時間が止まった。そう感じた。
ピン、と空気が張り詰めた。チカラを感じた。一つの「声」が、気迫の熱波を噴き散らしながら飛んできた。
【おいおいおい、ちょっとちょっと、いきなりそういうの困るよ~。一メートルぐらい後ろに下がってくれる?】
空気を振動させない、つまり音を伴わない「声」が、ぼくの耳を介さずに、ぼくの意識をダイレクトに打った。何らかの攻撃性を秘めた「声」だと感じた。
驚いた。
まちなかでこんなに無防備にチカラを使う人がいるなんて。
「テレパシー、ですか?」
【え、何、おれのチカラ、効かないの? うっわ~。ってことは、きみも能力者?】
「チカラが効かない、とは? 今の声、ただのテレパシーじゃないということですか?」
【うん、命令するテレパシーのはずなんだけどね~。きみ、後ろに下がりたくなったりしてない?】
「してません」
ぼくの胸で、ペンダントヘッドの宝珠がドクンと脈打った。よく似た鼓動を、彼の胸元にも感じた。
そのエネルギーの値は、ぼくの目で分析できない。三次元の物理学では解明し得ないチカラ。本来、人間が手にしてはならないモノだ。
チカラある声を操る彼が、空気を振動させる肉声で言った。
「お仲間って感じがするね。おれの朱獣珠《しゅじゅうしゅ》が反応してる。何となくだけど、きみ、玄武《げんぶ》でしょ」
彼はぼくより20mmほど背が高い。身に付けている制服は、隣の市の襄陽《じょうよう》学園のものだ。
警戒せざるを得ない。彼は、ぼくと同じ四獣珠の預かり手の一人。つまり、ぼくと同等の能力の持ち主ということだ。
ぼくは顔に笑みを保ったまま、彼を計測する。重心移動から読み取れる、身体能力の程度。無機物の分子の存否でわかる、武器の有無。彼のチカラは本当に「声」だけなのか。
彼は笑いじわとえくぼを作って、両腕を広げた。
「おれは、な~んもしないって。ケンカも強くねぇし、悪意なんて全然ねぇし? 『声』もさ、能力者やその家系の人間には、ほぼ無効なんだゎ」
「ほぼ無効、とは?」
「文字どおりだよ。おれの能力、マインドコントロールなんだけど。『号令《コマンド》』っつって。一般人には、けっこうどんな指示でも有効なのにね、預かり手の血を引く人間は、そーいうのに耐性あるっしょ? 宝珠を守るための血だか遺伝子だかが、そんなふうに働く」
確かに、ぼくのような血筋の人間はマインドコントロールのチカラに抵抗できる。よほど強力なものでない限り、支配下に入ることはない。
ならば、彼の能力はぼくにとって安全だ。信用はしないまでも、警戒を解いたって問題ない。いざとなれば、ぼくのほうがはるかに強く、有利だ。
「きみの言うとおり、ぼくは玄武、すなわち玄獣珠《げんじゅうしゅ》の預かり手です。でも、驚きました。四獣珠《しじゅうしゅ》は本来、別々の場所に存在したがる性質を持つ。そう聞いていたので」
「原則、バラバラ独立って言われてるよね。だけど、おれはそこまで驚いてないよ? おれさ、予知夢っていう特技があんの。最近、玄武くんのことも夢で見てたよ。そのうち会えるかなーって思ってた」
彼のゆるゆるとしたしゃべり方は、どうにも胡散くさい。接触するにせよ、まずは自分で事実関係を調べておくほうがいいだろう。
「お邪魔してしまいましたね。きみ、彼女と待ち合わせをしていたんでしょう?」
ぼくは、仮面のように顔に貼り付けた笑みに、愛想を込めてみせた。
能力者の彼が美人な彼女の前で平然と四獣珠の話を出したということは、彼女も四獣珠について知っているわけだ。彼女に対しては、玄獣珠は反応しない。彼女は能力者ではないはず。じゃあ、何者?
