「行ってらっしゃいませ、鈴蘭お嬢さま」
「行ってきます」
 門衛さん二人に挨拶をして、門を出た。その途端、足が止まる。
「えっ、あ、煥《あきら》先輩?」
 どこからともなく煥先輩が現れた。門衛さんたちの間に緊張が走る。煥先輩は、そっぽを向いたまま一言。
「迎えに来た」
 門衛さんたちが殺気立った。
 うわ、最悪。安豊寺家は男女交際に厳しいのです。よりにもよって、見るからに不良少年の煥先輩が「迎えに来た」だなんて。
 わたしは声をひそめて門衛さんたちに説明した。
「あの人は生徒会長の弟さんなの。最近少し物騒だから、パトロール的な感じで」
「お嬢さまの交際相手ではないのですね?」
「違う違う、全然違うから」
「しかし、お嬢さま。物騒というお言葉、聞き捨てなりません。私どもがお送りしたほうがよろしいのでは?」
「それはダメ!」
 思わず声が高くなってしまった。シュンとする門衛さんたちは父と同じくらいの年齢で、昔からわたしをかわいがってくれている。わたしも彼らを好きなんだけれど、過保護なのは困る。
 プロのボディガード付きで登下校だなんて、さすがにあんまりでしょ?
 どう説明しようかと思っていたら、煥先輩が口を開いた。
「青龍の護衛を引き受けることになった。オレは白虎だ。白虎の伊呂波《いろは》だ」
 門衛さんたちが背筋を伸ばした。
「さようでしたか。鈴蘭お嬢さまを、よろしくお願いします」
 煥先輩はうんざり顔でうなずいて、行くぞ、とわたしに一言。わたしは慌てて足を交わす。行ってらっしゃいませ、と門衛さんたちの声。
 わたしが追い付くと、煥先輩にカバンを奪われた。
「持ってやるから、さっさと歩け」
「……歩くの遅くて、すみませんね」
「中身の詰まったカバンだな」
「置き勉しないのがルールでしょう?」
「んな校則、どこにもねぇよ」
「え?」
「ただの慣習だって、兄貴が言ってた。兄貴も置き勉してるぞ」
 あまりに無愛想な言い方に、カチンときた。だいたい、文徳《ふみのり》先輩が自分でそれを言うならともかく、煥先輩に言われても気分が悪い。
「煥先輩、どうして来たんですか?」
「兄貴に『行け』と言われた」
「文徳先輩ご本人は?」
「三年の進学科は朝補習」
「さっき、どうして白虎って名乗ったんですか?」
「オレの見た目は、人に信用されないだろ。あんただってオレを信用してない」
 決め付けられた。でも、間違ってはいない。
「信用されたいなら、きちんと制服を着てください。髪もピアスも校則ではOKですけど、一般的にはいい印象を持たれませんよ」
 煥先輩が鼻を鳴らした。
「髪は生まれつきだ。黒染めでもしろってのか」
 透き通った声に感情がにじんだ。苛立ち? 違う。もっとねじれて、壊れやすそうな何かだ。
 煥先輩は不良だ。昨日、他人に暴力を振るうところを見た。よその暴走族と敵対していることを知った。
 でも、その事実を見て知るより前に、わたしは煥先輩を不良だと思った。
 着崩した制服のせいでもある。だけど、これくらいの崩し方は珍しくない。両耳のピアスのせいでもある。だけど、ピアスは校則違反じゃない。
 髪の色のせいだ。目立ちすぎる銀色を見て、わたしは条件反射のように、煥先輩を不良だと判断した。
「生まれつきなんですか、その髪の色?」
 煥先輩がうなずいた。
「うちの家系、色素が薄いから。兄貴の髪と目を見りゃわかるだろうが。親父もじいさんもあの色だった。そして、オレだけ極端に薄い」
 煥先輩の銀色の髪、脱色して染めたんだと思っていた。
 でも、銀髪が生まれつきなら。わたしと同じ誤解を、みんながしてしまうなら。
「ご、ごめんなさい」
 わたしは立ち止まって頭を下げた。制服のスカートと革靴が見える。地面が見える。煥先輩の顔を見ることができない。
 ため息が聞こえた。
「いちいち気にしてねえ。白い目で見られんのは慣れてる」
 白い目で見る。わたしが煥先輩に向ける視線、そんなふうだったんだ。
 視界がじわりとにじんだ。申し訳なくて情けなくて、涙があふれそうになる。
 少しの間、無言だった。
 また、ため息が聞こえた。煥先輩は話題を変えた。
「オレのチカラは、昨日のとおりだ。話しづらい。顔、上げろ」
「……はい」
「あのチカラのこと、障壁《ガード》って呼んでる。光の壁で身を守る」
「防御用なんですか? でも、バイクのタイヤに穴を開けてましたよね?」
「ああいう使い方は嫌いだ。威力が高すぎる。あんたは?」
 預かり手としてのわたしがどんなチカラを使えるのか、という問いだろう。煥先輩のしゃべり方は言葉足らずで、だからひどく無愛想に感じられる。
「わたしのチカラは、癒傷《ナース》と呼んでいます。傷の痛みを引き受けることで、その傷を治せます。引き受けられないほど痛む傷は無理ですけど」
「痛みを引き受ける?」
「吸い出すようなイメージです。息を吸いながら、患部の痛みをわたしに移します」
 煥先輩が横顔をしかめた。
「昨日の兄貴の傷、痛かっただろ?」
「えっ。まあ、それなりに」
「次にケガ人が出ても、気にするな」
「はい?」
「痛い思いしてまで治さなくていい」
 突き放された。気にしていないとか慣れているとか言っても、煥先輩はやっぱり、わたしのことを受け入れたり許したりするつもりはないんだ。
「わたし、余計なことしたんでしょうか?」
「余計なこととは言ってない。兄貴の指は、瑪都流《バァトル》の音の要だ。治らなかったら、ライヴができない。兄貴はホッとしてた。傷、跡形もなく消えてたから」
 文徳先輩に喜んでもらえたなら、それでいい。煥先輩がわたしをうとましく思っているとしても。
「ライヴに支障が出なくてよかったです」
 煥先輩はうなずいて背を向けて、取って付けたように言った。
「傷を治しながら、あんた、つらそうだった。痛みは苦手なんだろ? 無理すんな」
 澄んだささやき声がわたしの胸を貫いた。
 その言葉は、優しさ? それとも、ただの皮肉?
 わたしの視界の隅で、三日月がはねた。カバンにくっつけたアミュレット。恋の願いを掛けたお守り。
 そうだ、忘れていた。
「先輩、ちょっと待ってください。カバンから取り出したいものがあります」
 煥先輩は立ち止まった。わたしはカバンの口を開けて、青獣珠のポーチを出した。三日月のアミュレットも外して、ポーチに付ける。
「この中に青獣珠を入れてるんです。これだけはやっぱり自分で持っていたくて」
 煥先輩は視線をそらしたまま、うなずいた。
 わたしは水色に小花柄のポーチを持って、煥先輩は自分のカバンとわたしのを持って、再び歩き出す。会話はなかった。