車は少し、獣の匂いがした。運転手を務めるアジュさんは能力者だ。運転中の今は人間の姿だけど、巨大な黒い犬の姿に変身することもできる。
 通常、この時間帯は、アジュさんは犬の姿で夜勤だ。庭に放してある警備用の犬たちを統率している。人間の姿でも犬の姿でも、軽快な口調でしゃべってよく笑う、いたって気のいい三十代。
「武器や小道具が必要なら、持っていけよ。そのへんに載せてるやつは自由に使っていい」
 警棒、ナイフ、メリケンサック、エアガン、スタンガン。雑多な武器が頑丈なプラスチック製の箱に入っている。
 ぼくはちょっと呆れながら尋ねた。
「見本市みたいですね。これ、どうしたんですか?」
「不良少年どもから巻き上げた」
「巻き上げたって?」
「市内には、警察が機能してないエリアがあるだろ? そういうエリアの取り締まりを請け負ってんだよ。いわば、傭兵だな。総統がやっておられる手広いビジネスの一環だ。海牙、知らなかったか?」
「アジュさんたちが警備会社の看板を掲げているのは知ってましたが、具体的に何をしているのかは知りませんでした」
 鈴蘭さんが顔を曇らせた。
「武器を持つって、イヤですよね。暴力なんて、本当はよくないのに」
 煥《あきら》くんは、攻撃力の高そうな手袋をはめてみている。
「向こうが襲ってこなけりゃ、こっちからは仕掛けねえ。でも、襲われて素直に殴られる趣味はねぇな」
「わかってます。リアさんを救出するまでは、甘いことは言ってられません」
「あんたは武器なんか持つな」
「どうしてですか? わたし、ただでさえ足手まといなのに」
「重いんだよ、こういうの。逃げる邪魔になる」
「逃げる、ですか……」
 夜の裏通りは時折、改造バイクの爆音がする。暴走族気取りの不良集団、緋炎の集会だろう。彼らのバイクは、改造によってエネルギーの伝達効率が非常に悪くなっていて、エンジンをふかすたびにひどい振動を起こす。あの無秩序さは、見ていて気持ちが悪い。
 煥くんが吐き捨てた。
「不細工な音だ」
 煥くんのバイクはメンテナンスが行き届いていた。古いようだったけれど、機械の挙動に無駄がなくて美しかった。
 大通りに出た。深夜を迎えて、ビルの明かりは少ない。目的地が近付いてくる。
 理仁《りひと》くんが顔を上げた。
「さーて、気合い入れよっか。姉貴も取り戻さなきゃだし、おれ自身、このまんまじゃ困るんだよね~。おれと海ちゃんのチカラ、もとに戻さないと」
 煥くんが腕組みをして息をついた。
「正面からケンカしたんじゃ、数で押し切られるだろ。オレの出番が少ないことを祈る。オレはケンカしか能がない」
 ぼくは服の上から玄獣珠に触れた。
「リアさんを解放する条件は、四獣珠との引き換えでしょう。その取引、素直に受けますか?」
 やだね、と理仁くんが言った。
「そういう一件落着は、やだね。お坊ちゃんのわがままも黄帝珠の復活も、絶対に止めてやる」
 ファッションビルSOU‐ZUIは、エントランスが点灯されていた。ビル全体は暗いのに、道しるべのような照明だけが煌々《こうこう》としている。明かりの下、エスカレータが稼働しているのが見えた。
 アジュさんは運転席で、ぼくたちに敬礼した。
「健闘を祈る。宝珠の話となると、大人も子どももない。何の助けにもなれなくて、すまないな」
 みんな、かぶりを振った。改めて言われなくても、わかっている。
 ぼくは微笑んで、アジュさんに敬礼を返した。
「車を出してもらっただけで十分ですよ。終わったら連絡しますから、迎えに来てください」
 無人のファッションビルを、最上階へ。点灯された経路に従って上っていく。吹き抜けになったビルの中央に設置されたエスカレータ。エレベータが稼働している様子はない。階段の前には、檻のようなシャッターが下ろされている。
 罠がある可能性も考えた。でも、立ち止まっていても、時間を浪費するだけだ。進むしかない。
「うわっと」
 理仁くんが、エスカレータからフロアへ乗り移るときにつまずきかけた。
「先輩、大丈夫ですか?」
「だいじょぶ。てか、鈴蘭ちゃん、ぶつかってゴメン。赤外線に目ぇ奪われててさ」
 あのへん、と理仁くんは指差した。防犯センサーから放射される赤外線が多数、その空間に走っているらしい。
 ぼくはエスカレータの数段下にいる理仁くんを振り返った。
「それが赤外線だと、よく気付きましたね」
「見たことあるからね。赤外線って、人間の目には見えないけど、デジカメとかスマホのインカメとか使えば、感知できるじゃん? そういうの駆使して、防犯用の赤外線センサーを全部、無効にしてやったことがあるんだ。姉貴と二人で」
「防犯用のセンサーを無効化って、何ですか、それ?」
「怪盗ごっこ」
「はい?」
「ってのは冗談で、家出したときに使ったんだよ。フツーに家出できない環境だったからさ」
 先頭を行く煥くんが、横顔だけで振り返った。
「兄貴から、理仁の事情を少し聞いてた。朱獣珠のことで父親と対立してるって。だから国外に逃げてたって。オレも、できることは協力する。今回みたいに」
 理仁くんが肩をすくめた。
「高校の入学式で、あっきーの兄貴と初めて会ってさ、おれの号令《コマンド》が効かなくて、何だこいつって思って。預かり手の血筋だと、マインドコントロールにかかりにくいじゃん? 初めての対等な友達。すげー信用したし、頼っちゃったよね。ほんと、いろいろ相談した」
 理仁くんの目はだんだんと伏せられた。彼の頭にあるのはきっと、リアさんのことだ。
 さらわれてしまった。預かり手ではないのに、宝珠を巡る争いに巻き込んでしまった。今、リアさんは、預かり手のぼくたちよりも危険な状態にさらされている。
 もっと早くぼくたちが集結していれば。祥之助が黄帝珠を見付け出すより先に、協力体制を築いていれば。そもそも、理仁くんの父親に宝珠への執着を断たせることができていれば。
 後悔から立つ仮説が、むなしく、ぼくの胸を支配していく。ダメだ。考えちゃダメだ。思念の声が外に洩れたら、みんなの士気を下げてしまう。