくて熱かった。
じれったい時間を大事にしたかった。でも、期待を胸の奥に押し込めておくことは、だんだん難しくなっていった。自分の心も誰も目もごまかせないくらい、わたしは、恋をしていた。
初めて愛し合ったのは、ちょうど二年前。海牙くんの誕生日で、クリスマスイヴの夜だった。
行きつけのバーの話や、高校時代のちょっとした流行りのこと。何気ないつもりで話していたら、海牙くんが表情を消した。わたしをベッドの上に追い詰めて、一言。
「今夜はぼくを子ども扱いしないでほしいって、言ったはずです」
切羽詰まって燃える目をした彼は、少年ではなかった。大人の男の色気に満ちていた。この上なく熱っぽい夜が訪れて、溺れる、という言葉の意味をわたしは知った。
海牙くん、恥ずかしくて、きみに言ったことはないけどね。カラダが恋に落ちたのは、あの夜が初めてだったの。それまで誰と何をしても、誰に何をされても、このカラダが感じたことなんてなかったのに。
好き。本当に、大好き。
どんなふうに運命が枝分かれしても、きみと一緒にいたいと願う。
どんなときも、いつでも、どうかわたしを見付け出してね。
「リアさん……」
眠そうな声で、海牙くんがつぶやいた。
「どうしたの?」
「寝る」
「このまま寝ていいわよ。後で膝から下ろしてあげても、意外と気付かないでしょ?」
海牙くんは首を左右に振った。
「一緒に寝たい。ねえ」
出た、甘えん坊のおねだり。わたしはこれに弱い。
「仕方ないわね」
言ったとたん、男の力でしがみ付かれて、布団に引っ張り込まれる。あーあ、スカートがしわになっちゃう。
わたしはいつも、海牙くんの左側。海牙くんはわたしを抱きしめて、わたしの肩にキュッと顔を寄せる。
「こら、くすぐったいってば。ちょっと、もう、きみのシャツもしわになるわよ?」
聞こえている様子が、すでにない。すやすやと、温かい寝息が首筋に触れている。
わたしは、ウェーブした髪を撫でて、海牙くんの頬にくちづけた。
「二十歳の誕生日、おめでとう」
でも、甘える姿は子どもみたいよ。困った子。
わたしより高い体温の、引き締まった体。ぐっすり眠って目覚めたら、今度は大人のやり方で、わたしを抱きしめてくれるかしら。
夢の中でも、きみに会えたらいい。そう願う、きみの誕生日の聖夜。
おやすみなさい。
いい夢を。
【了】
BGM:BUMP OF CHICKEN「メーデー」
九月になって、花火大会の夜。弟に告げられた待ち合わせ場所に、弟たちはいなかった。ごゆっくりどうぞ~、とスマホに弟からのメッセージ。わたしと海牙くんは、まんまと作戦に引っ掛かってしまったというわけ。
浴衣の着付けをしてあげた海牙くんと、それなりに気合を入れて和服を着たわたし。二人で花火を眺めた。キレイね、と言ったら、海牙くんらしい答えが返ってきた。
「ただの炎色反応ですよ」
「何それ」
思わず笑った。その次の海牙くんの言葉に、息を呑んだ。
「リアさんのほうがキレイです」
見上げると、真剣なまなざしがそこにあった。
「何、それ……」
ぱん、と遠くで弾ける花火の音。
「付き合ってもらえませんか? リアさんのことが好きなんです」
返事は保留にしてしまった。頭が真っ白だった。
ハロウィンの晩、わたしは魔法に掛けられた。弟に頼まれて、海牙くんの仮装を手伝ってあげて、こっそりドキドキしながらも、何ともないふりをし通せると思ったのに。
わたしは出来心で、海牙くんにキスをしてしまった。
甘い甘いお菓子だった。それが彼のファーストキスだったと聞かされて、嬉しくて、ときめいて、抑え切れなくて。欲張りな自分の心に気付かされた。
弟たちの文化祭を観に行った、十一月の土曜日。わたしと海牙くんは一緒に回った。隣同士でしゃべったり笑ったりしながら歩いて、そのくせ、お互いの手に触れることさえしなかった。曖昧で、じれったかった。
