そのとき突然。
「おい、兄貴! 何で勝手にそのファイル見せてんだよ!」
煥先輩が乱入して、素早くファイルを奪い取った。
小夜子がフラッとよろめいたから、わたしは慌てて抱き留めた。煥先輩が近すぎて窒息しかけたみたい。さらにはお願い、これくらいで気絶しないで。
文徳先輩が煥先輩をつかまえた。
「詞を読んでもらってるんだよ。おまえの詞も瑪都流の売りなんだから」
「音源になってるか印刷されてるか、そのどっちかだったら別にいい。でも、字を見られるのはイヤだ」
「直筆のほうが伝わるものもあると思うぞ?」
「だからイヤなんだよ!」
煥先輩はファイルを離そうとしない。文徳先輩はガシッと煥先輩を羽交い締めにして、いたずらっ子の表情で笑った。
「おまえ、細いな。さすがにこの体勢だと、おれのほうが優勢だろ。純粋な腕力だけなら、おれのほうが強いしな」
「離せ!」
「直筆の詞を読んでもらうくらい、いいだろ? たまにはファンサービスしろよ」
「ふざけんなって!」
「おーい、牛富、雄。ちょっと手伝え」
「手伝うって……おいこら、くすぐるな!」
カッコいいロックバンドのはずが、男子四人、ぎゃーぎゃー騒いで暴れ出す。運動神経ばつぐんの煥先輩も、ケンカ慣れした三人から寄ってたかってくすぐられると、どうしようもないらしい。
すかさず歌詞のファイルを奪い取ってきた亜美先輩が、わたしたちのそばで肩をすくめた。
「しょっちゅう、あんな調子。まるで小学生でしょ?」
「煥先輩、大丈夫なんですか? 本気で嫌がってません?」
「気にしなくていいよ。煥は文徳以外の人間に触れられるのを極端に嫌うけど、たまには、あれくらいのショック療法も必要でしょ」
ショック療法という言葉が痛々しい。親しい幼なじみの雄先輩や牛富先輩でさえ、煥先輩は自分から接触しようとしないんだ。
わたしと同じことを思ったみたいで、小夜子は眉を曇らせた。
「煥さんって、壊れやすそうです」
亜美先輩は遠い目をした。
「壊れかけてたことがあるんだよ。小学生のころ、家庭の事情が難しくなって」
家庭の事情って、ご両親が亡くなったことだろう。
「煥先輩、寂しかったんでしょうか」
「寂しがってた。心のバランスが崩れて、自分のチカラを調整できなくて、友達にケガをさせちゃったんだ。しかも、あの髪と目の色でしょ? 悪魔って呼ばれて嫌われて、あいつはそれ以来、笑わなくなった。人に触れられるのもダメ。集団生活も無理」
「悪魔? 今でも煥先輩がそう呼ばれることがあるのって、そのころからのあだ名なんですか?」
「たぶんね。由来を知ってる人は、ほとんどいない。カッコいい称号だなんて言われてるけど、煥は微塵もそう思ってないだろうね。本来の煥は、ああじゃなかった。百八十度、変わっちゃったんだ」
瑪都流が瑪都流である理由がわかった気がした。煥先輩の書く詞がヒリヒリ痛い理由も、文徳先輩と煥先輩の結び付きが強い理由も。
大切なんだ。守りたいんだ。そのために強くあろうと、それぞれが思っているんだ。
亜美先輩が大きく伸びをした。
「さーって。そろそろ練習再開しようかな。歌詞は読んでていいからね」
「はい」
「こらこら、あんたたち! ふざけるのも、ほどほどにしなよ? まったく、十年前と、やってること変わらないよね」
亜美先輩は牛富先輩と雄先輩の背中を叩いて、文徳先輩の脇腹を突いた。煥先輩が文徳先輩の拘束から、やっと逃げ出す。
小夜子が真っ赤な頬を手のひらで覆った。
「どうしよう、鈴蘭。わたし、泣きそう。煥さんがカッコよくて切なくてかわいくて。胸がドキドキしすぎて、困る」
わかるよ。と、わたしは言おうとした。
言えなかった。
わたしが煥先輩に惹かれてしまっては、いけない。
