北口広場に戻ったら、知らない人が瑪都流の輪に加わっていた。
「文徳~! やっぱいいねぇ、瑪都流のロックは!」
 陽気な感じの男の人が文徳先輩の肩を叩いた。襄陽学園の制服を着ている。明るい色の髪、文徳先輩と同じくらいの長身。
 カッコいいなって、とっさに思った。垂れ気味の目が甘い雰囲気で、瞳の色はスカーレット。
 文徳先輩がその人を紹介してくれた。
「こいつは長江理仁《ながえ・りひと》。一年のとき、同じクラスだったんだ。去年はフランスに高飛びしてたんだが」
「高飛びなんて人聞きが悪いな~。留学と言ってよ、留学! ま、このたび、わけあって帰ってまいりましてね。それにしても、きみ! すっげぇ美少女じゃん! え~っ、もしかして、あっきーの彼女?」
 煥先輩がこぶしを固めた。
「誰があっきーだ」
「きみ」
「ふざけんな!」
「はいはい、どうどう。そんな突っ張っちゃって、かわいいねぇ。素顔はチェリーなピュアボーイなのに」
「この……っ!」
「おっや~? カマ掛けただけなんだけど、マジでリアルに清廉潔白な純情童貞だったりする?」
 煥先輩が言葉に詰まる。銀髪からのぞく耳が赤い。
 長江先輩がわたしに向き直った。いつの間にか手を取られている。
「というわけで。あっきーのお手付きじゃないみたいだし、一回、おれとデートしない?」
「はい?」
「おれ、かわいい子、大好きだからさ~。ねえ、名前は?」
「えっ、あ、あの」
 こういうノリの軽い人は苦手だ。かわいい子? 何それ、意味がわからない。名前、教えたくない。呼ばれたくない。
【なぁんてね。とっくに知ってるよ、きみの名前】
 それは突然で、聞き間違いかと思った。
「は、はい……?」
【安豊寺鈴蘭ちゃん。襄陽学園高校、進学科の一年生。将来の目標はスクールカウンセラー】
 聞き間違いじゃない。確かに聞こえた。
 違う。「聞く」ではないかもしれない。
 その声の主は長江先輩で、長江先輩の声は、耳から入ってこなかった。頭の中に直接、響く声だった。
「テ、テレパシー?」
 握られたままの両手が汗ばんでくる。
【声の「波長」をいろいろ調整できんだよね。これ、内緒話モード。いちばん得意なのは、マインドコントロール系ね。「号令《コマンド》」って名付けてるチカラだよ。ま、おしゃべり全般が守備範囲ってとこかな~】
 長江先輩の両目に朱い光が宿っている。笑顔なのが逆に怖い。
「やだな~、鈴蘭ちゃん。そんなにじーっと見つめられたら照れるって。おれ、『朱雀《すざく》』の名前のとおり赤くなっちゃうよ」
 朱雀。四獣珠のチカラの源、四聖獣の一種。
 じゃあ、この人も預かり手?
【積もる話はたくさんあるんだけど、今夜はちょっと遅いからね~。明日の昼休み、空いてる? っつーか、空けてくれる?】
「ひ、昼休みですか?」
 突然、煥先輩が割って入って、わたしの手を長江先輩から引き離した。
「兄貴からあんたの話は聞いてる。朱獣珠《しゅじゅうしゅ》の預かり手なんだろ?」
「おっ、さすがヴォーカリスト! 滑舌いいじゃん。朱獣珠、噛まずに言うとは」
「この程度で噛むかよ」
 長江先輩は口を閉ざしたまま、頭に直接響く声で言った。
【明日の昼休み、襄陽学園の屋上においで。おれら、ちょっと情報持ってるからさ】
 おれら、という複数形の理由を、長江先輩は肩越しに親指でさし示した。二人の男の人がいる。一人は高校生、もう一人は大人。
 高校生のほうは、隣の町の男子校、大都《だいと》高校のグレーの詰襟を着ている。スラリと細身で背が高い。この人もカッコいい。波打つ髪に、彫りの深い顔立ち。微笑んだ目は緑がかっている。
 もう一人、大人の男性がまた存在感がある。父と同じくらいの年齢に見える。上等そうなスーツ、整えられた髪。渋いカッコよさが全身からあふれる紳士だ。
 紳士が微笑んだ。目尻にカラスの足跡形のしわができる。
 口を開いたのは、大都高生だった。
「初めまして。ぼくは阿里海牙《あさと・かいが》。海牙でけっこうですよ。大都高校三年、趣味と特技は物理学です。以後、お見知りおきを。明日の昼休み、襄陽にお邪魔せてもらいますね」
 飄々《ひょうひょう》と微笑む表情がどこか不気味だ。考えていることが読めない。
 長江先輩がニマニマ笑った。
「鈴蘭ちゃんって、人見知りするの? それとも、イケメンばっかで驚いた?」
「いえ、そういうわけじゃなくて……」
 人見知りはしない。三人ともカッコいいとは思うけれど、そういう問題じゃない。警戒してしまう。だって、能力者なんでしょう?