彼は友好的に、ぼくに右手を差し出した。
「おれ、長江理仁《ながえ・りひと》。この制服を見てのとおり、襄陽学園に通ってて、三年だよ。きみ、大都高校だよね。その校章の色、三年じゃないっけ?」
彼の瞳孔は位置も形も安定している。視線がブレない。悪意や虚構がない表情、と言っていい。ぼくは彼の右手を握った。
「大都高校三年の阿里海牙《あさと・かいが》です」
「イケメンだね~」
「きみもね」
「そりゃどうも。で、能力者なんだよね? どんなチカラ、持ってんの?」
黙っていた彼女が口を開いた。
「視覚的に優位な能力、でしょ? 海牙くんの目、他人よりたくさん見えてる。違うかしら?」
朱みがかった瞳が、射抜くようにぼくを見つめた。
何をどう観察して、その結論に至ったんだろう? 尻尾を出すほどのことはしていないはずなのに。
「おおむね正解です。ぼくのチカラは『力学《フィジックス》』。視界に映る情報が、数値化して立ち現れます。ぼく自身がその計算方法を知っている数値のみ、ですが」
それ以外の、計算式が未知のものは、うじゃうじゃとうごめく多足の虫みたいだ。何らかの文字に見えるけれど、読めそうで読めない。
処理できない情報が視界にあることは不快で、しかもそれらは意外と身近にあふれている。気にし始めると、ストレスがたまる一方だ。
理仁くんは目を丸くして首をかしげた。
「情報が数値化って、んじゃ、おれの身長とか?」
「1,821mm、計測に誤差があるとして±3mm、ですね」
「すっげ~、正解! んじゃ、姉貴のスリーサイズは?」
理仁くんが言った瞬間、彼女がエナメルのバッグの角で、理仁くんの頭を殴った。痛そうな音がした。
スリーサイズくらい、一瞬でわかる。対象を三次元的に観測すれば、後は中学数学レベルの計算式を解くだけだ。
でも、さっき、スリーサイズという言葉よりビックリな単語が聞こえたんですが。
「姉貴、ですか?」
思わず無遠慮に見比べて、なるほどと納得した。髪の色も目の色も似ているし、顔立ち全体の数値もかなり近い。鼻筋から瞳までの距離、小鼻の角度、唇の稜線。
能力者の姉なのか。だから、四獣珠のことを理解している。
「わたし、弟と待ち合わせって言わなかったっけ?」
「聞いていません」
「もしかして、これがわたしの彼氏だと思った?」
「ええ、まあ」
「ちょい待ち、姉貴。これっていう指示代名詞はひでーんじゃない?」
「十分でしょ」
「やだもう意地悪~。おれ拗ねる~」
「ええい、鬱陶しい」
テンポよく交わされる軽口に、ぼくは少し笑った。ぼくは一人っ子だ。仲のいいきょうだいと町に出掛けるなんて、想像もつかない。
姉弟は急ぎの用事があるらしい。面会時間と聞こえた。時計を気にしながら、足早に立ち去っていった。
と思ったら、彼女が駆け戻ってきた。
「記念に一つあげるわ。今日はありがとう。じゃあね」
笑顔で押し付けていったのは、イヌワシのぬいぐるみだ。手ざわりはいいけれど、やっぱり、別にかわいくない。ぼくに似てもいない。
「あれ?」
イヌワシが身に付けたチェック柄のタキシードの懐に、紙が挟まれている。紙を広げると、彼女の名前と連絡先だった。
「リアさん、か」
予想もしなかった展開だ。胸が騒いだ。
連絡してみようと思った。
ピン、と空気が張り詰めた。チカラを感じた。一つの「声」が、気迫の熱波を噴き散らしながら飛んできた。
【おいおいおい、ちょっとちょっと、いきなりそういうの困るよ~。一メートルぐらい後ろに下がってくれる?】
空気を振動させない、つまり音を伴わない「声」が、ぼくの耳を介さずに、ぼくの意識をダイレクトに打った。何らかの攻撃性を秘めた「声」だと感じた。
驚いた。
まちなかでこんなに無防備にチカラを使う人がいるなんて。
「テレパシー、ですか?」
【え、何、おれのチカラ、効かないの? うっわ~。ってことは、きみも能力者?】
「チカラが効かない、とは? 今の声、ただのテレパシーじゃないということですか?」
【うん、命令するテレパシーのはずなんだけどね~。きみ、後ろに下がりたくなったりしてない?】
「してません」
ぼくの胸で、ペンダントヘッドの宝珠がドクンと脈打った。よく似た鼓動を、彼の胸元にも感じた。
そのエネルギーの値は、ぼくの目で分析できない。三次元の物理学では解明し得ないチカラ。本来、人間が手にしてはならないモノだ。
チカラある声を操る彼が、空気を振動させる肉声で言った。
「お仲間って感じがするね。おれの朱獣珠《しゅじゅうしゅ》が反応してる。何となくだけど、きみ、玄武《げんぶ》でしょ」
彼はぼくより20mmほど背が高い。身に付けている制服は、隣の市の襄陽《じょうよう》学園のものだ。
警戒せざるを得ない。彼は、ぼくと同じ四獣珠の預かり手の一人。つまり、ぼくと同等の能力の持ち主ということだ。
ぼくは顔に笑みを保ったまま、彼を計測する。重心移動から読み取れる、身体能力の程度。無機物の分子の存否でわかる、武器の有無。彼のチカラは本当に「声」だけなのか。
彼は笑いじわとえくぼを作って、両腕を広げた。
「おれは、な~んもしないって。ケンカも強くねぇし、悪意なんて全然ねぇし? 『声』もさ、能力者やその家系の人間には、ほぼ無効なんだゎ」
「ほぼ無効、とは?」
「文字どおりだよ。おれの能力、マインドコントロールなんだけど。『号令《コマンド》』っつって。一般人には、けっこうどんな指示でも有効なのにね、預かり手の血を引く人間は、そーいうのに耐性あるっしょ? 宝珠を守るための血だか遺伝子だかが、そんなふうに働く」
確かに、ぼくのような血筋の人間はマインドコントロールのチカラに抵抗できる。よほど強力なものでない限り、支配下に入ることはない。
ならば、彼の能力はぼくにとって安全だ。信用はしないまでも、警戒を解いたって問題ない。いざとなれば、ぼくのほうがはるかに強く、有利だ。
「きみの言うとおり、ぼくは玄武、すなわち玄獣珠《げんじゅうしゅ》の預かり手です。でも、驚きました。四獣珠《しじゅうしゅ》は本来、別々の場所に存在したがる性質を持つ。そう聞いていたので」
「原則、バラバラ独立って言われてるよね。だけど、おれはそこまで驚いてないよ? おれさ、予知夢っていう特技があんの。最近、玄武くんのことも夢で見てたよ。そのうち会えるかなーって思ってた」
彼のゆるゆるとしたしゃべり方は、どうにも胡散くさい。接触するにせよ、まずは自分で事実関係を調べておくほうがいいだろう。
「お邪魔してしまいましたね。きみ、彼女と待ち合わせをしていたんでしょう?」
ぼくは、仮面のように顔に貼り付けた笑みに、愛想を込めてみせた。
能力者の彼が美人な彼女の前で平然と四獣珠の話を出したということは、彼女も四獣珠について知っているわけだ。彼女に対しては、玄獣珠は反応しない。彼女は能力者ではないはず。じゃあ、何者?