「おい、兄貴! 何で勝手にそのファイル見せてんだよ!」
煥先輩が乱入して、素早くファイルを奪い取った。
小夜子がフラッとよろめいたから、わたしは慌てて抱き留めた。煥先輩が近すぎて窒息しかけたみたい。さらにはお願い、これくらいで気絶しないで。
文徳先輩が煥先輩をつかまえた。
「詞を読んでもらってるんだよ。おまえの詞も瑪都流の売りなんだから」
「音源になってるか印刷されてるか、そのどっちかだったら別にいい。でも、字を見られるのはイヤだ」
「直筆のほうが伝わるものもあると思うぞ?」
「だからイヤなんだよ!」
煥先輩はファイルを離そうとしない。文徳先輩はガシッと煥先輩を羽交い締めにして、いたずらっ子の表情で笑った。
「おまえ、細いな。さすがにこの体勢だと、おれのほうが優勢だろ。純粋な腕力だけなら、おれのほうが強いしな」
「離せ!」
「直筆の詞を読んでもらうくらい、いいだろ? たまにはファンサービスしろよ」
「ふざけんなって!」
「おーい、牛富、雄。ちょっと手伝え」
「手伝うって……おいこら、くすぐるな!」
カッコいいロックバンドのはずが、男子四人、ぎゃーぎゃー騒いで暴れ出す。運動神経ばつぐんの煥先輩も、ケンカ慣れした三人から寄ってたかってくすぐられると、どうしようもないらしい。
すかさず歌詞のファイルを奪い取ってきた亜美先輩が、わたしたちのそばで肩をすくめた。
「しょっちゅう、あんな調子。まるで小学生でしょ?」
「煥先輩、大丈夫なんですか? 本気で嫌がってません?」
「気にしなくていいよ。煥は文徳以外の人間に触れられるのを極端に嫌うけど、たまには、あれくらいのショック療法も必要でしょ」
ショック療法という言葉が痛々しい。親しい幼なじみの雄先輩や牛富先輩でさえ、煥先輩は自分から接触しようとしないんだ。
わたしと同じことを思ったみたいで、小夜子は眉を曇らせた。
「煥さんって、壊れやすそうです」
亜美先輩は遠い目をした。
「壊れかけてたことがあるんだよ。小学生のころ、家庭の事情が難しくなって」
家庭の事情って、ご両親が亡くなったことだろう。
「煥先輩、寂しかったんでしょうか」
「寂しがってた。心のバランスが崩れて、自分のチカラを調整できなくて、友達にケガをさせちゃったんだ。しかも、あの髪と目の色でしょ? 悪魔って呼ばれて嫌われて、あいつはそれ以来、笑わなくなった。人に触れられるのもダメ。集団生活も無理」
「悪魔? 今でも煥先輩がそう呼ばれることがあるのって、そのころからのあだ名なんですか?」
「たぶんね。由来を知ってる人は、ほとんどいない。カッコいい称号だなんて言われてるけど、煥は微塵もそう思ってないだろうね。本来の煥は、ああじゃなかった。百八十度、変わっちゃったんだ」
瑪都流が瑪都流である理由がわかった気がした。煥先輩の書く詞がヒリヒリ痛い理由も、文徳先輩と煥先輩の結び付きが強い理由も。
大切なんだ。守りたいんだ。そのために強くあろうと、それぞれが思っているんだ。
亜美先輩が大きく伸びをした。
「さーって。そろそろ練習再開しようかな。歌詞は読んでていいからね」
「はい」
「こらこら、あんたたち! ふざけるのも、ほどほどにしなよ? まったく、十年前と、やってること変わらないよね」
亜美先輩は牛富先輩と雄先輩の背中を叩いて、文徳先輩の脇腹を突いた。煥先輩が文徳先輩の拘束から、やっと逃げ出す。
小夜子が真っ赤な頬を手のひらで覆った。
「どうしよう、鈴蘭。わたし、泣きそう。煥さんがカッコよくて切なくてかわいくて。胸がドキドキしすぎて、困る」
わかるよ。と、わたしは言おうとした。
言えなかった。
わたしが煥先輩に惹かれてしまっては、いけない。