こぢんまりとした嫦娥公園の真ん中には、丸い池があって、その真ん中の小島に月の女神をまつる祠《ほこら》がある。
ツツジとコデマリが白い花をビッシリと咲かせている。夜風はかすかに甘く香る。
外灯の下のベンチに、平井さんがいた。平井さんはわたしたちの姿を認めて、穏やかに微笑んだ。
「こんばんは、安豊寺鈴蘭さん、伊呂波《いろは》煥くん。きみたちも呼び出されたんだね」
「平井さん、こんばんは。平井さんも、長江先輩たちに呼び出された側なんですか?」
ベンチの背後の薄闇が動いた。グレーの詰襟にスリムなスタイル。海牙さんだ。
「ぼくたちが平井さんを呼び出しました。話をしたかったので」
煥先輩が、立ち位置を少し変えた。わたしを海牙さんからかばう位置だ。わたしの隣で、長江先輩が苦笑いした。
「あっきー、殺気立たないでよ。まずは話そうって場面でしょ? ねえ、平井のおっちゃん?」
平井さんは、ジャケットの胸ポケットに差したツツジのつぼみを抜き取って、手のひらに載せた。つぼみは白くほのかに光りながら、ふわりと宙に浮き上がった。
わたしは息を呑んだ。煥先輩が体を硬くするのがわかった。
ベンチに掛けた平井さんは悠然としている。簡素な丸木のベンチが玉座に見えた。
「きみたちの心には多くの疑問が渦巻いている。謎に囲まれていては、不安だろう? すべてを話してあげたいのだが、まだ時が熟していないようだ。きみたちはもう少し、互いを知る必要がある」
平井さんの視線の先にあるのはツツジの花なのに、わたしは、平井さんの目に射抜かれているという錯覚に陥《おちい》った。体が動かない。
煥先輩が半歩、進み出た。
「あんたはどこまで知ってんだ? 全部か?」
「そう、全部だよ。せっかくだから、一つだけ疑問に答えよう。きみたちが抱える疑問はそれぞれ重要だが、伊呂波煥くん、きみが最も強くいだく疑問こそが最もクリティカルだ。きみの疑問を解いてみようか」
平井さんはわたしたちの心を読んでいる。わたしは恥ずかしくなった。この胸にある疑問も不安も、それ以外の感情も全部、みっともなくてみじめだから。
煥先輩が低い声で言った。
「運命を変えたり未来をねじ曲げたりすること。宝珠は、そんなデカい願いさえ叶えるものなのか?」
平井さんはうなずいた。
「結論から言うと、肯定だよ。宝珠の種類にもよるがね。ああ、宝珠には種類があり、ランクがあるのだよ。例えば、四獣珠はランクの高い宝珠だ。陰陽を司る『二極珠』に比べればやや劣るが、『十二支珠』などよりはずっとチカラが強い」
その話は祖母から聞いたことがある。
中国大陸由来の宝珠には、種類とランクがある。
陰陽の二極珠。四聖獣の四獣珠。五行説の五行珠。暦に関わる十干珠と十二支珠。星の巡りに関わる二十八宿珠。
引き合う宝珠の母数が増えるほどにランクが下がって、発現できるチカラが弱くなる。単純計算をすれば、二極珠は大いなるチカラを二分の一ずつ、四獣珠は四分の一ずつ担う格好だ。預かり手の能力も、宝珠のランクに相応した強さが与えられる。
平井さんがゆったりと話を再開した。
「このあたりの話は、『四獣聖珠秘録』のうち『始源』に記録されている。さて、疑問の解決に戻ろうか。宝珠に願いを掛けて未来を変えることは、大きなチカラを必要とする事象だ。当然、差し出す代償も大きくなる。最も価値の高い代償とは何か、わかるかね?」
長江先輩が軽く右手を挙げた。
「命、でしょ?」
「正解だよ、長江理仁くん。きみは何度も目撃してきたのだったね」
一瞬、長江先輩の笑みが歪んだ。
「おれの事情なんか、どーでもいいしね~。疑問の解決とやら、進めちゃいましょうよ」
