祥之助は胸の前でこぶしを握って、半歩、ぼくのほうへ進み出た。口調に熱意がこもった。
「頑張ります。そして、阿里先輩に勝ってみせる。ボクは文系、先輩は理系ですが、志望する大学は同じだと聞きました。進学したら、どこかでお目にかかるかもしれませんね。そのときはまた、テストの点数ではない別の形で競えたら、ボクは嬉しいです」
 そうだ。これで祥之助と縁が切れるわけじゃないんだ。祥之助の実家はこの町に拠点を置く資産家だし、祥之助が言うとおり、進学先で顔を合わせることもあり得る。
 ゾッとして、ぼくは再び祥之助を強く見据えた。祥之助に顔を近付けて、ささやく。
「きみがぼくたちと約束したこと、肝に銘じていますよね? 次があったら許さねえ。おれたちに危害を加えた場合、てめぇ、死ねよ」
 祥之助の中に打ち込まれた号令《コマンド》の楔《くさび》を、理仁くんの言葉のままに、ぼくはなぞった。楔が反応したのが、玄獣珠を通じてぼくに伝わってきた。
「阿里先輩……」
「覚えてますか?」
 祥之助は顔をこわばらせて、かぶりを振った。制服の胸をつかんで、苦しげな呼吸に、肩を上下させる。
「覚えてない。でも……」
 ぼくはニッコリと、完全無欠の笑顔を作ってみせた。
「思い出さないほうがいいですよ。死にたくないのなら」
 怯《おび》えた顔の祥之助をそこに残して、ぼくはきびすを返した。
 すぐに瑠偉が隣に並んだ。
「まともなやつだって、わかっただろ。後輩相手に、いじめすぎじゃないのか?」
 ぼくはスマホを取り出した。祥之助が送り付けてきたメッセージは、消さずに残してある。祥之助のスマホからは、今回の件に関する写真もトーク履歴もすべて削除したけれど。ぼくは、あの悪趣味なメッセージを表示した画面を、瑠偉に向けた。
「これのインパクトが強すぎました。補正してやる気も起きません」
 瑠偉が画面をのぞき込んだ、まさにその瞬間。
 スマホが新着を知らせて振動した。ぼくがスマホを引っ込めるより先に、瑠偉が見てしまった。瑠偉はニヤリと笑った。
「爆発してろよ、おまえ」
 そんな言い方をされるということは、リアさんからだ。ぼくは慌てて新着のトークを確認した。
〈放課後、時間ある?〉
 今すぐ通話アイコンに触れたい衝動に駆られた。迷ったけど、結局、文字で返答する。
〈あります〉
 OK、とポップなスタンプが送られてきた。続く言葉に、ガッツポーズ。
〈ごほうびあげる。デートしよっか〉
 瑠偉が背伸びして、のぞき込もうとしてきた。ぼくは長身を活かして、瑠偉の視界からスマホを引き離す。
「おまえ、それ、二重三重にムカつくぞ!」
「はいはい」
「経験ないくせに!」
「え、瑠偉はあるんですか?」
「あるし!」
「人は見掛けによらないものですね」
「おまえもさっさと卒業してみせろ、DT!」
 リアさんから、またメッセージが来た。
〈この間の趣味の悪いドレスの写真、消してね〉
 リアさんにとっては、眠っているうちにあんな物凄い格好をさせられていたなんて、トラウマになりかねないはずだ。
 でも、あれが唯一の、ぼくのスマホに保存されているリアさんの画像だ。あっさり削除できるかというと、リアさんには本当に申し訳ないけれど、二の足を踏んでしまう。
 と、ぼくの胸中を見透かすかのように、さらに新着通知。
〈あれより趣味のいい写真、送るから〉
 トークルームに画像が読み込まれる。小さなサイズで見て、息を呑んで、思わず拡大してしまった。
 部屋で自撮りした写真だ。鏡台に頬杖を突いて、鏡を利用して撮ってある。画面全体のトーンが均一だから、明るさ以外の加工はされていないはずだ。
 視線がいたずらっぽい。唇は軽く尖らせてある。柔らかそうに白い肌。
 淡いオレンジ色のノースリーブは部屋着だろうか。鎖骨の形がキレイだ。胸の膨らみが布地を持ち上げる稜線のしわは、平面上の画像なのに、ひどく立体感がある。
「おい、海牙? 固まってるけど、何があった?」
 言葉にならない。
 画像ひとつが、こんなにも嬉しくて。
 きっと、この心はこれでいいんだ。方程式でも理論でも、無駄なくシンプルなのが最も美しい。
 阿里海牙は長江リアに恋をしている。そのシンプルな事実はバカバカしいけれど美しいと、ぼくは思った。