 海牙さんが、波打つ髪を掻き上げた。
「いきなり信用しろとは言いませんよ。でもね、鈴蘭さんも煥くんも知りたいでしょう? 四獣珠が突然ツルギに形を変えた理由」
 海牙さんがポケットから取り出したのは、黒々とした金属だった。手のひらに馴染むサイズの短剣の柄だ。柄頭に黒い宝珠が嵌まっている。
「海ちゃんのは玄武の石、玄獣珠《げんじゅうしゅ》。おれのはこれね」
 長江先輩はブレザーの内側に手を突っ込んだ。内ポケットから朱い金属を取り出す。柄頭にきらめくのが朱獣珠だ。
 海牙さんがポケットに玄獣珠を戻した。
「さて、ぼくはそろそろ帰りますよ。進学校は課題が多くてね」
 文徳先輩が少し遠慮がちに、話に入ってきた。
「阿里海牙くんって、全国模試の順位、一桁だよな? 名前、聞いたことある」
「ええ、そうですよ。でも、伊呂波文徳くんのほうが有名でしょう? 生徒会長にして、暴走族の総長で、バンドマスターでもある。ライヴ、聴かせてもらいましたよ。いいリフレッシュになりました」
 海牙さんはヒラリと手を振って、名乗らなかった紳士と一緒に、駅へと歩いていく。
 長江先輩がツルギをブレザーの内側に収めた。空いた両手がわたしのほうへ伸びてくるから、わたしは思わず後ずさった。
「そんな逃げなくても」
「普通は逃げます」
「照れちゃって」
「照れてません」
 煥先輩が黙って間に立ちはだかった。
 長江先輩は、かすれた口笛を吹いた。
「ひゅ~、カッコいいじゃん。その眼光、銀髪の悪魔って呼ばれるだけあるね」
「黙れ」
「クールだねぇ。だからモテるんだな~。公園のとこにもファンがいたよ。すっごい美少女」
 その子なら、わたしも見かけた。長い黒髪のキレイな子だった。
 煥先輩は吐き捨てた。
「興味ねぇよ」
「はいそれ嘘! 健康な高二男子が女の子に興味ないはずない! それとも男のほうが好き?」
「違う」
「じゃ、やっぱ、かわいい子がいたら……」
「いい加減にしろ」
 煥先輩がこぶしを固めた。長江先輩は文徳先輩の後ろに隠れた。文徳先輩がニヤニヤしている。
「煥は、髪が長い子が好きだろ?」
「ちょっ、兄貴!」
「色白で、もちっとした感じの」
「う……」
「目がパチッとした、小柄な子」
「な、何言ってんだよ!」
「パソコンの検索履歴」
「け、消したはずだ!」
 文徳先輩が噴き出した。
「引っ掛かったな。カマ掛けただけなんだけど。おい、理仁。煥の好みのタイプ、自供が取れたぜ」
 煥先輩が頭を抱えてしゃがみ込んだ。耳が赤い。
 場違いかもしれないんだけれど、わたしは胸がキュンッとした。もふもふの子犬を見たときみたいな気分。しゃがみ込んだ煥先輩、かわいい。
 サラサラな銀髪に触れてみたいと、急に思った。頭、撫でてみたい。長江先輩も同じことを思ったみたいだ。
「なんてキュートなんだ、あっきー! これは反則だよ~」
 長江先輩は煥先輩の頭を撫でようとして、パシッと鋭くて痛そうな音をたてて、手を振り払われた。
 煥先輩はジロッと周囲をにらんで、北口広場の隅のベンチへ逃げて行った。