ホールの中央に、ピアノが置かれた円形のステージがある。そこに祥之助がいた。黄金色の宝珠を伴うだけで、一人だ。
 祥之助はピアノに向かっていた。一心不乱、という言葉が脳裏に浮かんだ。祥之助の十本の指は、鍵盤の上を繊細に駆け回っている。
 音色だけが聞こえたときは、生演奏だとは思わなかった。淀みもなく正確で、ひどく平べったい音に感じられた。瑪都流《バァトル》のライヴを体験した後だから、なおさらだ。
 黄金色の宝珠が祥之助の頭上に浮かんで、唐突に、ひずんだ輝きを発した。祥之助は電流に打たれたように、ビクリと全身を硬くした。
 ピアノの音色が止まる。ホールに余韻が響く。その残響を踏み付けるように革靴を鳴らして、祥之助は椅子から立ち上がった。
「意外と早く追い付いたじゃないか。おや、ボクらは四獣珠の預かり手だけを呼びたかったんだが?」
 祥之助の黄金色の目が、リアさんを見た。反射的に、ぼくは動いた。理仁くんも同時だった。リアさんの前に立った理仁くんが、チラッとぼくに笑ってみせる。
 鈴蘭さんが一歩、進み出た。青獣珠のペンダントに、服の上から手を当てている。
「目的を聞かせてください。なぜあなたは、あんな非人道的なことをしたんですか?」
「非人道的なこと?」
「人や動物から魂を抜いて操るなんて、非人道的です!」
 祥之助は笑った。
「人権尊重だの動物愛護だの、えらそうな口を利くつもりか? 人間のほうは同意の上だ。金も払ってやった。動物も、魂《コン》は抜いたが、適量のエサを与えて肉体を生かしている。殺したわけじゃない」
「それでも、虐待してます!」
「ならば、何をどうやって、どんな機関に訴える?」
 鈴蘭さんが言葉に詰まる。
 祥之助の言い分は正しい。宝珠のような異次元のチカラは、科学的に解析できないだけじゃない。現行の法律によって縛ることもできない。
 煥くんが舌打ちをした。
「あんたを法で裁けないことは、この際どうでもいい。オレがあんたに思い知らせればいいだけだ。あんたの目的を話せ」
 祥之助は、靴音高くステージを降りた。いちばん近いソファ席に腰を下ろして脚を組む。黄金色の宝珠の破片は、でたらめなリズムで明滅しながら祥之助に付きまとった。
 ざらざらと低い、音なき声で、祥之助は言った。
【ボクの目的は、「彼」の回復だよ。四獣珠のせいでこんな姿になってしまった。かわいそうな「彼」に、正当な姿を取り戻してあげたい】
 祥之助が親しげに「彼」と呼び掛ける先に、黄金色がある。四つに割れた姿の、もとは球形であったもの。宝珠の一つとおぼしき、チカラの光を発して宙に浮く存在。
 玄獣珠が「彼」に反応している。「彼」を忌み嫌っている。「彼」こそが宿敵だと叫んでいる。「彼」を回復させてはならないと、ぼくに訴えている。
「まだわかんねぇな」
 理仁くんが言った。口調も横顔も、ゾッとするほど冷たい。
「わからない? 何がわからないんだ?」
「きみの目的、回復させるだけ? それじゃ語り足りなくねえ? もっと続きがあんだろ。きみさ、目がイっちゃってんだよ」
 祥之助の顔に、嫌悪と笑みが同時に浮かんだ。
「おまえにボクの葛藤がわかってたまるか。学校の勉強も、経営学も、マナーも、ピアノも、ゴルフも、英会話も、与えられる課題はすべて完璧でなくてはならない。一つでも劣ったものがあれば、ボクは生きることを許されない。そんな中で生きてきたんだ」
「あっそう。だから何? これまで頑張ってきたのは誉めてあげるけどさ~、今や便利なひみつ道具の宝珠に巡り合っちゃって、チートスキル使いまくり? 反則じゃねーの?」
「黙れ」
 祥之助の表情が歪んだ。苦痛の表情に見えた。それがたちまち泣き顔になる。両目から涙があふれると、押し流されるように、その瞳の黄金色がにじんで消えた。祥之助は頭を押さえて体を折る。か細い呻き声が漏れる。
 どうした? 何が起こった?
