襄陽学園はこの町の真ん中あたりにある。
 町には大きな港があって、飛行機の空輸が発達するより前は、すごく栄えていた。今でも、港には大型の貨物船がたくさん停泊している。
 学園よりも港に近いエリアは繁華街。反対側は住宅地で、だんだん上りになってる。
 わたしの家は、住宅地の丘のいちばん上にある。まわりにはお屋敷が並んでいて、我が家もご多分に漏れず、かなりの豪邸だ。
「行ってらっしゃいませ、鈴蘭お嬢さま」
「行ってきます」
 門衛さんに挨拶して、坂道を歩き出す。毎朝のこととはいえ、大袈裟なお見送りにはちょっと疲れてしまう。わたし、たぶん本当はお嬢さまの器なんかじゃないんだ。
 坂を下りたところのコンビニの前に、寧々ちゃんは今朝も先に着いていた。
「おはよう、寧々ちゃん。待たせてごめんね」
 寧々ちゃんはスマホから顔を上げた。
 黒髪のショートカットに、オレンジ色の前髪エクステ。小麦色の肌で目がくりくり大きくて、ニッと笑ったら、やんちゃな印象だ。ミュージカルのピーターパンみたいな感じ。
「おはよ、お嬢! あたしもついさっき来たとこだよ」
 コンビニの自動ドアが開いた。ありがとうございましたーって声。店内から出てきたのは、オレンジ色の髪の男子だ。
「あ、尾張《おわり》くん、おはよう」
「おす、安豊寺、おはよーさん!」
 彼は尾張貴宏《おわり・たかひろ》くん。尾張くんとも中学時代からの付き合いだ。
 尾張くんはコンビニの袋からおにぎりを取り出すと、あっという間に包装を剥がして、ガフッと大口で噛み付いた。
 寧々ちゃんが尾張くんの頭をはたいた。
「朝ごはん、食べてきたんでしょーが。何でそんなにがっついてんの?」
「せいちょうき」
「口ん中モゴモゴしながらしゃべるな!」
「うるへー」
「しゃべるなってば!」
 尾張くんは男子の中では背が低くて、中二くらいまではすごく気にしていた。いつの間にか開き直って、冗談のネタにしているけれど。
 寧々ちゃんはわたしと同じくらいの身長で小柄だから、尾張くんとのバランスは悪くない。仲良くじゃれている様子は微笑ましい。
 二人は幼なじみで、高校も同じ襄陽学園。付き合っているわけじゃないらしいけれど、両想いなのは間違いない。いいなぁ、寧々ちゃん。好きな人とずっと一緒で。
 寧々ちゃんがわたしのそでを引っ張った。
「行こっか。順にぃは、今朝は別行動だし」
 尾張くんのおにいさん、順一先輩。弟とは逆に背の高い人で、けっこうモテる。新しい彼女さんと一緒に登校するのかな?
 わたしと寧々ちゃんが並んで歩く。その後ろを、尾張くん。
 中学時代から、変な組み合わせだって言われてきた。尾張兄弟と寧々ちゃんは「オレンジ頭の不良」なのに、そこに加わるわたしは「お嬢」。
 中学に上がったばかりのころ、わたしは軽いいじめを受けた。お嬢さま気取りとか、さすが優等生とか、聞こえよがしの陰口を言われていた。
 あれはわたしがよくなかったんだ。みんなの鼻に付くことをしていたのに、自覚していなかった。
 クラスで孤立しかけたわたしに、寧々ちゃんは遠慮なく指摘した。
「お嬢、それ普通の中坊は持ってないよ。人に見せないほうがいい。じゃなきゃ、また浮くよ」
 財布の中のカードに、海外ブランドのリップクリームや日焼け止め。セカンドバッグもブランドもの。
 母から与えられたそのままを何の疑問も持たずに使って、それが悪目立ちしていた。どうすればいいのって、わたしはおろおろするばかりで、自分で店に行って選びなよって、寧々ちゃんに呆れられて。
 そんなふうに始まった関係が、もうそろそろ三年になる。
 高校も同じところを選んだといっても、わたしは進学科で、寧々ちゃんと尾張くんは普通科だ。クラスの雰囲気は全然違うみたい。学校まで歩く時間は、情報交換の貴重なチャンスだ。
「ねえ、お嬢。瑪都流《バァトル》って知ってる?」
「バァトル? ううん、知らない」
「襄陽学園が拠点の暴走族なんだ」
「暴走族? 不良グループってこと?」
「ただのグループじゃないんだよ。幹部の人たちはみんなバイクに乗れて、ケンカがめちゃくちゃ強いんだ。隣町にガラの悪い連中がいるでしょ? あいつらとまともに戦えるのは、この町では瑪都流だけなんだよ。カッコいいの!」
「そ、そう。でも、暴走族って……」
「あたしとタカ、瑪都流に入ろうかなって言ってるの。あ、もちろん順にぃも一緒に」
 寧々ちゃんはスマホで瑪都流を検索してみせた。表示された検索結果に、わたしはまた戸惑う。
 瑪都流という、いかめしいグループ名に添えられた肩書は、暴走族ではなかった。
「ロックバンド?」
「そう。幹部の人たちがバンド組んでて、そのバンド名が瑪都流」
「何にしても、寧々ちゃんたち、また不良とか暴走族とかに関わるの?」
「だって、入ってたほうが安全だもん」
 寧々ちゃんたちは少し前まで別のグループに所属していた。ケンカで停学処分になったことがあるし、髪型や服装の乱れは毎日のこと。窃盗やクスリみたいな、本格的な犯罪は何もしなかったみたいだけれど。
 尾張くんが説明した。
「おれらの前のとこ、幹部が警察にパクられてさ。そのまま自然解体。おれら、野良になろうと思ってたんだけど、隣町の連中が調子乗ってんだよ。バラけたメンバー、片っ端から狩られてんの。で、瑪都流に保護してもらえたほうが助かるわけ」
 寧々ちゃんが口を尖らせて息をついた。
「お嬢も気を付けて。あたしらと一緒にいるでしょ? 隣町のやつら、そのこと知ってるかもしれない。あいつらも暴走族を名乗ってて、バイクも使うから機動力があって、狙われたらヤバいよ。学校帰りも一人にならないようにして。巻き込んでごめんね」
 わたしは慌てて手を振った。
「謝らないで。わたしが勝手にくっついてるんだもの」
「お嬢って、見るからにお嬢だから、ほんと気を付けなよ? できれば帰りも一緒に動きたいんだけど、あたし、部活がガチだからねぇ」
 寧々ちゃんはアーチェリー部だ。小さいころからやっていて、腕前は超高校級。何度も全国大会に出ている。
 部活も本気、ケンカも強いし、明るくてサバサバしている。だから、寧々ちゃんは女の子にモテる。
「忠告ありがとう、寧々ちゃん。わたし、自分でも気を付けてみるね。それにしても、襄陽学園って本当にいろんな人がいるんだね。暴走族もいるなんて知らなかった」
 でも、わたしには縁がないかな。