嫦娥《じょうが》公園の月の女神の祠《ほこら》は、不老不死を司るという。神秘的なたたずまいだ。澄んだ水をたたえる池、ほっそりと設けられた遊歩道、白い花を咲かせる木々。
 ツツジとコデマリが咲いた公園を歩けば、若葉の新芽の匂いがする。レトロな形の外灯がポツポツと立って、白い明かりをともしていた。
 時刻は十八時を回ったところだった。満月はもう空で輝いている。
 ベンチに掛けた平井さんは、にこやかにわたしを迎えてくれた。
「こんばんは。今夜は月が明るいね」
 古風で上品な、たぶんオーダーメイドのスーツ。ベンチを勧めてくれる紳士的な仕草が、平井さんにはよく似合う。
 わたしは頭を下げた。
「こんばんは。お隣、失礼します」
 隣に座るなんて、本当は恐れ多い。ビリビリするくらいの威圧感を受けてしまう。でも、怖がっていても失礼だ。だって、平井さんにはすべて伝わってしまうから。
 平井さんがクスクスと笑った。
「そう硬くならないでいいのだよ。まあ、地球上の生物であれば、仕方のない反応だがね」
「すみません」
「今回の今日は、若い人たちとよく話す日だ。四人の預かり手たちが、順にここへやって来る。おかげで私はベンチから動けない」
 わたしは平井さんをうかがった。立派に整った形の鼻をしているから、横顔は日本人っぽくない。
「平井さんは、あの、どういうかたなんですか?」
「私がどういう化け物なのか、と?」
「いえ、その……」
「私が持つチカラは化け物並みだよ。ただし、チカラを容れた器のほうは、ただの人間だ。腕相撲なんかしたら、高校生には負けてしまう。のども渇くし、おなかもすく」
 平井さんは、空になった紙コップを振ってみせた。コンビニのレジで買えるコーヒーだ。
「みんなは何を平井さんと話したんですか?」
「まあ、それぞれだね。阿里海牙くんは、自己分析。長江理仁《ながえ・りひと》くんは、経過報告。伊呂波煥《いろは・あきら》くんは、決意表明。十代のみずみずしい感性はいいね。海牙くんの過去、理仁くんの現在、煥くんの未来。それぞれのヴィジョンは鮮烈で、まぶしかった」
 平井さんはなつかしそうな目をした。わたしの父と同じくらいの年齢? 最近、多忙な父とは話していない。小さいころは、父に本を読んでもらうのが好きだった。
「わたしは、自分を持ってません。すごくフラフラしてます。人に迷惑をかけてばかりで、人を傷付けてばかりで、何の役にも立てない人間なんです」
 平井さんは人差し指を立てた。
「一つ、言っておこうか。フラフラするのは当然だよ。その柔軟性が人間の特質だからね。大いにフラフラしてみなさい。役に立つことだけが、人間の価値かな? そう肩肘を張らなくていいじゃないか。生きることは、仕事じゃあないんだよ」
「でも、地に足が着かないのは不安です」
「海牙くんの悩みと似ているかもね。未処理の情報だらけだから、息苦しい。まじめな人間ほど、その感覚に陥《おちい》る」
 わたしは海牙さんほど切羽詰っていない。中途半端だ。
「平井さんはすべてわかってらっしゃるんですよね?」
「わかっているよ」
「じゃあ……」
「一つずつ解きほぐそうか。以前、海牙くんが疑問を整理してみせたね。違反者の願いの内容、禁忌と巻き戻しの関係、ツルギが巻き戻しの要因になる理由。今わかっているのは、どれだ?」
「巻き戻しの要因です。ツルギである四獣珠が、命を奪うことに対して拒絶反応を起こすから。だから、病んだ一枝が巻き戻しの発作を起こす」
「そのとおり。命の価値は重いからね」
「ほかの疑問はまだ解けてません。わたしには、解けて当然のはずなのに」
「さあ、どうだろうね? きみはもう少し情報を得るがいい。そうするほうが、疑問の結末に納得できるだろう。そうそう、海牙くんからきみへの預かりものがあるんだ」
「預かりもの?」