最終下校時刻ギリギリに練習が終わった。すでに日が落ちて、外は暗い。今夜は満月だ。金とも銀ともいえない輝きが空に懸かっている。
 帰り支度を終えた小夜子が、軽音部室の真ん中で、凛とした声をあげた。
「家のそばまで送ってください」
 文徳《ふみのり》先輩が動きを止めて、小夜子を見た。小夜子は繰り返した。
【家のそばまで送ってもらいたいんです。煥さんにお願いします】
 文徳先輩は突然、めまいに襲われたようにふらついて、煥《あきら》先輩が慌てて支えた。文徳先輩はすぐに体勢を立て直して、煥先輩に告げた。
「鈴蘭さんと小夜子さんを送っていけ」
「兄貴は?」
「おれは予定どおり、楽器店に寄ってから帰る。ギターの弦のストックが切れた」
 亜美先輩も文徳先輩と一緒に楽器店に行くらしい。煥先輩が何ともいえない表情で無言の訴えを牛富先輩と雄先輩に送って、二人もこっちに来てくれることになった。
 文徳先輩と亜美先輩が並んで歩いていく。
 牛富先輩が苦笑いでつぶやいた。
「ひでぇやつだな、文徳は。いつも見せ付けやがって」
 わたしは大柄な牛富先輩を見上げた。いかつい体型だけれど、いつもニコニコしているから雰囲気が柔らかくて、つぶらな目はとても優しい。
「牛富先輩、彼女さんいるんですよね?」
「いるんだけど、大っぴらに会えない。緋炎《ひえん》に目を付けられたら危険だからな」
「雄先輩も同じ事情だって聞きました」
「そう、あいつも同じ。鈴蘭ちゃんも巻き込まれた側だから、おれらの気苦労や心配も肌で感じてるよな」
 小夜子のことが気になった。今、瑪都流《バァトル》と行動している小夜子も、どこかで目を付けられてしまうんじゃない?
「牛富先輩、暴走族の抗争に関係のない生徒と一緒に下校することって、普段ありますか?」
「ないよ。自分の身を自分で守れるくらいのやつじゃなきゃ、特別に親しく接したりはしない」
「じゃあ、小夜子はどうして?」
「おかしいよな。おれもたった今、何で彼女まで一緒に帰ってるのか、急に疑問が起こったんだ。女子ひとりで夜道を下校するのが少々危険だとしても、おれたちと一緒にいるほうが確実に危険だ。文徳がこんな初歩的な判断ミスをするなんて、どうしたんだろう?」
「疲れてたんでしょうか? お忙しそうですもんね」
 文徳先輩を気遣う言葉を吐きながら、わたしの胸は急激に冷たくなった。
 今はわたしだけが瑪都流の特別な存在だ。煥先輩に護衛されている。でも、もしも小夜子がわたしと同じ立場になったら?
 小夜子は正直だ。まっすぐに煥先輩に好意を示している。煥先輩は戸惑っているけど、もしかしたら、いずれ小夜子を受け入れるかもしれない。
 そうしたら、わたしの居場所は? わたしは誰に守ってもらえばいいの?
 わたしの視線の先で、小夜子はカチカチに緊張しながら煥先輩に話しかけている。ちょっと離れて歩く二人の後ろ姿は、ずるいくらいに絵になる。
 小夜子の家は嫦娥《じょうが》公園のそばらしい。玉宮駅の北口広場で、小夜子と別れた。
「今日は本当に、ありがとうございました! 練習を見学させていただいて、ここまで送っていただいて、もう、感無量です! 次のライヴも絶対に聴きに行きますね! お疲れさまでした!」
 小夜子はピョンと頭を下げて、わたしにチョコンと手を振って、煥先輩に微笑みかけて、嫦娥公園のほうへ帰っていった。
 雄先輩が、煥先輩に訊いた。
「あの子と付き合うの? すごい勢いで惚れられてるじゃん」
 煥先輩は眉間にしわを寄せた。
「興味ねぇよ」