 黄金色の宝珠が、爆ぜるように光った。
【祥之助よ!】
 怒声めいた波動とともに、不快な思念がまき散らされる。
 祥之助が背筋を伸ばして顔を上げた。瞳の中に黄金色が、満面に笑みがあった。
「狡猾《チート》とは人聞きが悪い。ボクは正当に有効活用してやるさ。『彼』のチカラも、おまえたちの四獣珠も。取引だよ、預かり手の諸君。生きてこのビルから出たかったら、四獣珠をボクらに渡せ!」
 カツン、と音がした。靴の踵《かかと》の鳴る音だ。ハッとしたときには、リアさんがぼくと理仁くんの間を通り抜けて、祥之助のほうへ進み出ていた。
「ずいぶん窮屈な家庭環境で、追い詰められて過ごしているのね。同情するわ。よくないモノに魅入られてしまう弱さも、仕方がないのかもしれない。でもね、わたしはきみのふるまいを見過ごすことも許すこともできない。宝珠なんて、今すぐ捨ててしまいなさい」
 凛とした後ろ姿がキレイで、場違いだけれど、ぼくはリアさんに見惚れた。リアさんはまっすぐに祥之助に近付いていく。
 リアさんは祥之助のソファのそばに立った。祥之助はリアさんを見上げた。
「預かり手でもないおまえには用がない。さっさと失せろ。今なら、おまえの無礼な言動も許容してやれる。ボクらは四獣珠がほしいんだ」
 祥之助が言い切るかどうかといった瞬間だった。リアさんが、祥之助の胸倉を左手でつかんだ。
「きみは宝珠に願いをかけたことがあるのね? 何を代償に、どんな願いをかけたの? 宝珠はね、使ってはならないのよ。人間はたやすく欲に溺れる生き物だから」
 黄金色がギラギラとまたたいた。リアさんは黄金色を見下ろした。祥之助の胸倉から手を放す。
 ソファのそばのテーブルに、重たげなガラスの灰皿がある。リアさんは灰皿を手に取った。祥之助が悲鳴を上げた。
「や、やめろっ!」
「きみを殴るわけじゃないわ」
 リアさんは灰皿を「彼」に叩き付けた。
 硬いものが砕ける音がした。砕けたのは灰皿だ。リアさんは、灰皿の破片を持ったままの右腕を、左手でさすった。
 祥之助がソファから立ち上がって、リアさんと「彼」の間に割って入った。
「いきなり何をするんだ!」
「宝珠に依存するのをやめなさい」
「ボクに指図するのか? 調子に乗るなよ、暴力女! おまえなんか、ボクは……」
 パシン!
 見事な音で、祥之助の頬が鳴った。リアさんに平手打ちを決められて、見る間に祥之助の頬が腫れ上がる。
「暴力女でけっこうよ。目を覚ましなさい。それとも、意識を失わせれば、そちらの『彼』の影響下から引っ張り出せるのかしら?」
 愕然としていた祥之助が、わなわなと震え出す。リアさんは背筋を伸ばして立ったまま。その距離は危険だ。
 ぼくと理仁くんが同時に地面を蹴った。ぼくのほうが速い。
「リアさん、無茶です!」
 肩を抱いて引き寄せる。その瞬間、祥之助が不格好に振り回す腕が空を切った。
「ボクを侮辱して、ただで済むと思うな! 今すぐだ。今すぐここで思い知らせてやる!」
 リアさんが、なおも祥之助に批判を浴びせようとする。ぼくは彼女を横抱きにさらってバックステップした。
 祥之助が、テーブルの上のブザーを鳴らした。レストランの入口とテラスから一斉に、黒い戦闘服の男たちが乱入してきた。