わたしは、黒い棺《ひつぎ》に横たわる眠り姫。もしくは、アリスの悪夢の創造主。
棺のすぐそばに、みんな倒れている。
弟が最初に斃《たお》れて、しんとした。誰よりも響く声でわたしを呼び続けていた弟。わたしが弟を守るべきだったのに。弟にはわたしの弱さを知られてはならなかったのに。
ごめん、来ないで。あんたにだけは見せたくないことだってあるの。
来ないで。ほかならぬあんただからこそ、来ないで。
わたしは拒んだ。弟はわたしを呼び続けた。わたしは応えなかった。声を上げて上げて上げ続けた弟は、とうとう疲れ果てて力尽きた。
それで、わたしの張り詰めた糸が切れた。わたしのココロが弟を殺したの。最低な悪夢。守りたかったものが壊れてしまって、後はもうどうなったっていいと思った。
わたしのココロの最奥部は、黒曜石でできているかのように艶めく漆黒の部屋だ。哀しくなるほど冷たい部屋だった。
帝王を名乗る少年が、棺の中のわたしと、そばに倒れ伏した四人を見下ろしている。
わたしは棺に横たわって目を閉じたまま、別の場所にも意識を持っていて、どこか遠くから黒い部屋の情景を眺めている。
帝王は、そのチカラの源である黄金色に向けて笑ってみせた。
「ごらん、やっと四獣珠《しじゅうしゅ》が手に入るよ。これでボクたちのチカラも完璧なものになる」
【左様。あるべき姿に戻るときが来た】
ぎらぎらと光る黄金色は、四つに砕けた宝珠だ。せわしなく明滅しながら宙に浮かんでいる。完全な球形に戻りたそうにくっつき合っては、結局、一つになれずに四つのバラバラの姿で帝王の横顔を照らす。
帝王は、いちばん近くに倒れている黒髪の彼のペンダントをつかみ上げた。
黒髪の彼は、そうね、いい子だわ。つかみどころがなくて賢くて生意気だけど、わたしが見つめると、戸惑って目を泳がせる。そんなアンバランスなところがかわいかった。
彼は小さく呻いてまぶたを開いた。彼のダークグリーンの目が、焦点を揺らしながらも、帝王をにらむ。
「渡さない……」
彼の指先が動く。腕が震える。でも、何の抵抗もできない。
帝王は立ち上がってペンダントを掲げ、彼の頭を踏み付けて高らかに笑った。
「もうもらったよ! 玄獣珠《げんじゅうしゅ》はボクのものだ」
「……返、せ」
「へえ、まだそんな反抗的な目をする元気があるのか。せっかくだから、選ばせてやろう。どんな死に方をしたい? 望んだとおりの形で殺してやる。簡単なことだよ。玄獣珠に願いを掛ければいい。派手なショーを見せておくれ、とね。願いの代償は、おまえの命だ」
帝王が高笑いをした。黄金色が唱和した。
なんて鬱陶しい協和音。
やめて。いい加減にして。わたしのココロの中で、勝手なことばかり。せめて、彼らだけでも解放して。死なせないで。
黄金の宝珠が、ざらざらした声を響かせる。
【ココロの主が抵抗しておる。こやつを解放せよ、と。笑止千万。おぬしも薄々気付いておろうに。他人のココロの迷宮に長く滞在した者は、必ず死ぬ】
死ぬ? 待って。彼らは眠って夢を見ているのと同じ状態だと、あなた、言ったでしょう? なぜ彼らが死ななければならないの?
【ココロの主よ、おぬしはこやつらを受け入れておらぬ。拒絶し、苦痛を与え、今なお棺に閉じこもっておる。こやつらが消耗しておるのは、おぬしのせいだ】
彼らを殺そうとしているのは、わたし?
【もはや、こやつらは自力で迷宮から出られぬ。しかし、おぬしのココロは厄介よのう。拒絶しつつ、孤独を嫌って、こやつらを放そうとせぬ】
違う。わたしは孤独でかまわない。そう覚悟して生きてきた。
【まことに?】
それは、だって、本当のことなんて言えないもの。言いたくないの。
【言えばよいではないか】
やめて。弱さを引っ張り出されたりしたら、わたしは。
【人は誰しも弱い。あわれなほどに弱いものなのだ。認めよ】
知ってる。わたしは弱い。弱くて、だから……寂シイノハ、イヤナノヨ。本当ハ、独リナンテ。
【おぬしの弱さがこやつらを呼び、乞い、求めたのだ】
一緒ニ死ンデクレル?
