学校が近付くと、同じ制服の人たちが増えてくる。徒歩通学だったり、駅のほうからの流れだったり。
 広い広い敷地を持つ襄陽学園の、ぐるりと囲う塀の一角が見えたときだった。前のほうに、見付けた。
「伊呂波《いろは》先輩!」
 スラリと背が高くて、栗色の髪で、後ろ姿だけど間違いない。伊呂波文徳《いろは・ふみのり》先輩だ。寧々ちゃんがわたしを肘でつついた。
「お嬢、挨拶しに行っちゃえば?」
「ええっ?」
「そんなにビビらないの」
「だ、だって」
 寧々ちゃんにニヤニヤされて、わたしは顔が熱くなってしまう。
「会えますようにって願掛けしてんでしょ?」
 寧々ちゃんがわたしのカバンを指差した。持ち手には、幸運のお守りがぶら下げてある。三日月形の銀製のプレート。
 最近、女子の間で流行りの「恋に効く天体アミュレット」シリーズだ。わたしは三日月のモチーフを選んで身に付けている。
 後ろから聞こえていた足音が、わたしたちを追い抜いていく。女子が二人、パタパタ走って行った。
「文徳センパーイ!」
「おはようございまーす!」
 二人は伊呂波先輩に声をかける。
 先輩が足を止めて振り返った。いつもの笑顔。先輩に追い付いた女子二人は、すごく嬉しそうに先輩と話し始める。
 わたしは心を決めた。
「よしっ、わたしも行ってみる!」
 カバンを胸に抱えて走り出す。もともと足が遅いうえに、カバンが重い。すぐに息切れしてしまう。それでもわたしは伊呂波先輩へと走る。
 わたしが追い付くより先に、伊呂波先輩がわたしに気付いてくれた。軽く右手を挙げる仕草が、キラキラしている。
「おはよう」
 爽やかな笑顔の先輩の前で、わたしはやっと足を止めて息を整えた。
「お、おはよう、ございますっ」
「そんなに走って、どうしたの? 何か急ぎの用事?」
「あ、いえ、その……」
 伊呂波先輩を見付けたから思わず走ってきました! って言えたらいいんだけれど。
 先に走って行った女子二人は、校章の色を見るに、一学年上みたいだ。先輩女子二人は、クスクス笑った。
「文徳先輩、鈍感ー! その一年ちゃんも、うちらと一緒ですよ? ね、そうでしょ?」
 共犯者って感じの笑顔を向けられる。ライバル、じゃなくて。
 伊呂波先輩は、自分の栗色の髪をくしゃくしゃした。赤みがかった茶色の目が、優しく微笑んでいる。
「あんまりおれをからかうなよ。最近、何をするにも期待されすぎてて、クリアするのも必死なんだぞ」
 伊呂波先輩は生徒会長だ。去年のオープンキャンパスで登壇して挨拶をする姿は、一瞬でわたしの目に焼き付いた。入学式でも登壇していた。やっぱりカッコよかった。
 背が高くて、凛とした美形。進学科で、成績はトップクラス。スポーツもできる。何をやっても完璧。ほとんど超人っていえるくらいだ。
 ふと、わたしは伊呂波先輩の大荷物に気が付いた。左肩に引っ掛けた、黒い大きなケースだ。もしかして、ギター?
「伊呂波先輩って、楽器をされるんですか?」
「ああ、バンドやってるんだ。ギターだよ」
「バンドまでやってらっしゃるんですか! 素晴らしいです!」
 伊呂波先輩が白い歯を見せて笑った。社交辞令的な笑顔じゃなくて、今のは本物の笑顔だ。
「楽しそうなことを全部、やってみてるだけだよ。実際、バンドはとても楽しい」
「いいですね。充実した高校生活、うらやましいです」
「鈴蘭さん、だったよね? まだ学校には慣れない?」
 いきなり名前を呼ばれて、びっくりした。ますます胸がドキドキする。
「す、少しは慣れてきました。でも、戸惑うことがまだ多くて。あ、だけど、校舎内の配置は覚えました! もう迷いません」
 わたしと伊呂波先輩の出会いは、わたしが校内で迷ったせいだった。
 昼休みに職員室に用事があって、五校時の移動教室は職員室から直接向かおうと思った。そうしたら、自分の場所がわからなくなって右往左往。そこを偶然、伊呂波先輩が助けてくれた。
「また何か困ったら、頼ってほしいな。そういうのも、生徒会の仕事だから」
 そう、仕事だ。
 わかっている。伊呂波先輩は誰にでも親切だ。わたしにだけ優しいわけじゃない。だけど、わたしはそういうところが好き。公平で、大人っぽくて、すごい人だ。
「わたしも生徒会に入りたいです。次の選挙の時期までに、学校のことを覚えます。伊呂波先輩とは一緒に仕事できないけど」
 伊呂波先輩は三年生。任期はあと半年だ。
「おれの代わりに生徒会を盛り上げてよ。よろしくな」
「はい!」
「それと、伊呂波先輩って呼び方なんだけど。弟とおれと、まぎらわしいんだ。文徳って呼んで。おれも下の名前で呼ばせてもらうし」
「文徳先輩、ですか」
 ふみのりせんぱい。すごく距離が近い気がしてしまう。響きがくすぐったい。
 そっか。下の名前で呼ぶのが文徳先輩のスタンダードなんだ。だから、さっき、わたしのことを鈴蘭って。