「では、答えを提示しよう。宝珠に願いを掛けて未来を創り変えることができるか。その命題を可能とする要件は二つだ。宝珠のランクがそれ相応であること。それ相応の代償を差し出すこと。可能なのだよ。だから今こうして、我々は病んだ一枝の上に存在している」
海牙さんが、波打つ髪を掻き上げた。
「例えば、四獣珠のランクなら可能なんですね? いくつもの命を代償にすれば、未来を変えられる。ぼくたちが予知夢のように見た未来のあの場面こそが、宝珠に願いを掛けたシーンなんですね?」
平井さんの手のひらの上で、白いツツジのつぼみが、はらりと花開いた。平井さんはツツジを胸に差した。
「もう一つ付け加えておこう。宝珠は本質的に、命を奪うことを嫌う。四獣珠のそのツルギの姿は、本質的ではない。ツルギとして働くことを悲しんでいる。それを覚えておいてもらいたい」
ポーチの中の青獣珠が、ああ、と嘆いた。わたしは二度、ツルギで人を刺した。その瞬間の青獣珠の悲鳴を、手のひらが覚えている。
ごめんね。イヤだったんだね。
海牙さんが自分の手のひらを見た。わたしと同じ感触を思い出しているのかもしれない。海牙さんはつぶやいた。
「一枝の病という例えに従うなら、巻き戻しは、発作のようなものですか。発作の原因は、ツルギがこうむるショック症状」
平井さんが少し笑った。
「順応しようと必死だね、阿里海牙くん。三次元空間における物理学とは違うチカラが作用している。それをどうにか受け入れようとして、頭も心もフル回転だ」
海牙さんは、かたくなな笑みを貼り付けた顔を背けた。その隣で、長江先輩がポケットに手を突っ込んだ。
「つまるところ、今はいろいろ無茶な状況ってわけね。さっさとクリアしなきゃヤバいってことでさ~、次のコマに進めよっか?」
それはわたしにかけられた言葉だった。わたしは長江先輩に顔を向けた。
ツツジとコデマリが白い花をビッシリと咲かせている。夜風はかすかに甘く香る。
外灯の下のベンチに、平井さんがいた。平井さんはわたしたちの姿を認めて、穏やかに微笑んだ。
「こんばんは、安豊寺鈴蘭さん、伊呂波《いろは》煥くん。きみたちも呼び出されたんだね」
「平井さん、こんばんは。平井さんも、長江先輩たちに呼び出された側なんですか?」
ベンチの背後の薄闇が動いた。グレーの詰襟にスリムなスタイル。海牙さんだ。
「ぼくたちが平井さんを呼び出しました。話をしたかったので」
煥先輩が、立ち位置を少し変えた。わたしを海牙さんからかばう位置だ。わたしの隣で、長江先輩が苦笑いした。
「あっきー、殺気立たないでよ。まずは話そうって場面でしょ? ねえ、平井のおっちゃん?」
平井さんは、ジャケットの胸ポケットに差したツツジのつぼみを抜き取って、手のひらに載せた。つぼみは白くほのかに光りながら、ふわりと宙に浮き上がった。
わたしは息を呑んだ。煥先輩が体を硬くするのがわかった。
ベンチに掛けた平井さんは悠然としている。簡素な丸木のベンチが玉座に見えた。
「きみたちの心には多くの疑問が渦巻いている。謎に囲まれていては、不安だろう? すべてを話してあげたいのだが、まだ時が熟していないようだ。きみたちはもう少し、互いを知る必要がある」
平井さんの視線の先にあるのはツツジの花なのに、わたしは、平井さんの目に射抜かれているという錯覚に陥《おちい》った。体が動かない。
煥先輩が半歩、進み出た。
「あんたはどこまで知ってんだ? 全部か?」
「そう、全部だよ。せっかくだから、一つだけ疑問に答えよう。きみたちが抱える疑問はそれぞれ重要だが、伊呂波煥くん、きみが最も強くいだく疑問こそが最もクリティカルだ。きみの疑問を解いてみようか」