【おぬしのココロが、弱さゆえに、こやつらを殺すのだ】
死ンデモラエル?
帝王はわたしを見下ろして、冷ややかに言い放った。
「四獣珠さえ手に入れば、預かり手どもは用済みだ。ココロの迷宮探索、なかなかの見ものだった。ゴール目前までたどり着いたのは、知恵の足りない連中の割に健闘したと言えるが、結局は力尽きたな。このゲーム、ボクたちの勝利だ」
嘲笑がわたしのココロを汚していく。
引き出されてしまった。暴かれてしまった。隠してきた弱さも醜さも、すべて。
これ以上、もう、いらない。ゲームだか茶番だか知らないけど、わたしを見くびるのもいい加減にして。
わたしはね、独りで死ぬのが怖いと思う程度にはまともでも、わたしの何もかもをバカにする無礼者を見過ごせない程度には暴力的だし残忍だし凶悪だし、壊れているの。
一緒に死んでくれる?
死んでもらうわよ。
どうせ誰も助からないんでしょう。だったら、今すぐ、みんな仲良く殺してあげる。
哀しみと怒りがせめぎ合うわたしの胸は、冷たい灰色に覆われる。黒曜石の部屋が、棺が、わたし自身が、灰色に変わっていく。わたしのココロのすべてが灰色に呑み込まれ、固く固く凝り固まって、温度を失う。
帝王が、黄金の宝珠が、異変を察して慌て始める。
「な、何だ? 何が起こっている?」
【バカな! 閉じ込める気か!】
見くびらないでね。閉じ込めるなんて悠長なこと、するわけないじゃない。
刹那の衝動。何もかも砕けて壊れて消えてしまえばいい、と思った。
わたしの全部が急速に灰色になる。石になる。無になる。死の世界になる。彼も彼らも帝王も黄金の宝珠も、一瞬のうちに、わたしの灰色は呑み尽くす。
砕けてしまえ。
このココロごと、きみたちも全部、砕けてしまえ。哀しみと怒りを凝縮して昇華して、憎悪と呪詛の結末へと創り変えるの。
さあ、悪夢の一枝を刈り取りましょう。ここで全員、ゲームオーバーよ。目覚めることのないアリスの体は、うっかりお昼寝したまま、静かに腐って朽ちていく。
おやすみなさい。
永遠に。
棺のすぐそばに、みんな倒れている。
弟が最初に斃《たお》れて、しんとした。誰よりも響く声でわたしを呼び続けていた弟。わたしが弟を守るべきだったのに。弟にはわたしの弱さを知られてはならなかったのに。
ごめん、来ないで。あんたにだけは見せたくないことだってあるの。
来ないで。ほかならぬあんただからこそ、来ないで。
わたしは拒んだ。弟はわたしを呼び続けた。わたしは応えなかった。声を上げて上げて上げ続けた弟は、とうとう疲れ果てて力尽きた。
それで、わたしの張り詰めた糸が切れた。わたしのココロが弟を殺したの。最低な悪夢。守りたかったものが壊れてしまって、後はもうどうなったっていいと思った。
わたしのココロの最奥部は、黒曜石でできているかのように艶めく漆黒の部屋だ。哀しくなるほど冷たい部屋だった。
帝王を名乗る少年が、棺の中のわたしと、そばに倒れ伏した四人を見下ろしている。
わたしは棺に横たわって目を閉じたまま、別の場所にも意識を持っていて、どこか遠くから黒い部屋の情景を眺めている。
帝王は、そのチカラの源である黄金色に向けて笑ってみせた。
「ごらん、やっと四獣珠《しじゅうしゅ》が手に入るよ。これでボクたちのチカラも完璧なものになる」
【左様。あるべき姿に戻るときが来た】
ぎらぎらと光る黄金色は、四つに砕けた宝珠だ。せわしなく明滅しながら宙に浮かんでいる。完全な球形に戻りたそうにくっつき合っては、結局、一つになれずに四つのバラバラの姿で帝王の横顔を照らす。
帝王は、いちばん近くに倒れている黒髪の彼のペンダントをつかみ上げた。
黒髪の彼は、そうね、いい子だわ。つかみどころがなくて賢くて生意気だけど、わたしが見つめると、戸惑って目を泳がせる。そんなアンバランスなところがかわいかった。
彼は小さく呻いてまぶたを開いた。彼のダークグリーンの目が、焦点を揺らしながらも、帝王をにらむ。
「渡さない……」
彼の指先が動く。腕が震える。でも、何の抵抗もできない。
帝王は立ち上がってペンダントを掲げ、彼の頭を踏み付けて高らかに笑った。
「もうもらったよ! 玄獣珠《げんじゅうしゅ》はボクのものだ」
「……返、せ」
「へえ、まだそんな反抗的な目をする元気があるのか。せっかくだから、選ばせてやろう。どんな死に方をしたい? 望んだとおりの形で殺してやる。簡単なことだよ。玄獣珠に願いを掛ければいい。派手なショーを見せておくれ、とね。願いの代償は、おまえの命だ」
帝王が高笑いをした。黄金色が唱和した。
なんて鬱陶しい協和音。
やめて。いい加減にして。わたしのココロの中で、勝手なことばかり。せめて、彼らだけでも解放して。死なせないで。
黄金の宝珠が、ざらざらした声を響かせる。
【ココロの主が抵抗しておる。こやつを解放せよ、と。笑止千万。おぬしも薄々気付いておろうに。他人のココロの迷宮に長く滞在した者は、必ず死ぬ】
死ぬ? 待って。彼らは眠って夢を見ているのと同じ状態だと、あなた、言ったでしょう? なぜ彼らが死ななければならないの?
