亜美先輩はベースを雄先輩たちに預けて、小さなリュックサックを背負った。わたしもカバンを置いて、青獣珠のポーチに財布とケータイを入れて持っていく。
 このあたりに、コンビニは二ヶ所ある。駅の南口と、嫦娥《じょうが》公園の裏側。わたしと亜美先輩は、公園裏のコンビニへ向かった。
「鈴蘭、帰りの時間は大丈夫?」
「家に連絡したから、一応は大丈夫です。何か言われそうですけど。遅くなるなら迎えの車を出す、とか」
 何気なく言ってしまってから、慌てて口を閉ざした。迎えの車なんて言い方、いかにも御嬢さまだ。きっと印象がよくない。
 亜美先輩は気に留めなかった。
「親御さんには心配かけちゃうよね。文徳と煥の家も、昔はそんなんだったな。遅くまで遊んでると、メイドさんが迎えに来るの」
「文徳先輩たちの家も?」
「四獣珠の家系って、そうなんじゃないの? 昔からの名家というか。あたしは伊呂波《いろは》家しか知らないけど」
「わたしも自分の家しか知りません」
 四獣珠は、人の願いを叶える奇跡の存在だ。世間に大っぴらにすることは望ましくない。人はチカラを求めて争う生き物だ。四獣珠の預かり手がお互いを知らないのも、チカラを一ヶ所に集めてはならないからだという。
 けれど、わたしは白虎の伊呂波と知り合ってしまった。これはただの偶然なのか。あるいは、何かの異変が起こる前触れなのか。
 怖いことなんか考えたくないのに、わたしの脳裏には、時間が巻き戻ったときの混乱がありありと思い出された。この手で人を差した、壮絶な感触も。
「鈴蘭? どうかした?」
「あっ、な、何でもないです。あの、亜美先輩のおうちは、昔から伊呂波家とつながりが深かったんですよね?」
「うちの鹿山《かやま》家は、昔は伊呂波家の家臣だったんだってさ。牛富のとこも雄のとこも同じく、伊呂波の下っ端。伊呂波は武家の統領の血筋で、近隣一帯にすごい影響力があったんだよ」
「そうなんですね。わたし、地域の歴史とか勢力関係とか、全然知らなくて」
「普通はそんなもんじゃない? 特に伊呂波家はもう……」
 亜美先輩は言葉を切った。
「どうしたんですか?」
「あのね、文徳と煥、今は二人だけなんだ。あたしたちが小学生のころ、ご両親が亡くなった。しばらくは親戚に育てられてて、文徳が高校に上がる年に親戚の家を出て、兄弟二人でこの近くのマンションに住んでる」
 驚いた。文徳先輩たちにそんな悲しい家庭事情があるなんて。
 わたしは思わず立ち止まってしまった。亜美先輩も足を止めて、わたしの頭を撫でた。
「ごめんごめん。そんな顔しないでよ。でもさ、こういう事情だから、あいつら危なっかしいんだよ。煥はいつものことだけど、文徳も意外とキレやすいし。ほっとくと、ろくな食事しないし。ねえ、鈴蘭。料理は得意?」
 わたしはかぶりを振った。
「料理は、ほとんどしたことなくて」
「じゃあ、教えてあげるよ。今度、一緒にあいつらの部屋に行こう。栄養のあるもの、作ってやろうよ」
 胸がズキッとした。
 亜美先輩は文徳先輩の幼なじみだ。文徳先輩のことをたくさん知っている。もしかして、と勘が働いた。イヤな予感がした。
 もしかして、文徳先輩と亜美先輩って。
 わたしの口が勝手に動く。直接確かめるのが怖くて、卑怯な動き方をする。
「あのっ、煥先輩は彼女いないんですか? わ、わたしのクラスの子が煥先輩のファンなんです。クールでカッコいいって」
 亜美先輩が快活に笑う。
「いないよ。あいつに彼女ができると思う? 基本的に人を寄せ付けないし。女の子が相手だと、特にそう。あいつはたぶん、恋愛って感情をまだ知らないよ」
 その言い方は、亜美先輩は恋愛感情を知っている。
 相手は誰?
「バンドとしての瑪都流って、女の子のファンも多いですよね?」
「そうだね。でも、接触はご法度。あたしたち、暴走族なんて呼ばれてるから、特定の誰かと親しくなりすぎると、その相手が危険なんだよね。鈴蘭は身をもってそれを体験したんだっけ。牛富も雄もかわいそうだよ。彼女は近くに住んでるのに、遠距離状態」
 そう言いながら、亜美先輩はリュックサックを下ろした。棒状の何かを取り出す。
「それ、何ですか?」
「伸縮式の警棒」
 亜美先輩の笑顔の奥に緊張感が見えた。
 コンビニの狭い駐車場に、二台の真っ赤なバイクがある。車のためのスペースに、堂々と一台ずつ。そのバイクに寄りかかって、赤い特攻服が二人、タバコを吸っている。
 二人がニヤッとして、タバコをくわえたまま近寄ってくる。
 亜美先輩がわたしを背中にかばった。
「あいつら、緋炎だ。隣町のクズ連中ね。あたしたちのメンバーが集まるライヴのときは、さすがに姿を見せないと思ってたんだけどね」
 亜美先輩が一振りすると、シュッと音をたてて警棒が伸びた。
 緋炎の二人が、だみ声をあげた。
「こんなところでお会いするとはねぇ」
「散歩っすかぁ?」
 髪に剃り込みがある人がポキポキと両手の指を鳴らした。赤いロングヘアは、背中に隠していた手を体の前に回した。鉄の棒が二本。
 赤いロングヘアは、鉄の棒の一本を剃り込みに渡した。二人は野球のバットを扱うような仕草で、鉄の棒で素振りをしてみせる。
「あ、亜美先輩……」
「大丈夫。あいつら、たいしたことないから」
 亜美先輩の言葉に、緋炎の二人が爆笑した。
「すっげ! めっちゃ自信あるじゃん!」
「さすがっすね! 瑪都流の総長の嫁は、一味違うわ!」
 恐怖が吹き飛んだ。ガン、と頭を殴られたようなショックだった。
 瑪都流の総長の嫁? それは亜美先輩のこと? 文徳先輩の彼女ってこと?
 亜美先輩が体勢を沈める。
「その馬鹿笑い、命取りだよ。文徳たちに聞こえてんじゃない?」
 剣道の構えを取ったのは一瞬だった。すかさず、亜美先輩は地面を蹴って飛び出す。
 剃り込みが鉄の棒を振りかぶる。警棒の切っ先がその肘を打つ。鉄の棒が落ちる。亜美先輩の長い脚が、剃り込みを蹴り飛ばす。
 赤いロングヘアが真横から亜美先輩に打ちかかる。亜美先輩はかわす。赤いロングヘアのがら空きの背中に、警棒の一打。倒れた赤いロングヘアの腰を、亜美先輩は踏み付ける。
「口ほどにもない」
 亜美先輩はつぶやいて、二人の両肘を、順に警棒で打ち据えた。絶叫しながらのたうつ二人は、あごを蹴られて沈黙した。