翌朝、煥先輩は門衛さんたちの前で名乗った。
「青龍の護衛を引き受けることになった。オレは白虎だ。白虎の伊呂波《いろは》だ」
 門衛さんたちを納得させて、わたしのカバンを奪うように持って、煥先輩は歩き出す。
「来ないんじゃないかと思ってました」
「兄貴に『行け』と命令されたんだ」
「あの、文徳先輩はどこまで知ってるんですか?」
「オレが兄貴の結婚式の夢を見たこと。そこで何人も死んだこと。ただの夢じゃないかもしれないこと。白獣珠が形を変えたこと。時間の巻き戻しが二回、起こったこと。結婚式を含めたら、三回かもしれないこと」
 淡々とした口ぶりで、要点が整理されている。煥先輩はきっと、優等生と呼ばれるわたしなんかより、ずっと頭がいい。わたしは混乱するばかりで、少しも眠れなかった。
「わたしがライヴの後にしたこと、文徳先輩には言ってないんですか?」
「言えるわけねぇだろ。あの夢の話をするのでさえ、イヤだった。兄貴は平然としてみせてたけど」
「……ごめんなさい」
 煥先輩は、舌打ちしそうに口元を歪めた。奥歯を噛み締めたのがわかる。
「あんなこと、二度とするな。亜美さんを刺しても、何も変わらねえ。白獣珠はツルギのままだし、時間は巻き戻る」
「刺すことが巻き戻しのきっかけですよね?」
「そうだろうな」
「でも、どうして急に四獣珠が目覚めたんでしょう?」
「知らねえ。オレは親から何も聞かなかった。伊呂波の屋敷も燃えちまった。白獣珠やほかの四獣珠について、調べようにも手段がねぇんだ」
 文徳先輩と煥先輩は天涯孤独だって、亜美先輩から聞いた。違う、今夜聞くんだ。
 四獣珠の預かり手は、それぞれの家の一世代に一人きりだ。その一人がチカラを授かる。安豊寺家の先代の能力者はわたしの母だった。その前はおばあちゃん。娘を産むと、その瞬間にチカラを娘に引き継ぐのが、ここ数代にわたって続いているらしい。
「うちも資料は残ってないんです。曾祖母のころに地震で家が壊れて」
「四獣珠の残り二人が何か知ってるだろ。そのうち集結するんじゃねぇのか?」
「どうしてそう思うんですか?」
「直感」
 煥先輩はそれきり黙ってしまった。
 寧々ちゃんたちと合流して、普段よりもにぎやかに登校して、一度受けた授業をまた受けて、放課後に寧々ちゃんたちと集合して、玉宮駅の北口広場に行く。
 やっぱり何もかも同じだ。
 寧々ちゃんのはしゃいだ言葉。ライヴ開始直前の瑪都流の様子。嫦娥《じょうが》公園からこっちをうかがう女の子。駅から出てくる瑪都流ファン。
 煥先輩、調子はどうなんだろう? 朝は怒っていた。今は歌える状態?
 文徳先輩がマイクに声を通した。
「煥、そろそろ出てこい。ライヴ、始めるぞ」
 歓声と拍手が起こった。煥先輩が隅のベンチを立って、歩いてくる。前髪の下の表情が見えない。
 音楽が始まる。どんな曲なのか、もう知っているのに、わたしは音に引き込まれる。
 無関心な雑踏に、突き刺さる瑪都流の音色。雑踏が、息をひそめるほどに耳を澄ます。明るさと棘と切なさと闇を秘めた旋律。ギターの叫び、ベースの鼓動、ドラムの律動、キーボードのきらめき。
 煥先輩の声。ほどけない夜の葛藤を、そのままに歌う姿。最初に聴いたときよりも、わたしは射抜かれる。
 繊細さと純粋さが痛々しく込められた歌詞こそが煥先輩の本当の心なら、わたしはこんなに澄んだ人を無残に傷付け続けているんだ。許してくださいなんて、虫のいいことばかりを思ってしまう。苦しくて仕方ない。
 ライヴは進んでいく。
 文徳先輩のMC。一度聞いた話。わたしは亜美先輩の表情をうかがった。しゃべる文徳先輩を見つめては、しょうがないなって肩をすくめる。またバカなこと言ってるよって顔をしかめる。一つひとつの表情に、仕草に、文徳先輩への信頼と愛情があふれている。
 気付いたら、両目から涙が転げ落ちていた。