海牙さんの声が耳に届いた。
「なるほどね。巻き戻しのきっかけはそれですか。新情報をありがとう。『秘録』には書かれていなかった事象です」
 長江先輩がうなずく気配があった。
「混乱したよね~。いきなり時間が巻き戻るんだもん。スマホやらメールその他やらで時刻確認して、海ちゃんと平井のおっちゃんにも確認して。んで? 能力者だけが巻き戻しを実感してんだよね? 巻き戻るきっかけはツルギで刺すこと? いやぁ、意味不明」
 煥先輩が舌打ちする。
「巻き戻しの理由、あんたらにもわかんねぇのか」
「わかりませんね。わかっているのは役割ですよ。ツルギと、ツルギの預かり手の役割。それは『秘録』に書かれていましたから」
 役割という言葉は、青獣珠にも告げられた。
 ――役割を果たせ、預かり手よ――
 わたしは顔を上げた。
「役割って、何なんですか?」
 長江先輩と海牙さんが目配せをする。長江先輩がうなずいて、口を開いた。
「禁忌を犯した預かり手を排除すること」
「禁忌?」
「預かり手は、宝珠を守るためにチカラを持つ。守って預かるだけが、基本的な役割じゃん? だからね、使っちゃいけないんだよね。自分が預かってる宝珠に願いを掛けちゃいけないの。それやった時点でアウト。ほかの預かり手が責任持って、違反者を排除する」
 ポーチの中で、青獣珠がドクリと脈打った。
 ――正しい言葉に、ようやく巡り会えた――
「排除って……そのために、四獣珠が、ツルギに……」
 禁忌を犯した誰かを刺す。それが、正しい役割。
 だとしたら、わたしは、関係のない人を刺してしまった。ただ自分のためだけに。路地で襲われそうになった。あのときは仕方なかったかもしれない。青獣珠の声も聞こえた。致し方ないって。
 でも、亜美先輩のときは。
 煥先輩の視線が痛い。気付いたら、わたしは口走っていた。
「ち、違います、わたしは必死で……だって、そうすることが正しいと、勘違いしてて……」
 なんてずるいんだろう、わたし。
 言い募りながら、もしかして、と頭にひらめいた。
 どうしようもない衝動に共鳴して、わたしが亜美先輩を刺したのは、勘違いじゃなくて必然だった? 禁忌の願いを掛けた預かり手というのは、もしかして。
 海牙さんが音もなく動いた。左手に黒いツルギの柄がある。
「預かり手が役割を果たせば、四獣珠はもとに戻るそうです。論理的に考えて、役割達成後には時間の巻き戻しも起こらなくなるでしょう。では、誰が、排除されるべき違反者なのか。一つずつ、可能性を検証していくしかありませんね」
 海牙さんが長江先輩のブレザーに触れた。次の瞬間、海牙さんの右手に、朱いツルギの柄がある。凄まじい早業で、すり取ったんだ。
 イヤな予感がした。
「け、検証って何をするんですか?」
 海牙さんはわたしに答えずに目を閉じて、つぶやいた。
「玄獣珠、朱獣珠、応えてください」
 柄頭の珠が輝いた。海牙さんの左右の手にある柄から、黒い刃と朱い刃がキラリと生えた。海牙さんはまぶたを開いて、両手の短剣を神妙な目で見下ろした。
「情報解析不能。人間が理論構築し得る物理学を完全に超越しているから、ぼくの目には、自分が今どんな代物を手にしているのか、少しも理解することができない。四獣珠のチカラは、やはり人間が扱っていいものではないんですよ」
「あの、海牙さん?」
 海牙さんはニッコリして、わたしたちを見回した。
「誰が違反者なのか、候補を潰していきましょう。正解なら、そこで役割が達成されます。正解でなくても、幸い、時間が巻き戻るんです。誰も死にません」
 理屈は通っている。でも。だけど。
 長江先輩が笑みを引きつらせた。
「ちょっと、あの、海ちゃん? 何でおれのほう向いたのかな?」
「ぼくがやるから、痛くありませんよ。心臓の位置も筋肉の構造も、全部スキャンできてます」
「待て待て待て、怖いって!」
「リヒちゃんは願いを掛けてないでしょう?」
「断じて、掛けてない!」
「じゃあ、死にませんよ」
「いやあのその笑顔やめようよ!」
「やめましょうか」
 海牙さんが笑みを消した。ゾッとするほど整った横顔に、空気が凍る。
 長江先輩が、だらりと腕を垂らした。
「海ちゃんのそんな顔、初めて見たよ。付き合いが長いとは言えねぇけどさ」
「笑うなと言ったのはきみでしょう? ぼくだって、恐怖くらい感じますよ」
 一瞬の出来事だった。
 黒い刃が長江先輩の左胸に突き刺さった。同時に、朱い刃が海牙さんののどを掻き切った。海牙さんが二人を手に掛けて、玄獣珠と朱獣珠が悲鳴をあげる。
 チカラが働く。屋上の風景も、わたしという存在も、吹き飛ばされる。
 巻き戻しが起こる。


座標
D(学園屋上,4月17日13:14,阿里海牙・長江理仁)

C(嫦娥公園裏,4月16日21:21,鹿山亜美)