【ココロの主よ、おぬしはこやつらを受け入れておらぬ。拒絶し、苦痛を与え、今なお棺に閉じこもっておる。こやつらが消耗しておるのは、おぬしのせいだ】
彼らを殺そうとしているのは、わたし?
【もはや、こやつらは自力で迷宮から出られぬ。しかし、おぬしのココロは厄介よのう。拒絶しつつ、孤独を嫌って、こやつらを放そうとせぬ】
違う。わたしは孤独でかまわない。そう覚悟して生きてきた。
【まことに?】
それは、だって、本当のことなんて言えないもの。言いたくないの。
【言えばよいではないか】
やめて。弱さを引っ張り出されたりしたら、わたしは。
【人は誰しも弱い。あわれなほどに弱いものなのだ。認めよ】
知ってる。わたしは弱い。弱くて、だから……寂シイノハ、イヤナノヨ。本当ハ、独リナンテ。
【おぬしの弱さがこやつらを呼び、乞い、求めたのだ】
一緒ニ死ンデクレル?
【おぬしのココロが、弱さゆえに、こやつらを殺すのだ】
死ンデモラエル?
帝王はわたしを見下ろして、冷ややかに言い放った。
「四獣珠さえ手に入れば、預かり手どもは用済みだ。ココロの迷宮探索、なかなかの見ものだった。ゴール目前までたどり着いたのは、知恵の足りない連中の割に健闘したと言えるが、結局は力尽きたな。このゲーム、ボクたちの勝利だ」
嘲笑がわたしのココロを汚していく。
引き出されてしまった。暴かれてしまった。隠してきた弱さも醜さも、すべて。
これ以上、もう、いらない。ゲームだか茶番だか知らないけど、わたしを見くびるのもいい加減にして。
わたしはね、独りで死ぬのが怖いと思う程度にはまともでも、わたしの何もかもをバカにする無礼者を見過ごせない程度には暴力的だし残忍だし凶悪だし、壊れているの。
一緒に死んでくれる?
死んでもらうわよ。
どうせ誰も助からないんでしょう。だったら、今すぐ、みんな仲良く殺してあげる。
哀しみと怒りがせめぎ合うわたしの胸は、冷たい灰色に覆われる。黒曜石の部屋が、棺が、わたし自身が、灰色に変わっていく。わたしのココロのすべてが灰色に呑み込まれ、固く固く凝り固まって、温度を失う。
帝王が、黄金の宝珠が、異変を察して慌て始める。
「な、何だ? 何が起こっている?」
【バカな! 閉じ込める気か!】
見くびらないでね。閉じ込めるなんて悠長なこと、するわけないじゃない。
刹那の衝動。何もかも砕けて壊れて消えてしまえばいい、と思った。
わたしの全部が急速に灰色になる。石になる。無になる。死の世界になる。彼も彼らも帝王も黄金の宝珠も、一瞬のうちに、わたしの灰色は呑み尽くす。
砕けてしまえ。
このココロごと、きみたちも全部、砕けてしまえ。哀しみと怒りを凝縮して昇華して、憎悪と呪詛の結末へと創り変えるの。
さあ、悪夢の一枝を刈り取りましょう。ここで全員、ゲームオーバーよ。目覚めることのないアリスの体は、うっかりお昼寝したまま、静かに腐って朽ちていく。
おやすみなさい。
永遠に。