鈴蘭さんがローファーの靴音を響かせて進み出た。
「リアさんが言ってました。プライドが高い男には二種類いるって。そういう男は、ときどき、傷付ける対象を探すんだって」
「おい、鈴蘭」
 煥くんが鈴蘭さんに呼び掛ける。鈴蘭さんは足を止めない。祥之助のほうへとまっすぐ歩いていく。
「わたし、納得したんですよ。自分の実力を信頼しているなら、彼は自分を傷付ける。実力を発揮できない自分が不甲斐ないから。でも、彼の実力が虚構のものなら、彼は他人を傷付ける。他人を踏み付けにすることでしか、自分を誇れないから」
 祥之助は鬱陶しげに目を細めた。
「黙れ、青龍」
「黙りません」
「生意気な」
「煥先輩も長江先輩も海牙さんも、自分を傷付ける人です。痛々しいくらい自分を傷付けて責めて、それでもあきらめない。あなたは違いますよね。他人を傷つける人です。虚構の実力の上にあぐらをかいている人」
「黙れ」
「目を覚ましたらどうですか? 自分の意志とは違うモノに影響されて、自分のこと見失って。そうじゃないの? それとも、そんなふざけた状態なのに、寝ぼけてすらいないんですか?」
 祥之助は無言で腕を振り上げた。が、動きはそこで止まる。
 鈴蘭さんが両手を祥之助のほうへ突き出していた。何かを持っている。バチッと電流が爆ぜる音がして、持ち物の正体がわかった。スタンガンだ。
 黄帝珠が、さび付いた声を上げた。
【気に留めるでない、祥之助。所詮、弱き駄犬の無駄吠えだ。早く、事を運ぼう。我らを愚弄した罪は重い。五人まとめて「謎の衰弱死」を遂げてもらおうぞ】
 煥くんが鈴蘭さんの肩をつかんで引き寄せて、祥之助から離した。
「謎の衰弱死? 何を言ってやがる?」
【肉体を損ねれば、現世の法がやかましい。かような愚行、我らは冒さぬ。なに、魂《コン》を抜いて精神を昏睡させるのみで十分なのだ。魂《コン》を失った肉体は、おのずと滅ぶ。さて、ここにすでに遊戯の舞台を用意してある】
 黄帝珠が、ざらざらと不快な笑声を放つ。祥之助は、その笑声を視覚化したような浅ましい表情を、華やかな顔に貼り付けた。
「さあ、預かり手の諸君、ゲームをしよう。ボクらが用意した迷宮から、制限時間内に脱出してもらう。ゲームをプレイする間、おまえらの肉体は無防備な状態にさらされるが、ボクらはルールを守る。おまえらの体には一切さわらず、四獣珠にも手を付けない」
 文脈から推測するに、その迷宮は物理的な存在ではない。肉体に関与せず、精神のみが分け入ることのできる世界だ。
 ぼくたちは目配せを交わした。うなずき合う意味は、挑戦。
 理仁くんが祥之助を見据えた。
「それで? どこに迷宮とやらがあるわけ? その脱出ゲーム、さっさと始めちゃいたいんだけど」
 ここだ、と祥之助が右手を掲げた。リアさんの魂珠が指先にとらえられている。
「魂珠の中こそが迷宮だ。ボクが今まで試した限り、魂珠は砕くことも割ることも燃やすこともできない。ただし、中に入ることができる。安全が確保できるのは一定時間内だけだが」
【おぬしらをこの魂珠の中に連れていってやろう。魂《コン》、すなわち人間のココロは、おのずから迷宮だ。おぬしらが時間内に迷宮を抜け、ココロの核に至れば、おぬしらを外に戻してこの女も解放しよう】
 理仁くんが問う。
「おれらが一定時間内にゴールできなかったら? おれらはどうなんの?」
 黄帝珠がチカラの腕を魂珠へと伸ばす。黄金色にまとわり付かれて、魂珠は嫌がるように発光した。でも、光は淡い。黄帝珠のチカラに呑まれて、淡いオーロラ色は次第に見えなくなる。
「それはまだボクもやったことがないな。他人のココロの中に置き去りにされたら、どうなるのか。まあ、普通に考えて、昏睡状態のままだろう」
「じゃあ、姉貴はどうなる?」
「異物を取り込んだ状態のココロは、早く濁る。濁り切ったら、もう意識は回復しないよ。冬眠状態の体はやがて、衰弱して死に至る」
 黄帝珠を中心に、不快な力場が広がる。黄金色の光を浴びるぼくたちは、誘い込まれ、呑み込まれようとしている。
 ぼくは、横たわるリアさんを見た。
 リアさんがとらえられたのは、ぼくをかばったせいだ。祥之助の危険性を見くびって放置したのも、ぼくのミスだ。
 そして今、ぼくは、リアさんの誇りを踏みにじる行為に手を染める。ぼくたちは、これから、リアさんのココロを暴くゲームを始める。
【ごめんなさい。でも、今だけ、あなたのココロに土足で踏み入ることを許してください】
 黄帝珠のチカラが爆発的に高まった。目を閉じた理仁くんが、支えを求めるように、ぼくの肩に触れる。
 三次元の現実が、弾けて消えた。