彼は友好的に、ぼくに右手を差し出した。
「おれ、長江理仁《ながえ・りひと》。この制服を見てのとおり、襄陽学園に通ってて、三年だよ。きみ、大都高校だよね。その校章の色、三年じゃないっけ?」
彼の瞳孔は位置も形も安定している。視線がブレない。悪意や虚構がない表情、と言っていい。ぼくは彼の右手を握った。
「大都高校三年の阿里海牙《あさと・かいが》です」
「イケメンだね~」
「きみもね」
「そりゃどうも。で、能力者なんだよね? どんなチカラ、持ってんの?」
黙っていた彼女が口を開いた。
「視覚的に優位な能力、でしょ? 海牙くんの目、他人よりたくさん見えてる。違うかしら?」
朱みがかった瞳が、射抜くようにぼくを見つめた。
何をどう観察して、その結論に至ったんだろう? 尻尾を出すほどのことはしていないはずなのに。
「おおむね正解です。ぼくのチカラは『力学《フィジックス》』。視界に映る情報が、数値化して立ち現れます。ぼく自身がその計算方法を知っている数値のみ、ですが」
それ以外の、計算式が未知のものは、うじゃうじゃとうごめく多足の虫みたいだ。何らかの文字に見えるけれど、読めそうで読めない。
処理できない情報が視界にあることは不快で、しかもそれらは意外と身近にあふれている。気にし始めると、ストレスがたまる一方だ。
理仁くんは目を丸くして首をかしげた。
「情報が数値化って、んじゃ、おれの身長とか?」
「1,821mm、計測に誤差があるとして±3mm、ですね」
「すっげ~、正解! んじゃ、姉貴のスリーサイズは?」
理仁くんが言った瞬間、彼女がエナメルのバッグの角で、理仁くんの頭を殴った。痛そうな音がした。
スリーサイズくらい、一瞬でわかる。対象を三次元的に観測すれば、後は中学数学レベルの計算式を解くだけだ。
でも、さっき、スリーサイズという言葉よりビックリな単語が聞こえたんですが。
「姉貴、ですか?」
思わず無遠慮に見比べて、なるほどと納得した。髪の色も目の色も似ているし、顔立ち全体の数値もかなり近い。鼻筋から瞳までの距離、小鼻の角度、唇の稜線。
能力者の姉なのか。だから、四獣珠のことを理解している。
「わたし、弟と待ち合わせって言わなかったっけ?」
「聞いていません」
「もしかして、これがわたしの彼氏だと思った?」
「ええ、まあ」
「ちょい待ち、姉貴。これっていう指示代名詞はひでーんじゃない?」
「十分でしょ」
「やだもう意地悪~。おれ拗ねる~」
「ええい、鬱陶しい」
テンポよく交わされる軽口に、ぼくは少し笑った。ぼくは一人っ子だ。仲のいいきょうだいと町に出掛けるなんて、想像もつかない。
姉弟は急ぎの用事があるらしい。面会時間と聞こえた。時計を気にしながら、足早に立ち去っていった。
と思ったら、彼女が駆け戻ってきた。
「記念に一つあげるわ。今日はありがとう。じゃあね」
笑顔で押し付けていったのは、イヌワシのぬいぐるみだ。手ざわりはいいけれど、やっぱり、別にかわいくない。ぼくに似てもいない。
「あれ?」
イヌワシが身に付けたチェック柄のタキシードの懐に、紙が挟まれている。紙を広げると、彼女の名前と連絡先だった。
「リアさん、か」
予想もしなかった展開だ。胸が騒いだ。
連絡してみようと思った。