海牙さんが冷静な口調で言った。
「とにかく、これで情報が出揃いました。宝珠に願いを掛けたのは、月の預かり手。願いの内容は、煥くんとの恋の成就。巻き戻しが起こる原因は、彼女の能力のせいでしょう。そうですよね、平井さん?」
 ベンチに掛けた平井さんはうなずいて、丸い池の真ん中に建つ祠《ほこら》を手で示した。
「月は満ち欠けを繰り返し、沈んではまた昇る。その様子が、永遠を連想させるのだね。月は不老不死を司ると語り継がれている。この公園の名を知っているだろう?」
 嫦娥《じょうが》、と全員の声が重なった。
「そう。嫦娥とは、月の女神だ。古い中国の伝説に登場する、不老不死のチカラを持つ天女だが、あるとき嫦娥は地上に降りた。地上の男と暮らすうち、老いを体感する。それを厭《いと》うた嫦娥は、不老不死の霊薬を手に、月へ帰ってしまう」
 月の女神、嫦娥の伝説。小さいころに、おばあちゃんから聞いた気がする。
「かぐや姫みたい」
 わたしの言葉に、長江先輩がうなずいた。
「それな。『秘録』にも類似性が指摘されてたね~。嫦娥のほうが古いよ。かぐや姫は千二百年くらい前だっけ? 不老不死の霊薬を地上に置いて、月に帰るんだ。ま、かぐやの彼氏は霊薬を焼いちゃうけど」
 海牙さんが軽く首をかしげた。
「彼氏が焼くんでしたっけ? 育ての親じゃありませんでした?」
「両説あるよ。ま、どっちにしても使わないんだな。不老不死は月の姫君の特権ってわけ」
 平井さんは、ジャケットの胸ポケットに差したツツジのつぼみを抜き取って、手のひらに載せた。つぼみは白くほのかに光りながら、ふわりと宙に浮き上がった。
 いとおしげに花を見つめる平井さんは、再び語り出す。
「月聖珠《げつせいしゅ》の預かり手は不老不死だ。老いず、死なない。肉体を持っていないから可能なんだよ。彼女は本来、精神だけの状態で存在する」
 だけど、小夜子は今、肉体を持って存在している。触れることができて、学校に通っている。
 平井さんがわたしの胸の中の疑問を汲み取った。
「そうだね、鈴蘭さん。彼女は、小夜子という少女になることを選んだ。精神のままでは、煥くんに触れることができない。肉体を得るために、自分で月に願いを掛けた」
 嫦娥公園のそばに家がある、と小夜子は言った。本当は嫦娥公園の中なんだ。嫦娥の祠がチカラの接点だった。
 チカラを持つわたしが恋の願掛けをして、月の姫君がその声を聞いて目を覚まして、彼女は煥先輩が歌う姿に恋をした。この一枝を病ませるほどに一途な恋を。
 長江先輩が頭を振った。
「迷惑だね。自分の欲望のために宝珠を使うなんて。おれ、予知夢の未来の内容、思い出したよ。鈴蘭ちゃんが真っ先に殺されるんだ。積年の恨みを込めて、あのバカでっかいツルギで刺される」
 海牙さんもうなずいた。
「ツルギを振るっていたのは黒髪の女性、というイメージだけが残っていました。だから、鈴蘭さんだと誤解してしまった。違ったんですね。月の姫君も、長い黒髪の持ち主です。彼女が鈴蘭さんに恨みを向ける理由は、つまり」
 海牙さんが煥先輩に視線を向ける。煥先輩がハッと顔を上げた。長江先輩が答えを出した。
「あっきーが鈴蘭ちゃんを選ぶんだよ」
「う、嘘……」
 一瞬で胸が苦しくなった。ドキドキが激しすぎる。顔が熱くなってくる。
 長江先輩がまじめな顔をしている。
「嘘じゃないって。少なくとも、予知夢で見た未来ではね。たっぷりからかってやりたいけど、ごめん、今はそんな状態じゃないや。ねえ、平井のおっちゃん、訊きたいんだけど」
「何かな?」
「月の姫君が数千年に一度の肉体化をしてて、遠慮なくチカラ使いまくってる。これって、一枝にとって負担でしょ? 重くなってバランス崩れて、折れちゃうんじゃない?」
 平井さんが満月を見上げた。
「少し気味が悪い状態、と言っておこうか。すでにずいぶんと月の影響をこうむっている」
「影響って、この一枝の病気のことでしょ? 巻き戻しが起こるのは、月のチカラのせいっすよね」
「この一枝の病は、不老不死の症状を呈している。ゆえにツルギで刺された人は死なず、時が巻き戻る」
 海牙さんが髪を掻き上げた。
「ぼくたちの役割は、違反者の排除。要するに、月の姫君を倒さないといけない。厄介な状況ですね。彼女、おとなしく倒されてくれるように見えません」
 でも、青獣珠が脈打っている。役割を果たすときがきたって、意気揚々としているし、戦々恐々ともしている。どっちにしても、戦うつもりでいるんだ。
 謎は解けた。ゴールまでの道筋は見えている。でも、解けていない謎もある。
「小夜子はどうしたいんだろう?」
 煥先輩と両想いになれば満足なの? それとも、邪魔者であるわたしを消し去りたいの?
 銀色に輝くツルギで刺されたとき、憎しみが突き立てられるのがわかった。恋をすると、人を憎んでしまうの? そうかもしれないね。わたしも同じ思いをいだいたことがあるよ。まわりが何も見えなくなったことがあるよ。
 長江先輩が片方の頬を膨らませて、ぺこんとへこませた。
「彼女と会って話さなきゃ、先に進めないね。どこいるんだろ? おれとしては、さっさとあきらめてほしいけどね」
 命を代償にして願いを叶える。それを嫌う長江先輩の目は、厳しい。
 煥先輩が低くささやいた。
「オレなら連絡を取れる」
「小夜子のメールに返信するんですか?」
「ああ」
 煥先輩はスマホを出して、全員に画面が見える角度でメールを作成した。件名を空っぽにして、本文には簡潔なメッセージ。
〈会って話をしたい。今どこにいる?〉
 煥先輩の親指が、送信のアイコンに触れた。チリッと胸が痛む。こんなときでさえ、わたしは小夜子に嫉妬している。煥先輩からメールをもらえる小夜子がうらやましい。
 返信は、すぐに来た。
〈メールありがとうございます。
 わたしは学校にいます。
 ○.:*゚Blue Moon*゚:.○〉
 行っておいで、と平井さんが言った。