平井さんはわたしたちの心を読んでいる。わたしは恥ずかしくなった。この胸にある疑問も不安も、それ以外の感情も全部、みっともなくてみじめだから。
煥先輩が低い声で言った。
「運命を変えたり未来をねじ曲げたりすること。宝珠は、そんなデカい願いさえ叶えるものなのか?」
平井さんはうなずいた。
「結論から言うと、肯定だよ。宝珠の種類にもよるがね。ああ、宝珠には種類があり、ランクがあるのだよ。例えば、四獣珠はランクの高い宝珠だ。陰陽を司る『二極珠』に比べればやや劣るが、『十二支珠』などよりはずっとチカラが強い」
その話は祖母から聞いたことがある。
中国大陸由来の宝珠には、種類とランクがある。
陰陽の二極珠。四聖獣の四獣珠。五行説の五行珠。暦に関わる十干珠と十二支珠。星の巡りに関わる二十八宿珠。
引き合う宝珠の母数が増えるほどにランクが下がって、発現できるチカラが弱くなる。単純計算をすれば、二極珠は大いなるチカラを二分の一ずつ、四獣珠は四分の一ずつ担う格好だ。預かり手の能力も、宝珠のランクに相応した強さが与えられる。
平井さんがゆったりと話を再開した。
「このあたりの話は、『四獣聖珠秘録』のうち『始源』に記録されている。さて、疑問の解決に戻ろうか。宝珠に願いを掛けて未来を変えることは、大きなチカラを必要とする事象だ。当然、差し出す代償も大きくなる。最も価値の高い代償とは何か、わかるかね?」
長江先輩が軽く右手を挙げた。
「命、でしょ?」
「正解だよ、長江理仁くん。きみは何度も目撃してきたのだったね」
一瞬、長江先輩の笑みが歪んだ。
「おれの事情なんか、どーでもいいしね~。疑問の解決とやら、進めちゃいましょうよ」
「では、答えを提示しよう。宝珠に願いを掛けて未来を創り変えることができるか。その命題を可能とする要件は二つだ。宝珠のランクがそれ相応であること。それ相応の代償を差し出すこと。可能なのだよ。だから今こうして、我々は病んだ一枝の上に存在している」
海牙さんが、波打つ髪を掻き上げた。
「例えば、四獣珠のランクなら可能なんですね? いくつもの命を代償にすれば、未来を変えられる。ぼくたちが予知夢のように見た未来のあの場面こそが、宝珠に願いを掛けたシーンなんですね?」
平井さんの手のひらの上で、白いツツジのつぼみが、はらりと花開いた。平井さんはツツジを胸に差した。
「もう一つ付け加えておこう。宝珠は本質的に、命を奪うことを嫌う。四獣珠のそのツルギの姿は、本質的ではない。ツルギとして働くことを悲しんでいる。それを覚えておいてもらいたい」
ポーチの中の青獣珠が、ああ、と嘆いた。わたしは二度、ツルギで人を刺した。その瞬間の青獣珠の悲鳴を、手のひらが覚えている。
ごめんね。イヤだったんだね。
海牙さんが自分の手のひらを見た。わたしと同じ感触を思い出しているのかもしれない。海牙さんはつぶやいた。
「一枝の病という例えに従うなら、巻き戻しは、発作のようなものですか。発作の原因は、ツルギがこうむるショック症状」
平井さんが少し笑った。
「順応しようと必死だね、阿里海牙くん。三次元空間における物理学とは違うチカラが作用している。それをどうにか受け入れようとして、頭も心もフル回転だ」
海牙さんは、かたくなな笑みを貼り付けた顔を背けた。その隣で、長江先輩がポケットに手を突っ込んだ。
「つまるところ、今はいろいろ無茶な状況ってわけね。さっさとクリアしなきゃヤバいってことでさ~、次のコマに進めよっか?」
それはわたしにかけられた言葉だった。わたしは長江先輩に顔を向けた。