別れ際が寂しくて、暗くなった公園に寄った。ベンチで隣り合ったら、今度は何を話すこともできなかった。時間が流れた。体が冷えた。
海牙くんが唐突に、わたしの手を初めて握った。
「もう一度言います。これで最後です。待たされるのも、はぐらかされるのも、苦しくて耐えられないから。もしも断られたら、二度と会いません」
ダークグリーンの目が、じっとわたしを見つめた。そして、まぶたが閉ざされた。
海牙くんの手は震えていた。見えすぎる目を敢えてふさいで、計算も策略もかなぐり捨てて、海牙くんは一生懸命な声でささやいた。
「ぼくはリアさんが好きです。だから、お願いします、ぼくと付き合ってください」
わたしはうなずいた。
「はい。よろしくね。わたしも、きみのことが好き」
その瞬間、海牙くんはギュッとわたしを抱きしめた。それから、自分の行動に驚いたみたいに、ふわりと腕の力を緩めた。
海牙くんは臆病だった。そのくせ背伸びをしたがった。わたしには、それがいとしくてたまらなかった。
冬スタイルのカットモデルになってもらって、遅くなった夜。二人きりのサロンで、こっそり唇を重ねた。大人のキスもした。
「少しだけ……さわっても、いいですか?」
震えがちの言葉に、わたしもドキドキした。いいわよ、と短く答えて、待った。カットソーの内側に入ってきた手は大きくて熱かった。
じれったい時間を大事にしたかった。でも、期待を胸の奥に押し込めておくことは、だんだん難しくなっていった。自分の心も誰も目もごまかせないくらい、わたしは、恋をしていた。
初めて愛し合ったのは、ちょうど二年前。海牙くんの誕生日で、クリスマスイヴの夜だった。
行きつけのバーの話や、高校時代のちょっとした流行りのこと。何気ないつもりで話していたら、海牙くんが表情を消した。わたしをベッドの上に追い詰めて、一言。
「今夜はぼくを子ども扱いしないでほしいって、言ったはずです」
切羽詰まって燃える目をした彼は、少年ではなかった。大人の男の色気に満ちていた。この上なく熱っぽい夜が訪れて、溺れる、という言葉の意味をわたしは知った。
海牙くん、恥ずかしくて、きみに言ったことはないけどね。カラダが恋に落ちたのは、あの夜が初めてだったの。それまで誰と何をしても、誰に何をされても、このカラダが感じたことなんてなかったのに。
好き。本当に、大好き。
どんなふうに運命が枝分かれしても、きみと一緒にいたいと願う。
どんなときも、いつでも、どうかわたしを見付け出してね。
「リアさん……」
眠そうな声で、海牙くんがつぶやいた。
「どうしたの?」
「寝る」
「このまま寝ていいわよ。後で膝から下ろしてあげても、意外と気付かないでしょ?」
海牙くんは首を左右に振った。
「一緒に寝たい。ねえ」
出た、甘えん坊のおねだり。わたしはこれに弱い。
「仕方ないわね」
言ったとたん、男の力でしがみ付かれて、布団に引っ張り込まれる。あーあ、スカートがしわになっちゃう。
わたしはいつも、海牙くんの左側。海牙くんはわたしを抱きしめて、わたしの肩にキュッと顔を寄せる。
「こら、くすぐったいってば。ちょっと、もう、きみのシャツもしわになるわよ?」
聞こえている様子が、すでにない。すやすやと、温かい寝息が首筋に触れている。
わたしは、ウェーブした髪を撫でて、海牙くんの頬にくちづけた。
「二十歳の誕生日、おめでとう」
でも、甘える姿は子どもみたいよ。困った子。
わたしより高い体温の、引き締まった体。ぐっすり眠って目覚めたら、今度は大人のやり方で、わたしを抱きしめてくれるかしら。
夢の中でも、きみに会えたらいい。そう願う、きみの誕生日の聖夜。
おやすみなさい。
いい夢を。
【了】
BGM:BUMP OF CHICKEN「メーデー」